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ひょっとして認知症? 車を・・ [アルツハイマー病]

ひょっとして認知症? 車を・・

 医師の間で都市伝説のように語られる有名な話があります。
 「専門医は、その専門分野の病気を患って亡くなることが多い。」というものです。
 どう考えたって「都市伝説」としか思えないのですが、実は私は、「認知症」を心配してます。ただでさえアルコール摂取量が多いので、アルコールの脳に及ぼす影響も加わる危険性が高いからです。
 折しも今日、車を和菓子屋の駐車場から出すときに、ちゃんと後方をミラーで見ていたにも関わらず、電柱を支えるために斜めに張ってある支柱のようなものにぶつけてしまい、車の後ろのバンパーが少しへこんでしまいました。
 やっちまった!
 それにしても変だな・・。ちゃんと見ていたはずなのに・・。
 見ていると思っていたのに見えていない?? ひょっとして認知症?
 そう、認知症の初期症状として「視空間機能障害」(従来は「失認」・「失行」と呼ばれていた)がありましたね。
 そのことを、以前私が連載しておりました朝日新聞社アピタルの医療ブログ「ひょっとして認知症?」第140回におきまして亡父の事例紹介という形で語っております。以下にご紹介いたします。
朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第140回『認知症のケア 誤字・脱字の増加からみる心配』(2013年5月14日公開)
 私事になりますが、私の亡父(2010年10月21日永眠・87歳)は、2009年頃より、「水の出しっ放し」「火のつけっ放し」などが目立つようになりました。亡くなる半年程前からは認知機能障害も目立ってきたため、私自身も介護者としての立場を経験することになりました。
 それでも2010年春まではパソコンでインターネットも楽しんでおりました。父は難聴が強く電話での会話のやり取りが困難でしたので、パソコンの電子メールは私と父との重要なコミュニケーション手段でもありました。
 父は薬剤師でしたので医学領域への関心も高く、認知症に関する重要な論文を見つけると、私にメールで連絡してくれることもしばしばでした。2010年5月23日に父と最後に交わした電子メールのタイトルは、「n認知症」です。余分な「n」が入っています。誤字・脱字も増えてきたことを私は気にかけていました。
 しかし初夏に入ってくるとパソコンの操作そのものが怪しくなり、「パソコンに石像(石塔)が積み上げられていく」と訴えることも出てきました。自分自身の操作能力の低下でしたのにパソコンの故障と父は思い込み、私を通してパソコンの修理を頼んできました。そこで私は、パソコンの修理を依頼したふりをしておりました。しかし父は、「修理がなかなか来ない」と言って、お隣の電気店に行き「修理の手紙を出して下さい」と頼みに行ってしまいました。「私への不信感」が芽生え始めていたのでしょうか…。
 お隣の方の機転により手紙は父には内緒でこっそり返却されましたが、父の病状をご近所の方には伝えておりませんでしたので、さぞかしお隣の方は驚かれたことと思います。
 また2010年春、父は車の接触事故を同じ日に2回も起こしました。視空間機能・判断力の低下などが事故という形になって表れてきたのです。運転は危険と判断し、父と相談のうえで、父が17年間愛用したカローラの廃車処分をすることにしました。
 車は、2010年夏の暑い日、父が昼寝をしている最中に持って行かれました。
 昼寝から覚めて、車が無くなっていることに気づいた父は、「車に最後のお別れをしたかったのに!」と非常に残念がっておりました。父も納得して廃車を決めたので、わざわざ昼寝の最中に起こすこともないだろうと軽率に考えてしまったことを私はとっても後悔しました。
 故・小澤勲先生の「老人にとって、物には人生が詰まっているのである。単なる物ではない。」という言葉が重く胸に響いた瞬間でした。

 父の介護の最中、2010年9月28日に『ひょっとして認知症? Part1』の連載をスタートしました。しかし長きに渡って、私は父の認知機能低下について読者の皆さんにお伝えすることができませんでした。
 2010年12月1日の『ひょっとして認知症? Part1』第14回ブログ『叱ってはいけない!』においては以下のようなことも書きました。
 認知症の介護で一番困ることの一つに、患者さんがあることに「こだわり続ける」ということが挙げられると思います。こだわってそこから抜け出せず、周囲が説明し説得したり否定したりすればするほど、逆にこだわり続けるという特徴があり介護者は困り果てます。例えば、こんな介護相談事例がありました。

患者 「パソコンの中に石像が積み重ねられている。あれを取ってくれ!」
介護者 パソコンを起動して、モニタの中に石像がないことを指摘する。
患者 「今は、石像は見えないが、あるんや! 取ってくれ!」
介護者 「見えないものを取りようがないやんか!」と声を荒げてしまう。
患者 「パソコンの会社に、修理依頼の手紙を書いてくれ!」
介護者 「分かった。書くわ…!」

 認知症の妄想に対する介護の基本は、否定や訂正をすると自分の体験が信じてもらえない不安感や怒りにより妄想が悪化し、興奮・混乱を引き起こすことが多いため、「否定もせず肯定もしない態度」で接することです。

 お分かりのように、上記で登場した「介護者」とは、私自身です。当時は、相談が寄せられた事例紹介のような形でブログで紹介しております

Facebookコメント
 エスポアール出雲クリニックの高橋先生が、2013年の老年精神医学雑誌12月号の「巻頭言」で素晴らしいご意見を述べておられますのでご紹介したいと思います。
 高橋幸男先生の主な業績の一つは、シリーズ第148回「認知症のケア─怒っていい」といわれれば怒らなくなる」のFacebookコメントにおいてご紹介しましたね。以下に再掲しましょう。
 2013年5月17日に放送されましたNHKニュースウオッチ9においては、「叱らないケア」の重要性について分かりやすく報道されました。
 番組の中で高橋幸男院長は、以下のようなことを述べておられましたね。
 「認知症の人は、言葉の内容を理解する力が低下しているため、介護者の真剣な表情や口調が認知症の人にとってストレスになる。介護者からの『励まし』は認知症の本人にとっては「叱られている」と受けとめられ、介護者の『愛』が逆に妄想や混乱を生む要因となることがある。」
 この叱らない介護によって、「7割以上で改善がみられた」と番組は締め括っておりました。

【高橋幸男:認知症の人の「寄る辺なさ」に寄り添う精神科医療. 老年精神医学雑誌 Vol.24 1222-1223】
 認知症医療における精神科の役割としては、認知症の行動・心理症状(BPSD)への対応が最も重要であろう。最近は、抗認知症薬の対BPSD効果を謳う報告がにぎやかであるが、精神科らしい対応はどうあればよいのだろうか。
 いうまでもなく、BPSDは身体の不調などを原因とする場合もあるが、多くは認知症の人と周囲の状況との関係性で発生するものである。私たちの経験(著しいBPSDをもつ認知症者を対象とする“重度認知症患者デイケア”を20年間行ってきた)では、BPSDは、家庭では困難が大きくても、デイケアではほとんどの場合問題にならなかった。つまりBPSDの多くは、介護者などの身近な人との間で顕在化しやすい。たとえば認知症の妄想は、ほとんどの場合、家族などの親密な人をめぐって出現する。あるいは興奮し暴力の対象になるのも身近にいる人である。そういう人がデイケアでは別人のように穏やかになるのである。もちろんよい医療・ケアがなされているからでもある(抗認知症薬が登場する前からの経験であり、抗認知症薬の効果ではない)。
 そうであるならば、BPSDへの精神科らしい対応は、認知症の人がどのような思いで暮らしているのか、身近な人など周囲の人との間でどのような事態が起こっているのかなどについて知る必要があるだろう。認知症の人の思いを知ることができれば、BPSDへの対応の道筋がみえてくるはずである。
 そのような思いもあり、筆者は認知症の人の言葉(つぶやきや手記)に注目してきた。記録された多くの言葉から導かれたことは、認知症の経過にはほとんどの事例に共通する社会心理的な特徴があり、BPSDの発現に至る仕組みがあることであった。以下、簡単に述べてみたい。

認知症になりゆく社会心理的経過“からくり”
 ほとんどの認知症の人たちは、中核症状の進行を嘆き、不安や戸惑いを感じている。落ち込み、自信をなくす人も珍しくない。しかし認知症の人たちがそれ以上につらく不安に感じていることは、認知症を病むことによって自分と地域や家庭など、周囲の人たちとの関係性が、認知症になる前とは違った状況になることである。多くの認知症の人は思い悩んでいる。
 実際に、認知症になりゆく過程は、周囲の会話についていけず、友人や家族などの身近な人とのさりげなく温かい会話が減り、一人取り残された感じをもつようになる。友人や近所の人との付き合いがなくなるが、家族のなかにいても孤立感・孤独感が日々募り、気がつくと愛しい家族に囲まれていても寄る辺ない状態になっている。公私とも役割を奪われ、居場所も失いやすい。
 つながりをなくし、寄る辺ない認知症の人を周囲は理解していない。むしろ本人にとってはつらい対応をしてしまう。多くの場合、身近な人は中核症状を黙って受け入れられない。「違うでしょ」「こうするんでしょ」などと励まし・願望を込めて指摘をしてしまう。認知症の人は、BPSD発現よりかなり前からそれらの指摘を「叱られている」と受け止めるが、周囲には「叱っている」意識はない。
 時間が経つにつれて、本人よりも介護している側が苛立ちやすく、多くの介護者は、眉間に皺を寄せて励ます(叱る)ようになる。認知症の人は、寄る辺ない状態で、(怖い顔で)叱られ続けることになるが、しだいに追い込まれて、限界を超えたときにBPSDを示すようになる。BPSDが発現すると家族も戸惑い、叱責してしまい、BPSDはさらに悪化するという悪循環に陥る。結果的に介護者も疲れ果て、うつ状態になることも珍しくない。
 このような社会心理的経過を、私たちは“からくり”と呼んでいるが、認知症の種類や、家族関係の善し悪しを問わず“からくり”にはだれもがはまりやすい。どのようなBPSDにつながりやすいかは、性差、性格、家族関係などを知ることである程度予想もつく。
 BPSDは寄る辺ない認知症の人の叫びであるが、“からくり”を確かめることで、BPSDの成り立ちや症状の意味を理解しやすく、BPSDの対応についての道筋がつき、本人も家族も安心することが多い。
 BPSDを軽くするためにも、本人と家族とともに対処法を話し合う意味は大きい。それは、認知症の人の寄る辺なさを知って、いかに寄り添うかということでもある。身近な人とのつながりを取り戻すために、周囲の人がコミュニケーションを図ることと、励ましの指摘は減らすことが重要なのである。
 認知症は脳の病であるが対人関係の病でもある。BPSDに対する精神科らしい対応は、認知症の精神病理などの研究・実践がもっとなされてもよいと思うのだが、どうだろうか。
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