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死の怖さと向き合う心理療法─自らがんと闘いながら辿り着いた心の平安 [癌]

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死の怖さと向き合う心理療法─自らがんと闘いながら辿り着いた心の平安

 もしあなたががんになったら? おそらく二つのことがあなたを襲うはずだ。一つは「がん=死」が頭の中を占領してパニックになる。もう一つは不安で不安で眠れなくなる。私がこれまで取材したがん患者のほとんどがそうだった。人はいずれ死ぬとわかっていても、やはり納得できない。では不安や恐怖を医療で取り除けるかといえば、まず不可能だろう。日本人の二人に一人はがんになり、三人に一人はがんで死ぬ時代である。がんにかかるのは悔しいが、がんにかかっても、不安と恐怖さえ取り除けたら、残された命を謳歌することも不可能ではない。とはいえ、そんなことは可能なのだろうか。実は、大腸がんで余命一年を宣告されながら、自らそれを実践している人物がいる。鹿児島大学大学院臨床心理学研究科教授の山中寛氏である。山中氏は日本を代表する臨床心理学者であり、とくにスポーツ界ではよく知られている。
 福岡ダイエーホークスの監督に就任した王貞治氏をメンタルトレーナーとして支えただけでなく、2000年のシドニーオリンピックでは、スポーツカウンセラーとして日本の野球チームに帯同している。
 その山中氏が働き盛りの五十五歳で大腸がんがわかり、すでに肝臓にも転移していて余命一年を宣告された。大腸がんは外科手術で取り除いたものの、肝臓に転移したがんは直径十センチにまで増大した。重さにすれば約一キロだ。このために胆のうを圧迫して胆汁の流れが止まり、何度も死にかけたという。しかし余命一年どころか、すでに六年を超えた。
 今は「がん=死」の恐怖を乗り越えて、残された命をとことん生き切ってみようと淡然としている。さらに「がんになってよかった」と思えるようになったという。山中氏を不安と死の恐怖から解放させたのは、アスリートたちに対して行った自己コントロール法を、自ら死と向き合いつつアレンジした、いわば応用編である。その手法を知りたくて、筆者は山中氏がいる鹿児島に向かった。以下は山中氏の語りである。
 …(中略)…

がんの「恐怖」を観察する

筋肉の緊張を緩める
 …(中略)…
 アメリカではがん患者の不安に対処する方法として漸進性弛緩法を取り入れていますが、日本であまり注目されないのは、指導できる臨床心理士が少ないからでしょう。
 私は朝五時半に起きると、まず手洗いに行ってから布団の上で漸進性弛緩法をやります。寝起き直後のまどろんでいるときが一番リラックスしやすいですね。
 まず上向きに寝た状態で手を体から五センチほど離し、掌を下にします。これ以降の手順は次の通りです(イラスト参照)。
 …(中略)…

主体性を感じることが大事
 体を緩めてリラックスするならマッサージでもいいじゃないかと思われますが、マッサージは機械や他人に依存するのに対し、これは自分で行うことに意味があるのです。ただリラックスするだけではなく、自らの努力で自分をコントロールしているという主体性を感じることが大事です。
 私たちには生まれてから育っていく過程で身にしみ込んだ性癖や思考、価値観など独特の〝構え〟──思い込み──があります。「がん=死」もそうです。身に染み込んだものは、なかなか気づかないものですが、リラックスすることで、凝り固まった〝構え〟に気づき、緩めてやることができるのです。
 がんの患者さんが一番困っているのは精神安定剤や睡眠薬を飲まないと眠れないことでしょう。でも漸進性弛緩法を毎日続けていると、心地よい夢うつつの状態で緊張と緩和を繰り返しますから、眠くなったときにそのまま眠ればいいのです。シドニーオリンピックで選手にこれをさせたら、野球日本代表の大田垣耕造監督が「あれやると眠れますね」といってました。一番効果があったのは監督だったようです。

健康な人にも効果がある

自己暗示をかける

最後に覚醒運動を

「大いなる命」に任せる
 不安や死の恐怖を鎮めるのに、これらの自己コントロール法でも十分効果があるのですが、体のスピリチェアリティに目覚めるとより確実になっていきます。
 かつての私は、合理的でないものを信じて行動することはあり得ませんでした。なぜなら研究者として統計に重きを置いていたからです。それが変わったのは、何度も死にかけたことで、自分の体の中にあるスピリチェアリティに気づいたからです。誰にでもスピリチュアルな体験はあるはずですが、常識に囚われていると、それに気付かないだけなのです。従来の臨床心理学の方法に加え、もしも自分のスピリチュアリティに意味を持たせることができれば、恐怖心はなくなっていきます。
 私は二〇一四年十二月から、「ひと月は持たない」と言われ続けながら生きています。医師の常識では、私が生きていることが不思議なのだそうです。それでも生きているのは、生かされているからかもしれません。人はいずれ死にますが、自分が生きているのは、自分を生かしてくれている〝大いなる命〟があるからだと思い直しました。抗わず、すべて〝大いなる命〟にお任せしようと。すると死は心のどこかに収まっていくような感じがして、それまではがんのことばかり考えていたのに、いただいた命をとことん生きてみようと考えるようになりました。死ぬ直前まで生きる喜びはあるはずです。
(以下省略)
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 【取材・構成/奥野修司 山中 寛:死の怖さと向き合う心理療法─自らがんと闘いながら辿り着いた心の平安. 文藝春秋第九十四巻第七号 306-314 2016】
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