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認知症 私の思い 世界へ [認知症]

認知症 私の思い 世界へ
 国際会議組織委に参加の男性「語ることが使命」

 来年4月、認知症について話し合う国際会議が京都市で開かれます。世界中から認知症の人やその家族、医療や福祉の専門職、支援者らが集まります。運営を担う組織委員会の中に、認知症の本人である京都市の杉野文篤さん(62)が参加しています。認知症の人たちの思いを世界に発信したい。杉野さんの挑戦が始まっています。

 アルツハイマー病と杉野さんが診断されたのは、京都市にある種智院大学の事務長として働いていた2013年、59歳のときだった。
 まず漢字を書くのが難しくなった。パソコンの操作も徐々に厳しくなった。このままではいけないと、職場に伝えた。部下たちに助けられ、学長も辞めなくていいと言ってくれた。
 だが、杉野さんは苦しんだ。
 学生数150人規模の大学の事務方トップ。このまま責任ある仕事を続けていいのか。でも辞めたところで、その先どうするか。寝ていてもうなされるようになり、夜中に何度も目が覚めた。
 診断から1年後の60歳。先の展望が描けぬまま、定年を前に退職した。

不安も救いも
 家に引きこもりがちな杉野さんを、妻の由美子さん(60)が若年認知症の人らの交流会「おれんじサロン」に連れ出したのは退職の翌月、14年4月のことだった。そこで「認知症の人と家族の会」の人たちと出会った。
 さらにその場で評判を聞き、京都府宇治市にある府立洛南病院とであう。
 14年6月、病院のテニスコートで週に1度のテニス教室に参加するようになる。若年認知症の人向けのプログラムの一環だ。運動が苦手だった杉野さんだが、テニスに夢中になる。雨が降ると室内の卓球に変更になるため、「天気予報ばかり見ています」。
 認知症の人に優しいまちをめざす宇治市の事業などに仲間と参加し、人前で話すようになった。
 不安と苦悩の中にいた自分たちがどうやって救われたか。安心して過ごせる仲間と場所ができたことがいかに大きかったか――。
 「当事者の一人として発言していくことが、一つの使命だと考えるようになりました。私は漢字が書けないが、言葉で自分の意見を表現することができます」
 以下省略
(十河朋子)
 【2016年4月5日付朝日新聞・生活】
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