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患者に寄り添う終末医療 リッキーちゃんへ [終末期医療]

患者に寄り添う終末医療
 人生の「物語」大切に

 医療者が患者の人生を「物語」として理解することで、一人一人に適した終末期医療を提供する試みを富山県砺波市の医療法人社団「ナラティブホーム」が進めている。診療所での診察や往診を通じて、可能な限り患者が自宅で暮らせるようにする一方、患者向け賃貸住宅を診療所の隣に備える。大規模病院などでは画一的になりがちな終末期だが、患者の歩みを知ることでその人らしい人生の締めくくりとなるよう努めている。(稲田雅文)

 「まだまだやりたいことがあるでしょう?」。同法人理事長の佐藤伸彦医師(五七)が診察中の七十代女性に聞くと、女性は「まだまだやることあるがです」と、うれしそうに京都旅行の計画を話し始めた。こんな会話から、患者がどんな趣味があり、何が生きがいなのかを理解していく。
 …(中略)…
 法人名のナラティブは「物語」の意味。二〇〇九年に佐藤さんを中心に設立した。佐藤さんは翌年、市内の総合病院の部長を辞して診療所を開設。現在、「太田」(=ものがたり診療所太田)を含めて診療所は三カ所。在宅では約百六十人を往診している。医師五人と看護師七人、介護福祉士七人で運営している。
 …(中略)…
 この住宅に入居した人には「ナラティブノート」をつくる。本人の様子や会話を看護師や介護士、家族が書き留めていく。イラストや写真も貼われ、患者と看護師らの交流の蓄積がそのまま記録される仕組みだ。
 築いてきた人間関係は、終末期に生きる。認知症などで意思表示ができなくなったとき、どういう医療を施すことが本人や家族にとって最善なのかを考える手がかりになるからだ。
 認知症がある八十代男性は、ぼうこうと腸に同時にがんが見つかったが、手術は日帰りで可能なぼうこうだけにした。二カ所同時の手術も可能だったが、総合病院での検査入院で状況が理解できずに人が変わったように混乱したことがあったためだ。家族と「じいちゃんなら何を望むか」と話し合い、得た結論だった。
 数カ月後に亡くなったが、その間際まで食べたいものを食べ、好きなように過ごすことができた。最期は総合病院で迎えたが、本人が希望するであろう選択をともに考えたことが、家族の納得につながった。
 人生の物語にこだわるのは、療養型病院などで終末期医療に携わってきたからだ。大規模病院勤務当時は、患者百人を受け持ち、患者の名前を聞いても、だれのことか分からなかったことも。寝たきりで話すことができない患者の尊厳を考えたとき、関係性の希薄さからその人が何を望むのか推測しようがない自身を省み、家族らを通じてその人の人生を知ろうとする姿勢が必要と痛感した。
(以下省略)
 【2016年4月12日付中日新聞 医療】

私の感想
 「その人の人生を知ろうとする姿勢」は良いですね。でもそれは療養病床であっても可能だと思います。入れ替わりの比較的少ない療養病床なら百人の患者さんを把握することはそんなに困難な課題ではないように私は思います。もっとも私は現在60名弱の担当ですので百名とは行きませんが・・。
 「ナラティブノート」→「終末期の意向」として活用しようという視点は意外でした。ただ、その際には、結局はナラティブノートを作成する場面において、「食べられなくなったらどういう医療を望むの?」と尋ねる場面があるわけですから、やはり告知問題などと複雑に絡み合ってくる問題になりますよね。
 すなわち、本人への告知抜きにして「食べられなくなってきた時にどういう医療を受けたい?」と尋ねても、それは一般的な見解を聴くという意味合いであり、自分自身が受けたい治療とはズレが生じているかも知れませんので、慎重に判断する必要がありますね。


 朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第370回 『その人はどう生きたかをきっかけに─まず生活史を聞き取ろう』(2014年1月10日公開)におきまして、「メモリーブック」について言及しておりますので以下にご紹介しましょう。

 九州保健福祉大学保健科学部言語聴覚療法学科(現職:志學館大学人間関係学部心理臨床学科)の飯干紀代子教授は、生活史をきちんと聞き取ることがその後のコミュニケーションを円滑にすると指摘しております。その部分を一部改変して以下にご紹介しましょう。
 「側頭葉の意味野は、その人がこれまで通ってきた人生でのさまざまな出会いや経験によって積み重ねられた言葉の宝庫です。意味野を知ることは、その人の『生活史』を紐解くことにほかなりません。『生活史』を聞いて、その利用者の意味野を知り、個々に応じたコミュニケーションを行うことが大切です。
 Bさん(女性、80歳代。中等度のアルツハイマー型認知症)は、地元の名家の末っ子として大切に育てられ、生け花と書道は師範の資格をもっています。役所に定年まで勤め、退職後は国内外の旅行を楽しんできました。
 礼節がしっかり保たれ、にこやかなそつのない受け答えをしますが、見当識と記憶がかなり低下しているため、込み入った話になるとコミュニケーションがとれないことがあります。しかし、生活史を聞くなかで、『池坊』『お免状』『京都のお稽古場』『楷書』など『生け花』や『書道』に関する用語、また、『経理』『納税』『伝票処理』『窓口業務』など『役所の部署』に関する名前と仕事など内容については、すらすらと澱みなく言葉が出てきました。
 Bさんの意味野は、『生け花』『書道』『役所の部署』について充実していることがわかります。ですからBさんとのコミュニケーションは、意味野が充実している『生け花』『書道』『役所の部署』を切り口にするとうまくいくことが多いということになります。」(飯干紀代子:基礎から学ぶ介護シリーズ・今日から実践 認知症の人とのコミュニケーション─感情と行動を理解するためのアプローチ 中央法規, 東京, 2011, pp10-11)
 また生活史を引き出す技術として、生い立ちから現在まで、人生をいくつかの時期に分けて、時系列に沿って聞いていくとポイントをおさえた聞き取り方ができると飯干紀代子教授は指摘しております。
 「人生を6つの時期に分けてみるのはどうでしょうか。生い立ち・幼少時代(学校に入学する前)・学校時代(小中高校・大学など)・仕事・結婚・引退後の6つです。
 まず6つのエリアごとに、生活史の大枠となるエピソードを聞いていきます。
例えば生い立ちでは、どこで生まれたのか、両親の名前は何か、兄弟は何人か、親の仕事は何だったかなどです。
 人によっては、体験していない出来事もあります。仕事に就いたことがない、ずっと非婚だったなどです。その場合、そのエリアを省いて尋ねます。生活史を聞くことは、プライベートな部分に踏み込むことを意味します。ですから、お互いの信頼関係が大切です。触れてほしくないことを聞かれると、相手は心を開きません。特に、婚姻や子どもの有無などは、あらかじめ予備知識を入れておく必要があります。」(飯干紀代子:基礎から学ぶ介護シリーズ・今日から実践 認知症の人とのコミュニケーション─感情と行動を理解するためのアプローチ 中央法規, 東京, 2011, pp100-101)
 認知症や記憶障害のある人とコミュニケーションを円滑に行うためのツールである「メモリーブック」は、アメリカの言語聴覚士でオハイオ大学のミッシェル・ブルジョア教授が1980年代後半に考案したものであり、本人から聞き取りをした生活史を文章にして、写真や地図などとともに一冊のノートに分かりやすくレイアウトしてまとめたものです(飯干紀代子:基礎から学ぶ介護シリーズ・今日から実践 認知症の人とのコミュニケーション─感情と行動を理解するためのアプローチ 中央法規, 東京, 2011, pp114-115)。簡単に言うと、「自分史」ということになりますね。


Facebookコメント
 メモリーブックは、軽度認知障害(MCI)や軽度認知症患者さんでは繰り返し活用することが困難な場合もあるようです。一方、中等度の認知症患者さんでは継続的に活用できることが多いようです。

軽度認知障害(mild cognitive impairment;MCI)や軽度認知症患者:
 MCIや軽度認知症患者は、メモリーブックを作り上げること自体に大きな意義がある。メモリーブックの作成途上や完成したものを初めて通読する時までは、毎回の訓練プログラムとして実施でき、患者の意欲もきわめて高く、情動の安定や発話量の増加といった効果も顕著である。しかし記憶力が比較的保たれているので一度読んだメモリーブックの内容を覚えていることが多く、メモリーブックが完成した後は、内容に対する新鮮味が薄れ、毎回の訓練で繰り返し用いることに抵抗を示す患者が多い。1~2週間に1回、あるいは月に1回程度、音読し、新たなエピソードを引き出す、その内容を書字するといった活用になる。MCIや軽度認知症患者は認知機能維持向上のための個人訓練を行うことが多いが、訓練開始時のフリートークの材料として、メモリーブックの一つのエピソードを使うことは有益である。

中等度認知症患者:
 中等度認知症患者への目的は、①情動の安定や意欲の喚起、②BPSDの軽減、③見当識の維持や一部改善である。記憶障害が進行しているため、メモリーブックを読んだ事実や書かれている内容を覚えていないことが多くなる。メモリーブックを毎回読んでもその都度新奇刺激としてとらえるため、多くの患者は連日メモリーブックを使った訓練を行っても、毎回、新鮮かつ意欲を持って訓練を持続することができる。
【編集/三村 將・飯干紀代子 著/飯干紀代子:認知症のコミュニケーション障害─その評価と支援 医歯薬出版, 東京, 2013, p161】


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リッキーちゃんへ

 2014年1月8日、とうとう旅立ってしまいましたね。
 13年10か月も一緒に過ごしてくれてありがとう。家族全員、リッキーちゃんには感謝していますよ。
 確かにもっともっと一緒の時間を過ごしたかったというのは正直な気持ちだけど、不整脈がひどく、心不全(肺水腫)の状態でさぞかし呼吸も辛かったことと思います。今思えば、本当に苦しい期間が2日間と比較的短く、長く苦しまずに良かったなと思います。
 辛い中、前日まで食べてくれてありがとう。前々日は最後のお散歩にも行きましたね。心臓と肺が弱っていたのに一生懸命歩いてくれてありがとう。
 ママもリッキーちゃんのために最後よく頑張ってくれたよ。リッキーちゃんもママには感謝だね。
 はぎの動物病院の先生も、リッキーちゃんのために一生懸命頑張ってくれましたよ。レントゲンを撮って、こんなひどい心臓でよく頑張っていたとリッキーちゃんを褒めてくれていましたよ。最後「発作」を起こした時には、はぎの先生、リッキーちゃんを救命するために挿管までしてくれましたよ。リッキーちゃんもよく頑張ったね。あの日は、仕事がとっても忙しく早く帰れず、リッキーちゃんの最後の時、そばにいてあげられなくてごめんね! でも大好きなママが近くにいてくれてリッキーちゃんは幸せだったね。
 リッキーちゃんが亡くなった後、8人もお花を持ってリッキーちゃんに会いに来てくれましたよ。皆、リッキーちゃんをやさしく撫ぜてくれていましたよ。小川さんなんて自分の顔をリッキーちゃんの頬にくっつけて泣いていましたよ。みんな、「リッキーは最高の犬、こんな犬はいない」と口をそろえて言ってくれていましたよ。
 毎年のようにリッキーちゃんと一緒にペンションに旅行に行きましたね。河口湖、軽井沢、伊豆、箱根(箱根駅伝)、浜名湖、四国、小豆島、広島、天橋立、京都、伊勢志摩…。数多くの思い出をありがとう。リッキーちゃんと居るとなんだかとっても「優しい気持ち」になれるので、毎日家に帰るのが楽しみでした。リッキーちゃんは周りにいる人を皆、優しい気持ちにしてくれましたね。リッキーちゃん、優しい気持ちをプレゼントしてくれてありがとう。 感謝、感謝です! リッキーちゃんは皆に可愛がってもらいとっても幸せな生涯を過ごせましたね。パパたちもリッキーが幸せでしたので、リッキーとの日々に後悔はありませんよ。
 リッキーちゃんがいつも吠えていた田中さんにも、昨日、「リッキーが昨日亡くなり、今日、家族全員で火葬場に行ってきました。いつもうるさく吠えるのに、田中さんは優しくリッキーに接してくれてありがとうございました」と伝えてきましたよ。田中さんは、「犬との別れは本当に辛いんや!」と言って哭いてくれていましたよ。その言葉についついパパも泣いてしまいました。
 まだまだ涙腺の緩い日が続きますが、ひとことリッキーちゃんに感謝の気持ちを伝えたくってお手紙を書きました。リッキー、13年10か月もパパたち家族を幸せにしてくれてありがとう。とっても感謝しています。天国で幸せに暮らしてくださいね。

P.S.
 半年ほど前から、「ママと寝たい」とリッキーが意思表示するようになったので、しばらくパパとは一緒に寝ませんでしたね。でも8日の夜は久しぶりに一緒に寝ましたね。冷たくなったリッキーちゃんの手を夜寝るときに握り、朝起きたときにもぎゅっと握りしめていたことには自分でも驚きました。それほど愛していました。
 Facebookの写真替えようかとも思いましたが、リッキーちゃんのことは良い思い出としてずっと心に残しておきたいのでこれからも写真使わさせて下さいね。リッキー本当にありがとう。

2014年1月10日  パパよりリッキーへ
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