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徘徊─「深い人」は左へ?  [徘徊]

①道順障害
 地理的障害(地誌的見当識障害)には街並失認(視覚性失認の一型)と道順障害(視空間失認の一型)があります。街並失認とは、街並(建物・風景)の同定障害であり、周囲の風景が道をたどるうえでの目印にならないために道に迷ってしまいます。
 自宅付近で道に迷うアルツハイマー病患者の病態としては、少なくとも初期には「道順障害」的な要素が大きいようです(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)。

②頭の中の地図
 「私たちの不安が増大するひとつの理由は、道がわからない、自分が今いるところがわからないということだ。頭の中の地図をなくしたか、そうでなくとも、地図と自分の周囲の現実とが結びつかなくなってしまったようになる。だから自分の家のまわりの見慣れたところでない限り、誰かに道を案内してもらわなければならない。
 2000年5月、私はカウンセリング学位コースの一環として、バサーストの大学の寮にひとりで行った。それはまさに悪夢だった。寮からわずか50メートルほどしか離れていない学生食堂や講義室へ行く道がわからないのだ。とにかく見覚えのある顔(もちろん「名前」ではない─名前なんてまったくわからなかったのだから)の人のあとについて行くしかなかった。ケアパートナーの案内なしに、ひとりで知らないところへ行こうとしたのは、あの時が最後になった。」(クリスティーン・ブライデン:私は私になっていく─痴呆とダンスを 馬籠久美子・桧垣陽子訳, クリエイツかもがわ, 2004, p152)

③朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第690回『転倒防止─「深い人」は左へ?』(2014年12月2日公開)
 理学療法士で「生活とリハビリ研究所」(http://www.mdn.ne.jp/~rihaken/)代表の三好春樹さんが著書の中で「認知症の人の空間意識」について興味深い特徴を紹介しております。
 「デイサービスセンターに利用者が集まってきました。
 恒例の朝のあいさつが始まります。でも、厳しい顔つきのあるおじいさんだけは、丸いテーブルに着こうとせず、リビングルームをぐるぐる歩きまわっています。いつもの風景です。彼は気が向けばみんなといっしょにあいさつに参加しますが、ふだんは一人で“回遊”しているのです。
 『いつも左回りなんですね』
 月に二~三回来てくれるボランティアの女性に言われるまでは気がつきませんでしたが、確かにこの“回遊”、左回りなんです。私はこのおじいさんだけが左回りなのかどうか確かめてみようと思って、他の認知症の老人の行動も観察してみることにしました。
 ときどきデイサービスセンターから出ていってしまうおばあさんは、玄関を出て左へ向かうことが多いのに気がつきました。一度、出ていくおばあさんの後ろからついていったのですが、玄関を出て左、次の角もまた左に曲がったのを思い出しました。どうやら深い認知症の人(私は『認知症が重い』といった表現は使いません。深い、と言うことにしています)が無意識に歩くときには、左回りや角を左へ曲がることが多いようです。」(三好春樹、多賀洋子:認知症介護が楽になる本─介護職と家族が見つけた関わり方のコツ 講談社, 東京, 2014, pp186-187,196)
 私はこの記述を読みまして、徘徊で行方不明になった方を探す際には、自宅ないしは施設を出ましたら、先ずは玄関を出て左、次の角を左、また次の角も左に曲がって歩いていくと、案外早く探し出せるのかも…と思いました。

 「徘徊」の問題に触れましたので、徘徊への対応について復習しておきましょう。
 まず最初に、徘徊に対する薬物療法の効果について再確認しておきましょう。
 砂川市立病院精神神経科の内海久美子部長は、「認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)やせん妄を呈する入院患者の場合、幻覚や抑うつ、不安などの心理症状に対しては薬物療法は比較的有効であるが、暴力や暴言、ルート抜去、大声、徘徊などの行動症状に対しての有効性は低い」(内海久美子、白坂和彦:総合病院におけるBPSDへの対応と課題. 老年精神医学雑誌 Vol.18 1325-1332 2007)と指摘しております。
 この指摘の根拠となる研究報告についてもご紹介しておきましょう(堀 宏治、小西公子、岡田正樹:BPSDの介護. 老年精神医学雑誌 Vol.24 1130-1135 2013)。
 「BPSDのうち、どのBPSDが非薬物療法の対象となるのか。ここでは、平成14年度の長寿医療共同研究として看護師の個別対応および作業療法士の集団療法により2~3か月の集中対応でどのBPSDが軽減ないし増悪するのかを検討した結果を報告する(堀 宏治、冨永 格、小西公子:痴呆患者の異常行動. こころの科学・116号─向精神薬療法の限界 97-101 2004)。結果は、看護師の個別対応で攻撃性、行動障害(徘徊、不適当行動)が軽快し、作業療法士の集団療法で日内リズム障害の軽快が認められた。言い換えれば、薬物療法は軽快が認められなかった幻覚、妄想、抑うつ、不安および恐怖の症状に絞るべきであり、たとえば徘徊などの行動障害を薬物療法で軽快させようとすると、過度の鎮静や錐体外路症状などの副作用をきたすこととなる。このように、BPSDへの対応は看護的個別対応を中心に、集団療法を取り入れながら行い、薬物療法はその焦点を幻覚、妄想、抑うつ、不安および恐怖に絞って行うべきである。」
 ですから、薬物療法に依存しない徘徊対策を講じる必要があるわけですね。
 シリーズ第248回「みまもりキーホルダー─徘徊のタイプ」(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013090300010.html)において述べましたように、徘徊の心理的な要因として「不安」が潜んでいることが多いですので、先ずは本人が感じている不安の原因を分析し対策を立てる必要があります。
 そして、シリーズ第249回「みまもりキーホルダー─プライドを持っていた時に戻りたい」(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013090400008.html)において、「現在(いま)が生き生きと過ごせる時間」になるように検討していくことが徘徊対策として重要であることをご紹介しました。
 シリーズ第254回「みまもりキーホルダー─徘徊で有名なおばあちゃんになる」(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013090400013.html)では、酒井章子さんの母・アサヨさん(85歳)の事例をご紹介しましたね。
 章子さんは、アサヨさんの徘徊への対処として、当初は「閉じ込める」という対応をしました。すると、何時間も騒ぎ続けるなどの「認知症の行動・心理症状」(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)が生じてしまいました。同居して3カ月ほど経った頃、章子さんは思い切って母アサヨさんを外に出し、徘徊につき合うことにしました。そうしているうちに、毎回いろいろな人に助けられ、家に無事に帰ってこられるまでになったそうです。また、「(閉じ込めず)自由にしてから、どんどん穏やかになった」と章子さんは語っており、BPSDの軽減にも繋がったようです。
 番組(NHK・Eテレ、『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』の最終回)において章子さんが「母と同居して5年目。いつの間にか同じマンションの人たち、ご近所のお店の方たち、おまわりさん助けられ、毎日徘徊している有名なおばあちゃんとなりました。認知症をオープンにしたことで、手を差し伸べてくれる方が多いことに気づかされました。」と話されたことがとっても印象深く私の脳裏に刻まれています。
 福岡県大牟田市で「安心して徘徊できるまち」(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013090400015.html)に向けた活動を続けてきた大谷るみ子さんは、2013年11月1日付朝日新聞・オピニオン(インタビュー)において、実行力の高いセーフティーネットワークを作ることが大事だと指摘し、「最も重要なのは地域全体が認知症の方に日頃から『どこに行きよんなさっと?』と声をかけ、見守れるようになることです。」と述べております(http://apital.asahi.com/article/story/2013110100004.html)。


④朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第248回『みまもりキーホルダー─徘徊のタイプ』(2013年9月5日公開)
 さて、徘徊の元々の意味は、「あてもなく、うろうろと歩きまわること」です。精神科医の小澤勲さん(故人)が書かれた著書『痴呆を生きるということ』(岩波新書出版, 東京, 2003, pp126-142)においては、徘徊は五つのタイプに分類され紹介されています。その五つのタイプの徘徊について以下にご紹介しましょう。なお、2004年12月24日、「痴呆」から「認知症」へと呼称は変更されておりますが、2003年当時は「痴呆」が正式名でしたので、原著に従い当時の呼称を用います。
(1)徘徊ではない徘徊(迷子)
 外出すると迷子になったりするため、外に出るだけで徘徊と言われたり、入院中にベッドから離れるだけで徘徊と言われてしまうような場合です。
(2)反応性の徘徊
 入院・施設入所時などに起こります。馴染みのない場所に置かれることによって生じる不安と見当識障害から、不安げな表情で足早に歩き回る徘徊です。新しい環境に慣れて「頭のなかの地図」が出来上がれば消失します。トイレには「便所」と大きく書いて掲示するなどの工夫が有効です。
(3)せん妄による徘徊
 レビー小体型認知症などで出現しやすい徘徊です。夜間の場合は、部屋や廊下など本人が居る場所を明るくすることで解消することがあります。
(4)脳因性の徘徊
 山口晴保教授はこのタイプの徘徊を「周徊」(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013012800006.html)と位置づけています。前頭側頭型認知症で認められるものが代表であり、行動を共にして、安心できるようにする対応が求められます。
(5)「帰る」「行く」に基づく徘徊
 女性の「家に帰ってご飯の用意をしなければ」とか、男性の「(かつての)職場へ行く」といった理由で起きる徘徊です。夕暮れ時に起こりやすい傾向があります。このような行動が入院・入所している方に認められると「帰宅願望」と呼ばれたりします。

 (1)の「徘徊ではない徘徊(迷子)」の病態は、「道順障害」ですね。
 千葉県立保健医療大学健康科学部リハビリテーション学科の高橋伸佳教授は、アルツハイマー病患者が道に迷う病態として、「少なくとも初期には『道順障害』的な要素が大きいようだ」(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)と述べております。道順障害は、シリーズ第9回『認知症の中核症状に関する理解を深めましょう─視空間機能障害』(http://apital.asahi.com/article/kasama/2012121800010.html)においてご紹介しましたように、視空間失認の一型です。
 以上ご紹介しました(1)~(5)の他には、(2)の「反応性の徘徊」と共通した作用機序を持っておりますが、家族あるいはよく知っている人の顔が見えなくなると不安になって徘徊に至るという病態もあります。「つきまとい」が認められる方においてよく観察されるタイプの徘徊ですね。

⑤朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第249回『みまもりキーホルダー─プライドを持っていた時に戻りたい』(2013年9月6日公開)
 小澤勲医師(故人)は前述の「帰る」「行く」に基づく徘徊に関連して、「彼らは、『今・ここ』で暮らしていることを何となく居住まいが悪いと感じていて、かつてこころ安らかに過ごし、プライドをもって生きていた時代に戻りたいのだろう。彼らの現在(いま)が生き生きと過ごせる時間になれば、あるいはどんなに失敗しても、『大丈夫、そのままでいいんだよ』と受けいれられるのなら、過去への遊出は影を潜める。」と述べておられます。
 では、こうした目的を持った徘徊は、いったいどの程度の頻度なのでしょうか? 少々古いデータではありますがとても興味深い研究報告がありますので以下にご紹介しましょう(一部改変)。
 「フセインが1982年に行った研究は、徘徊が任意の行動ではないことを示す証拠を提供しています。ある施設で一定期間3名の徘徊者の経路を調べた結果、立ちどまったところの59%が誰か人がいるところ、またはグループが集まっているところで、29%が外が眺められる窓があるところ、5%が孤立した椅子でした。こうして3名の『有名な徘徊者』による徘徊のうち93%は、論理的な目的地があるように見受けられました。この徘徊行動の嗜好は実際に私たちに何かを伝えようとしているのかが問題となります。言葉ではもはや伝えられない何かを伝えようとする試みなのでしょうか。『無目的な徘徊』について話題にすることは、その人の徘徊には定まった目的がないという私たちの判断が含まれています。
 マクレガーとベルは、次のように論じています(McGregor I, Bell J:Buzzing with life, energy and drive. Journal of Dementia Care Vol.2 21 1994)。
 本当の意味で『無目的な徘徊』が起きるのは、落ち着いている時だけです。認知症がある人が目的もなく歩き出すというのは稀なことです。彼らはいつも、どこか特定の場所に行こうと心配しており、それには、独自のきちんとした理由があるのです。例えば、子どもたちが学校から帰ってくるのでお茶を淹れるために家に行かなければいけないと思っていたり、病気の親の面倒をみなければいけないと思っているのかもしれません…。」(マルコム・ゴールドスミス:私の声が聞こえますか─認知症がある人とのコミュニケーションの可能性を探る 高橋誠一/監訳 寺田真理子/訳 雲母書房, 東京, 2008, pp248-249)

「方向音痴」がアルツハイマー病の初期に生じる可能性 [徘徊]

「方向音痴」がアルツハイマー病の初期に生じる可能性
 http://www.carenet.com/news/general/hdn/41908?utm_source=m1&utm_medium=email&utm_campaign=2016050800

 初めて訪れた場所で道を覚えにくくなるのは、アルツハイマー病のごく初期の徴候である可能性があることが、米ワシントン大学(セントルイス)心理・脳科学准教授のDenise Head氏らの研究で示唆された。研究結果は「Journal of Alzheimer's Disease」4月号に掲載された。
 今回の研究の被験者は、アルツハイマー病の初期症状がある16人と、一見正常だが脳脊髄液にアルツハイマー病の徴候が認められる13人。対照群は脳脊髄液マーカーを認めない健常者42人であった。
 研究では、4種類の壁紙パターンと20個の目印のある連結通路を用いたコンピュータのバーチャル迷路を用いて、道筋を覚える能力を調査した。特に、「あらかじめ設定されたルートを学習し、辿ることができるか」「迷路の脳内地図を形成し、利用できるか」という2つの技能の程度を評価した。
 その結果、症状はないが脳脊髄液には徴候のみられる群において、設定されたルートの学習にはほとんど、または全く問題を認めないにもかかわらず、脳内地図の作成には著しい障害がみられることがわかった。ただし、これらの被験者は最終的には問題を克服し、後に実施した試験では対照群に近い成績を示した。
 Head氏は、「今回の結果が今後の研究で実証されれば、明らかな記憶障害が生じるよりもはるか前に、アルツハイマー病を診断できる可能性がある。脳内地図の利用を評価するナビゲーション課題が疾患検出の新しい強力なツールになりうる」と話す。
 ただし、脳脊髄液マーカーが存在したり、初めての場所で道に迷ったりしても、必ずしもアルツハイマー病になるとは限らないという。

原著
 Shared Genetic Risk Factors for Late-Life Depression and Alzheimer's Disease.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/27060956

私の感想
 「道順障害」は、アルツハイマー病患者さんにおいて比較的早期から出現することを以前にもご紹介しましたね。
 以下に再掲致します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第9回『認知症の中核症状に関する理解を深めましょう─視空間機能障害』(2012年12月20日公開)
 3番目は視空間機能障害です。従来の基準で、「失認」・「失行」とされた所見が視空間機能障害としてまとめられました。
 地理的障害(地誌的見当識障害)には街並失認(視覚性失認の一型)と道順障害(視空間失認の一型)があります。街並失認とは、街並(建物・風景)の同定障害であり、周囲の風景が道をたどるうえでの目印にならないために道に迷ってしまいます。
 自宅付近で道に迷うアルツハイマー病患者の病態としては、少なくとも初期には「道順障害」的な要素が大きいようです(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)。

まとわりつき・つきまとい・シャドーイング(Shadowing) [徘徊]

まとわりつき・つきまとい・シャドーイング(Shadowing)
 まとわりつき(つきまとい・シャドーイング)とは,介護者やそれ以外の人を極度に追って回ることである1)・徘徊の1つに分類されることもある2).まとわりつきの出現頻度は,軽度から中等度の認知症患者のうち67%に認められたという報告がある3).著者の診療上の経験(外来および認知症疾患治療病棟)では,ここまで高くはないように感じていたが,共同著者の介護現場からの意見では妥当な数字であり,多くの時間を取られるBPSDの1つであるらしい.
 まとわりつきに関する研究は,あまりなされていない.調べて回る行為の極端なもの2),不安の現れ(残存した能力による自分の将来への不安,1人取り残されるという恐怖など4))などと解釈されている.ある種の作業療法が,つきまといや繰り返す質問(Repetitive questioning;Godot症候群4・5))に効果を認めている6).
 まとわりつきや繰り返す質問(Godot症候群)は,悪化すると介護者の大きな負担となる.
(服部英幸編集 鵜飼克行著:BPSD初期対応ガイドライン ライフ・サイエンス, 東京, 2012, pp71-72)

私の感想
 私のところに通院するアルツハイマー病の患者さんの中にも、ご主人の姿が見えなくなると後を追いかけて外出し、その結果、ほとんど毎日のように「迷子」になってしまうという方がおられます。
 先々週土曜日の外来の際にそのお話(=「つきまとい」)を伺いました。
 この方のご家族は、ALSOKの開発したBLE(ブルートゥース・ロー・エナジー)を使用する小型の発信端末を既に導入されており(参照:2016年4月5日付日本経済新聞 企業・消費)、私は初めて「本物」の発信端末を見させて頂きました。
ALSOK.jpg
 詳細は↓
 https://info.ninchisho.net/archives/8662
 それとともに介護保険をこれまで利用しておりませんでしたが(ご本人がデイサービスの導入を嫌がっていたため)、介護保険を申請し、サービス利用を勧めていく予定です。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第738回『「つきまとい(シャドーイング)」への対応─少しずつ離れる対応』(2015年1月19日公開)
 認知症の方はしばしば介護者につきまといます。そして、介護者の姿が見えなくなると不安になって徘徊に至ってしまうこともあるため、介護者の方より近所へ外出すらしにくいといった訴えをしばしば耳にします。
 こういった「つきまとい」に対しては、いったいどのような対応をすれば良いのでしょうか。
 「つきまとい」に対しては、少しずつ離れるようにしていくのが有効であると指摘されております。以下にその記述をご紹介しましょう。
 「嫉妬妄想があるために介護者から離れることができない場合などを別にして、特に明らかな理由がない場合には少しずつ本人から離れるようにすればうまくいくことが多いようです。
 この症状のために一人でデイサービスに参加できるようになるまで半年かかった例がありますが、最後までどうしても一人で参加できなかった例は経験したことがありません。このような試行錯誤を繰り返すためには、もちろん介護者の根気強い協力に加えてサービスを提供するスタッフの理解が必要なことは言うまでもありません。」(本間 昭、六角僚子:認知症介護─介護困難症状別ベストケア50 小学館, 東京, 2007, p90)
 2013年8月8日に放送されましたNHK・きょうの健康『介護の負担を減らすために』(http://www.nhk.or.jp/kenko/kenkotoday/archives/2013/08/0808.html)の番組コメンテーターとして出演されました東京都立松沢病院の齋藤正彦院長(精神科)は、「離れる」ことをより現実化するデイサービス・ショートステイなどを活用することによって、「つきまとい」に起因する徘徊に対応できる場合もあると番組において解説されました。
 具体的な対応事例を千葉県にあるデイサービス「なごみの家」所長の西ケイ子・認知症看護認定看護師が論文報告しておりますので、以下にご紹介しましょう(西ケイ子:「在宅」を、「その人らしさ」を諦めないで. 訪問看護と介護 Vol.16 994-998 2011)。
 「他事業所から断られたNさんは、シャドーイング(介護者へのつきまとい)が強く、1日中職員の手を強く握って離しません。空いている手足で、職員に暴力を振るったり、動きがゆったりしている利用者をつつく・足を出す、不快や不安になると部屋に唾を吐く、すぐに声を荒げるという状態でした。
 手を握って離さないのは不安の表れとして受け入れ、1日中付き添いました。Nさんが好きな散歩・歌唱を何度も繰り返し行ないました。最初は職員と2人だけにこだわり、一緒に歌おうとする人を追い出していましたが、1か月後には拒まず、一緒に歌えるようになりました。さらに3か月後、徐々に職員と手をつながない時間が増え、皆に自分から声をかけたり風船バレーや体操をしたり、笑顔も表れるようになりました。」
 私が診療している事例においても、「買い物にも出掛けられず本当に困ります」と話される介護者の方がおられます。
 こんな時、他にはどんな対応方法が考えられるのでしょうか。
 例えば、姫路市では「認知症見守り訪問員」という独自の介護保険外のサービスを行っています。この試みがどのようなものかを姫路聖マリア病院地域連携室・室長の得居みのり老人看護専門看護師が報告しております。
 「見守り訪問員(認知症サポーターのなかで、認知症患者への接し方などについて追加研修を受講した人)が認知症高齢者の自宅に訪問し、家族に代わって認知症高齢者の話し相手となったり、見守り支援を行い、家族に休息してもらう事業です。」(得居みのり:認知症患者を取り巻く社会資源の活用. 看護技術 Vol.58 46-51 2012)
 このように、各地域で独自のサービスが考案・展開され、介護保険で不十分な部分を補い、認知症患者の介護者を支える仕組みがきめ細やかに整備されることが求められますね。

徘徊(Wandering) [徘徊]

徘徊(Wandering)
 徘徊とは,どこともなく歩き回ること,ぶらぶらしていることである1).しかし,研究上の定義としては,千差万別の状態である2-5).徘徊の出現率は,3~53%と調査によってかなり幅があるが,このような状況下では,やむを得ない結果といえよう6).例えば,Rollandらは,アルツハイマー型認知症の患者では,在宅で約12%,養護施設では39%,と報告している7).著者の臨床上の印象では,日常の経過中に徘徊を経験する症例は,50%程度かと思われる.かなり,頻度の高い症状であることは間違いない.「徘徊」という用語で表される行動には,何種類かの型・意味がある8,9).それを表3-18にまとめた.背景にある認知症疾患としては,アルツハイマー型認知症が代表的であるが,特殊な型としては,レム睡眠関連行動障害に伴う夜間の徘徊10),前頭側頭型認知症の周回(roaming)11)などがある.
(服部英幸編集 鵜飼克行著:BPSD初期対応ガイドライン ライフ・サイエンス, 東京, 2012, pp68-70)

表3-18 徘徊の種類(文献8より改変引用)
徘徊の種類.jpg
8)Hope RA, Fairburn CG:The nature of wandering in dementia:A community-based study. Int J Geriatr Psychiatry Vol.5 239-245 1990

視空間機能障害、地誌的見当識障害 → 徘徊 [徘徊]

視空間機能障害、地誌的見当識障害 → 徘徊
 昨日、「想いを汲むことから聴くことへ」(http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-04-27-1)におきまして、「駅のホームで階段が歪んで見えるとき、昇りか降りかも分からなくなると知った。混雑するホームでどちらに行ったらよいか分からなくなるのは恐ろしい事態だ」(レビー小体型認知症. CLINICIAN Vol.63 no.648 2016年4月号 pp0-2)という記述をご紹介しましたね。
 そこで、「視空間機能障害」&「徘徊」について、アピタルの原稿から関連部分を拾い上げてご紹介しますね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第9回『認知症の中核症状に関する理解を深めましょう─視空間機能障害』(2012年12月20日公開)
 3番目は視空間機能障害です。従来の基準で、「失認」・「失行」とされた所見が視空間機能障害としてまとめられました。
 地理的障害(地誌的見当識障害)には街並失認(視覚性失認の一型)と道順障害(視空間失認の一型)があります。街並失認とは、街並(建物・風景)の同定障害であり、周囲の風景が道をたどるうえでの目印にならないために道に迷ってしまいます。
 自宅付近で道に迷うアルツハイマー病患者の病態としては、少なくとも初期には「道順障害」的な要素が大きいようです(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)。
 失認のある患者さんにおいては、お風呂の入り口に床の色と違うバスマットが敷いてあると、バスマットの部分が谷底のように見えてしまい、患者さんは「落ちてしまう」と感じ、渡れない(足が踏み出せない)と訴える現象が出現することもあります。このような症状を呈した場合には、バスマットをどける(谷底をなくす)か、床の色と同じ色のバスマットにするなどの対応が効果的です。
 また、視空間機能障害が出現してくると、車庫入れで車を擦ってしまうなどの影響も出てきます。
 失行とは、運動障害はなく、手や足が動くのに、まとまった動作や行為ができないことです。挨拶ができないとか、箸などの道具が使えない(箸を渡しても食事を摂取する動作ができない)、使い慣れた電化製品の使用がわからない、図形がうまく書けないなどの不都合が生じます。そのため、日常生活にも差し障りが出てきます。
 1995年に46歳で若年性認知症と診断されたクリスティーンさんは、視空間機能障害に絡んで以下のように語っています(一部改変)。
 「世界はグラグラした場所に感じられ、その空間の中で自分の体の各部分がどこにあるのかがわかりづらくなる
 液体の入ったコップをこぼさずに持つには大変な努力がいる。コップを見て、自分の体を見て、体がどうなっているか注意しなければならない…。こんな一見単純な作業にも、無数の動作と反応がある。私にとって、飲み物を運ぶのは相当難しい仕事になってしまった。私の体の各部分はどこにあるのか? コップはどこか? どうして注意して見ていないと中の液体がピチャピチャ跳ねるのか? どうしてテーブルの向こうへ運ぶ途中で突然物にぶつかってしまうのか? どうして手を伸ばすと物をひっくり返してシミをつくってしまうのか?
 それはちょうど競馬馬の目隠しをつけてトンネルをのぞいているような感じだ。周辺視野は狭くなり、まわりではっきりとした動きがあると、私はすぐにビクッと驚いてしまい、それまでの行動をじゃまされてしまう。まるでウインカーが点滅し続けているみたいだ。鏡の前を通ると、部屋の中に自分と一緒に知らない人がいると思って、跳び上がってしまうこともあるほどだ!
 台所や浴室では、よく物をひっくり返す。距離の判断を間違えて、物にぶつかってしまうのだ。模様に惑わされることもある。表面が滑らかでも模様のある床を歩くと、つまづいてしまうことがある。」(クリスティーン・ブライデン:私は私になっていく─痴呆とダンスを 馬籠久美子・桧垣陽子訳, クリエイツかもがわ, 2004, pp132-133)
 「私たちの不安が増大するひとつの理由は、道がわからない、自分が今いるところがわからないということだ。頭の中の地図をなくしたか、そうでなくとも、地図と自分の周囲の現実とが結びつかなくなってしまったようになる。だから自分の家のまわりの見慣れたところでない限り、誰かに道を案内してもらわなければならない。
 2000年5月、私はカウンセリング学位コースの一環として、バサーストの大学の寮にひとりで行った。それはまさに悪夢だった。寮からわずか50メートルほどしか離れていない学生食堂や講義室へ行く道がわからないのだ。とにかく見覚えのある顔(もちろん「名前」ではない─名前なんてまったくわからなかったのだから)の人のあとについて行くしかなかった。ケアパートナーの案内なしに、ひとりで知らないところへ行こうとしたのは、あの時が最後になった。」(クリスティーン・ブライデン:私は私になっていく─痴呆とダンスを 馬籠久美子・桧垣陽子訳, クリエイツかもがわ, 2004, p152)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第248回『みまもりキーホルダー─徘徊のタイプ』(2013年9月5日公開)
 さて、徘徊の元々の意味は、「あてもなく、うろうろと歩きまわること」です。精神科医の小澤勲さん(故人)が書かれた著書『痴呆を生きるということ』(岩波新書出版, 東京, 2003, pp126-142)においては、徘徊は五つのタイプに分類され紹介されています。その五つのタイプの徘徊について以下にご紹介しましょう。なお、2004年12月24日、「痴呆」から「認知症」へと呼称は変更されておりますが、2003年当時は「痴呆」が正式名でしたので、原著に従い当時の呼称を用います。
(1)徘徊ではない徘徊(迷子)
 外出すると迷子になったりするため、外に出るだけで徘徊と言われたり、入院中にベッドから離れるだけで徘徊と言われてしまうような場合です。
(2)反応性の徘徊
 入院・施設入所時などに起こります。馴染みのない場所に置かれることによって生じる不安と見当識障害から、不安げな表情で足早に歩き回る徘徊です。新しい環境に慣れて「頭のなかの地図」が出来上がれば消失します。トイレには「便所」と大きく書いて掲示するなどの工夫が有効です。
(3)せん妄による徘徊
 レビー小体型認知症などで出現しやすい徘徊です。夜間の場合は、部屋や廊下など本人が居る場所を明るくすることで解消することがあります。
(4)脳因性の徘徊
 山口晴保教授はこのタイプの徘徊を「周徊」と位置づけています。前頭側頭型認知症で認められるものが代表であり、行動を共にして、安心できるようにする対応が求められます。
(5)「帰る」「行く」に基づく徘徊
 女性の「家に帰ってご飯の用意をしなければ」とか、男性の「(かつての)職場へ行く」といった理由で起きる徘徊です。夕暮れ時に起こりやすい傾向があります。このような行動が入院・入所している方に認められると「帰宅願望」と呼ばれたりします。

 (1)の「徘徊ではない徘徊(迷子)」の病態は、「道順障害」ですね。
 千葉県立保健医療大学健康科学部リハビリテーション学科の高橋伸佳教授は、アルツハイマー病患者が道に迷う病態として、「少なくとも初期には『道順障害』的な要素が大きいようだ」(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)と述べております。道順障害は、シリーズ第9回『認知症の中核症状に関する理解を深めましょう─視空間機能障害』においてご紹介しましたように、視空間失認の一型です。
 以上ご紹介しました(1)~(5)の他には、(2)の「反応性の徘徊」と共通した作用機序を持っておりますが、家族あるいはよく知っている人の顔が見えなくなると不安になって徘徊に至るという病態もあります。「つきまとい」が認められる方においてよく観察されるタイプの徘徊ですね。
 2013年8月8日に放送されましたNHK・きょうの健康『介護の負担を減らすために』(http://www.nhk.or.jp/kenko/kenkotoday/archives/2013/08/0808.html)の番組コメンテーターとして出演されました東京都立松沢病院の齋藤正彦院長(精神科)は、デイサービス・ショートステイなどを活用して少し患者さんとの距離を置くことにより、「つきまとい」に起因する徘徊に対応できる場合もあると番組において解説されました。
 「つきまとい」に関してはいずれまた詳しくお話しますが、その背景には、「見捨てられる」という妄想があり、1人になることに対して強い不安を感じており、介護者や家族の後をつきまとう場合も多いのです。ですから「つきまとい」を解消するには、本人が感じている不安の原因を分析し対策を立てる必要があります。

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