SSブログ

終末期医療─「代行判断」とは [終末期医療]

「代行判断」って分かりますか?

 事前指示書って書かれてますか?
 それどころか、「終末期医療について話し合ったことすらない」というのが現状でしょうね。

 「厚生労働省が三月に実施した調査によると、医療職などを除く一般の国民では、終末期医療について、家族で全く話し合ったことがない人が55.9%と過半数。一応話し合ったことがあるが39.4%、詳しく話し合っているのは2.8%だった。医師、看護師では、全く話し合っていない人はそれぞれ42.8%、32.6%と、一般の人に比べて少なかった。
 事前指示書への賛否について、一般の人は『分からない』の27.0%を除くと、ほとんど賛成だった。ただ、実際に作成しているのは3.2%にとどまり、91.4%が作成していなかった。」(2013年12月25日付中日新聞・生活─佐橋 大)

 となると、家族が代行判断することになりますね。

 さて、以下のような状況を考えてみましょう。
 Aさん(70代女性, アルツハイマー型認知症)は、脳梗塞を起こし急性期病院に入院しました。
 主治医からは、「嚥下障害が起きる可能性が高いです。胃ろうを造設しますか? それとも点滴にとどめますか?」と質問を受け主たる介護者である娘さんは困ってしまい、即答を避け「家に帰って家族で相談します。明日、お返事します」と答えました。
 家に帰った娘さんは、「元気な頃そんな話をしなかったし、最近では認知症もあって理解力が低下していたし・・」と孫なども交えて家族で話し合いました。
 そして翌日、主治医に「胃ろうまでは望みませんが、経鼻経管栄養なら構いません」と意向を伝え、主治医はその方針で治療に臨みました。

 よくある医療現場のひとコマですね。
 これには実は間違いがあります。
 どこに間違いがあるか分かりますか?
 

結論
 「家族による自己決定の代行は、認められない

解説
◎終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン(2007年5月)
 患者意思・事前指示の尊重→代行判断(患者意思の推定)→最善の利益判断の手順

参考になるサイト
実名臨床道場.JPG

◎実名臨床道場/胃ろう【笠間睦先生】
 https://jdoctors.m3.com/group/82/thread/411/message/1977
◎実名臨床道場/胃ろう─「家族による自己決定の代行」に関して
 https://jdoctors.m3.com/group/82/thread/411/message/2098
 誠に申し訳ございませんがm3のサイトは医療関係者しか閲覧できません。以下にて見識を深めて下さい。


 朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第127回『終末期への対応 家族の意思だけで決めることはできない』(2013年5月1日公開)なども参考になると思いますので以下にご紹介しますね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第127回『終末期への対応 家族の意思だけで決めることはできない』(2013年5月1日公開)
 東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野の箕岡真子医師は、「日本では厚生労働省による終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン(2007年5月)がある。患者意思・事前指示の尊重→患者意思の推定→最善の利益判断の順になっている。」「事前指示(アドバンス・ディレクティブ):事前指示とは、『意思能力の正常な人が、将来、判断能力を失った場合に備えて、治療に関する指示(治療内容、代理判断者の指名など)を事前に与えておくこと』である。事前指示は、認知機能が正常であった以前のその人の自己決定の権利を延長するものであり、また、医療関係者や家族などは、認知症の人が意思能力のある時点でした決定をできるだけ尊重する義務がある。」(箕岡真子:認知症の終末期ケアにおける倫理的視点. 日本認知症ケア学会誌 Vol.11 448-454 2012)と述べています。
 では実際にはどの程度の人が、「胃ろう」を希望するのでしょうか。東京都立松沢病院精神科の新里和弘医師らは、認知機能が衰えた人に直接質問して意向を調査し、その結果を以下のように報告している(新里和弘、大井 玄:認知能力の衰えた人の「胃ろう」造設に対する反応. Dementia Japan Vol.27 70-80 2013)。
 「今日わが国では、胃ろう造設者は2010年の時点で約56万人に及ぶ(会田, 2011)。特に重度認知症者への適応が社会問題となっている。本研究では胃ろう導入の意向を、認知機能が衰えた人自身に直接質問したものである。対象は男性29名、女性41名の計70名(平均80.7±7.1歳)、診断はアルツハイマー型認知症が最も多く(53%)、70名の平均HDS-Rの得点は14.3±6.4点であった。結果として、胃ろう造設を希望したものはおらず、『いやだ』、『されません』など積極的に胃ろうを拒否した者が70名中57名(81.4%)に及んだ。約5%の患者が胃ろうを承諾したが、全例が医師の判断に委ねる消極的承諾であった。」(一部改変)

 さて、代行判断(患者意思の推定)とは、「現在意思能力がない患者が、もし当該状況において意思能力があるとしたら行ったであろう決定を代理判断者が推定すること」です。
 箕岡真子医師は、本人の意思の推定ができない場合の問題点についても言及しております。
 「事前指示もなく、本人の意思の推定もできない場合、家族の意思だけで治療方針を決定してよいのでしょうか。原則的には、患者自身の意思表示(事前指示も含む)がない場合には、標準的治療が実施されます。しかし、事前指示がなければ、『すべての延命治療を望んでいる』と推定するのも現実的ではありません。」(箕岡真子:認知症ケアの倫理 ワールドプランニング発行, 東京, 2010, pp114-115)
 箕岡真子医師は、「何が患者の『最善の利益』なのかを判断するにあたっては、家族や医師、看護師、介護担当者などの関係者が互いにコミュニケーションを深め、十分に話し合いをし、独断を避けることが重要である。」(箕岡真子:認知症の終末期ケアにおける倫理的視点. 日本認知症ケア学会誌 Vol.11 448-454 2012)と指摘しています。
 「最善の利益判断」を決定するに際しては、どのような視点が重視されるべきなのでしょうか。その点に関して、梶原診療所在宅サポートセンターの平原佐斗司医師は、「ご家族の意思決定を医師が支援するという役割はかなり大きいと思います。自分の肉親の命をご家族が決めるというのはかなり負担の大きなことなので、医療者がそれを支えることは絶対に必要です。そのときには、胃瘻をしたらどのぐらい生きるかといったエビデンスの話よりも、患者さんの価値観だったり、これまでの人生を振り返って、何がご本人の幸せかということについて話をしていく。できるだけコンセンサスをつくっていくようなアプローチがとても大事です。」(平原佐斗司 他:座談会・非専門医がどのように認知症に向き合ったらよいか? 内科 Vol.109 847-860 2012)と述べており、患者さんの価値観を重んじることが大切であると指摘しています。
 なお、現状においては、「本人の意思が不明な場合、家族の意思だけで、延命治療を行わずに『看取り』に入ることが法的に適切かどうかは、将来的な法的判断を待たなければならないでしょう。」(箕岡真子:認知症ケアの倫理 ワールドプランニング発行, 東京, 2010, p134)という側面があることも事実です。
 そして、多くの終末期医療に関するガイドラインは、「患者の意思・事前指示が確認できる場合はそれを尊重する」としており、延命医療に関する自分自身の意向を事前に表明しておく「事前指示書」が何よりも重要視されるのです。



朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第167回『認知症の終末期(その7)─「自分の人生は自分で決める」』(2011年8月23日公開)
 国際医療福祉大学の岩尾總一郎副学長は、「筆者は昨年開催された『死の権利世界連合』総会において、終末期医療の中止時における家族の関与に関して質問したところ、欧米では『自分の人生は自分で決める』という考え方が徹底しており、『質問が理解できない』と言われた」(岩尾總一郎:終末期の医療・介護と尊厳死をめぐる課題と展望 公衆衛生 Vol.75 296-300 2011)と述べています。
 独立行政法人国立長寿医療研究センターの三浦久幸在宅医療支援診療部長は、米国における認知症の終末期医療の状況について、「重度の認知症で死亡した入所者の家族ないし医療代理人へのインタビューで、死亡した入所者のおよそ10%が経管栄養を受けていたが、入所者の家族ないし医療代理人と医療者との話し合いが十分に行われて経管栄養が導入されたのは半数以下にとどまっていた。」(重症認知症疾患患者の合併症と終末期医療. 臨牀と研究 Vol.88 735-737 2011)と指摘しています。
 「自分の人生は自分で決める」と考えていても、認知症をわずらい自分自身で決定することが不可能となり、医療者の判断で治療方針が決められるケースは、日本だけでなく米国においても多々あるのが現状のようですね。
 またシリーズ第153回『出そろった4種類の認知症治療薬(7)』(https://aspara.asahi.com/blog/hyottoshite/entry/q05v8Zw1Fp)においてご紹介しましたように、Rafael Blesa教授(Hospital de la Sta, Spain)は、アルツハイマー病を早期診断し、その時点で事前指示書の記載を勧めるような取り組みをしているようです。
 元気なご両親に「事前指示書」について話を切り出すことはなかなか気が引けるものですよね。私の亡父は、私が事前指示書に関する新聞記事の切り抜きを渡したこと、そして、知人の男性が植物状態に陥ってもなお経管栄養で家族による介護を受けている姿を見て、事前指示書を書いて私に渡しておりました。

 愛知県立大学看護学部老年看護学の百瀬由美子教授は、「中高年者を対象とした、認知症終末期ケアの希望に関する調査では、53.6%が積極的医療を受けず自然に任せたケアを望むと回答している。その一方で、手術が必要なら受けるとの重複回答もみられ、認知症に対する知識と確固たる死生観の乏しさが指摘されている。…(中略)…終末期の急変時において積極的な延命処置を望まないと回答した認知症高齢者の家族は90%以上であり、その判断は半数が本人の意向に沿ったものであった」ことを紹介し(認知症患者の終末期ケア. Mebio Vol.28 142-149 2011)、事前指示書などの普及が課題であることを指摘しています。
 事前指示書に関しては、シリーズ第18回『認知症の終末期、経管栄養を希望しますか?(その1)』(https://aspara.asahi.com/blog/hyottoshite/entry/87AonOsmIU)、シリーズ第33回『終末期も一生懸命生きること』(https://aspara.asahi.com/blog/hyottoshite/entry/NztBtj7V7l)などで詳しく紹介しておりますのでご参照下さいね。
 シリーズ第33回にてご紹介しましたように、箕岡真子医師は、「事前指示アドバンスディレクティブは、意思能力があり自己決定できる患者本人が書くのが原則である」と述べられたうえで、「患者本人に意思能力(competence)がない場合には、家族による代理判断が行われる。代理判断の手順は『①事前指示の尊重→②代行判断→③最善の利益判断』となる。」と述べておられます。



朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第168回『認知症の終末期(その8)─ 家族による代理判断』(2011年8月24日公開)
 「家族による代理判断」の場合には微妙な問題が絡んできます。中京大学法科大学院の稲葉一人(Kazuto INABA)教授は論文において(稲葉一人:神経難病における終末期-法判例の立場から-. 神経内科 Vol.74 182-187 2011)、川崎協同病院事件の判決結果などを紹介しております。
 「患者の生き方・考え方を良く知る者による患者の意思の推測等もその確認の有力な手がかりとなる。真意が確認できない場合は、『疑わしきは生命の利益に』医師は患者の生命保護を優先させ、医学的に最も適応した諸措置を継続すべきである。」
 「自己決定権説によれば、本件患者(気管支喘息重積発作に伴う低酸素症脳損傷)のように急に意識を失った者については、元々自己決定ができないことになるから、家族による自己決定の代行か家族の意見等による患者の意思推定かのいずれかによることになる。前者については、代行は認められないと解するのが普通である。…(中略)…家族の意思を重視することは必要であるけれども、そこには終末期医療に伴う家族の経済的・精神的な負担等の回避という患者本人の気持ちには必ずしも沿わない思惑が入り込む危険性がつきまとう。」
 「後者については、現実的な意思(現在の推定的意思)の確認といってもフィクションにならざるを得ない面がある。患者の生前の片言隻句を根拠にするのはおかしいともいえる。意識を失う前の日常生活上の発言等は、そのような状況に至っていない段階での気楽なものととる余地が十分ある。本件のように被告人である医師が患者の長い期間にわたる主治医であるような場合ですら、急に訪れた終末期状態において、果たして患者が本当に死を望んでいたかは不明というのが正直なところであろう。」


ドナーカードのような意思表示カードの導入は?
投稿者:マリーポール 投稿日時:11/08/24 17:08
 高齢者というカテゴリーに私自身も入っていて、認知症になったらどうしようという恐れを常に抱いています。
 自分では自分の身の周りの世話もできなくなるほど重度の認知症になったり、回復の見込みのない重病に冒されたりしたら、私自身はなるべく早く死にたいというのが正直な気持ちです。
 家族にその判断を委ねるのは残酷だと思います。
 臓器提供意思カードのように、終末期医療についての意思カードを、どこでも手に入れることができれば便利だと思います。


Re:終末期医療についての意思カード
投稿者:笠間 睦 投稿日時:11/08/25 07:40
マリーポールさん、初コメントありがとうございます。

 「終末期医療についての意思カード」とは斬新な発想ですね。
 「事前の意思表示」を推進する試みとしては、画期的な試みとなる可能性を感じます。
 しかしながら、その試みを普及するには、判断となる情報が不可欠です。
 情報とは、例えば、「認知症を発症してからの平均的な生存期間」とか、「経管栄養を導入すると点滴だけの場合に比べてどの程度延命できるのか」といった情報を啓蒙・周知徹底することが必要となります。
 そしてもう一つの大きな課題は、シリーズ第48回『終末期医療の現状と課題を考える(その1)』で述べた以下の部分です。
 「田邉 昇先生(医師・弁護士)は、『患者は自己決定権を有しているが、生命利益が優先するから、患者が元気なときに延命治療拒否の書面を作成していても、医師の医学的判断で、医師が患者の苦痛を取り延命をすることは違法ではない』(訴訟リスクから見る日常診療の落とし穴 2010年10月7日号 Medical Tribune 58-59)」
 すなわち、仮に「延命拒否の意思カード」が存在していても、担当医師が「生命を維持するため治療を継続します」と考えればそうなります。すなわち、意思カードにせよ事前指示書にせよ、どう法制化していくのかという部分が大きな鍵を握ってきます。
P.S.
 職場の歓送迎会でお返事が遅くなり申し訳ありません。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。