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延命治療方針に影響する日本人の“こころ” [終末期医療]

延命治療方針に影響する日本人の“こころ”

 私が会田薫子先生の本を読み、一番強く印象に残っている部分、それは、以下の記述です。

延命は家族のため―家族の心情による臨床上の意思決定
♯25医師の意見:
 「ある意味ね、日本人はですね、そういう状態になったときは本人の幸せよりも家族の想いなんですよ。家族の想いのなかで生きなきゃならないというのが、やはり欧米人との一番の違いなんじゃないですか。これぞねえ、文化なんですよ。亡くなるというのはね、そのことが家族に受け入れられるまでの時間が必ずいるんですよね。その時間を作るためにも人工栄養は必要だと。ご本人が自分で意思表明ができなくなればね、そこから先はやはり、家族のなかで生きていかなきゃいけないんですよ。患者さんはやっぱり基本的にはご家族の、日本ではご家族のものですから、ね」(会田薫子:延命治療と臨床現場-人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学. 東京大学出版会, 2011, p180)

私の感想
 私も♯25医師の意見、スッと共感できます。
 なぜなら、私も、父の終末期に、「終末期」だと受けとめるのにある一定の時間を要したからです。
 以下にそのことについて言及しております朝日新聞アピタルの「ひょっとして認知症-PartⅡ」第106~107回原稿、『終末期への対応』(2013年4月10~11日公開)をご紹介致します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第106回『終末期への対応 患者に代わる意思決定は非常につらい』(2013年4月10日公開)
 東京ふれあい医療生協梶原診療所在宅サポートセンター長の平原佐斗司医師も実際の延命治療の選択においては、その国の文化的な基盤が影響することを指摘しております。
 「患者本人に代わる意思決定を行った代理人の3分の1超に、精神的に負の影響を受けているという報告(Wendler D, Rid A:Systematic Review: The effect on surrogates of making treatment decisions for others. Annals of Internal Medicine Vol.154 336-346 2011)があります。家族にとって、肉親の命に関する決定を強いられることは非常につらい経験です。末期の時期の家族支援は、患者とともに歩く家族を最期まで支え、患者の死後も生きていく家族に心の傷が残らず、自分の人生を生きていくことが容易になるようにすることです。
 実際の延命治療の選択は、その国の文化的な基盤が影響します。米国のホスピスでは、ホスピスプログラムに入るときに十分な説明を行ったうえで、胃瘻などの経管栄養はもちろん、末梢輸液も含めて延命治療は一切行わず自然の経過で看取りを行っています。
 日本では、末期認知症患者が飲み込めなくなったときには、末梢輸液や皮下輸液を希望する家族が少なくありません。家族は、患者が末期となり嚥下反射が消失した時期に、無理をして食べさせようとすることが肉親を苦しめることになることを目のあたりにします。そして、自分が食べさせることを断念することが肉親の死をもたらすというジレンマのなかで家族は苦悩します。
 このとき、末梢輸液や皮下輸液を選択することによって、家族は自分が食べさせないことが直接患者の死をもたらすわけではないと考えることができます。末梢輸液や皮下輸液を行っている2、3か月の間に、最期の看取りケアを行うなかで、家族は肉親の死を受け入れていくのです。」(平原佐斗司編著:認知症ステージアプローチ入門─早期診断、BPSDの対応から緩和ケアまで 中央法規, 東京, 2013, pp307-327)

 私は、父(2010年10月21日永眠)が亡くなる1年前の2009年8月6日に父(当時86歳)から事前指示書を渡されました。そこには、「延命治療はして欲しくない」との意向が明記してありました。その翌年の2010年春、父は車の接触事故を同じ日に二度も起こしました。認知障害が出現し始めてきたのです。それでも5月頃まではパソコンでインターネットも楽しんでおりました。
 2010年の夏はひときわ暑かったせいもあったのか、夏頃より食欲が極度に低下し体重減少も目立ってきました。本人は入院治療を望んでおりませんでしたが在宅医療での回復は望めないと私は判断し、2010年10月14日に入院となりました。
 2010年10月15日、朝日新聞生活面に、辻外記子記者が書かれた『最期の治療 事前に指示書』というタイトルの記事が出ました。
 まさに「事前指示書」絡みの問題で思案している真っ最中でしたので、10月15日朝日新聞社医療面のアドレス宛に一通のメールを送信しました。そのメールの内容を、一部改変して以下にご紹介します。
 「終末期をどう過ごしたいのか? もちろん、本人の意向は尊重されるべきです。しかし、残念ながら日本では、死生観を確立する機会が少ないのが現状だと思います。そのため、元気なうちに『事前指示書』を記載している方は極めて稀です。
 私の父が衰弱して入院した当日、主治医の先生から、『挿管はどうされますか?』と質問されましたので、『実は、事前指示書を父から受け取っています。本人の意向は、延命治療はして欲しくないという意向です。しかし、今、治療することが延命治療的な意味合いが強いのか、回復のための治療なのか判断に迷いますので…』と言葉を濁し、延命治療に関する明言を避けました。
 医師でも、終末期であるのかどうかの判断に迷うことは多々あります。『事前指示書』を書いたからそれで終了(最終意向)ということではなく、折に触れて意向を確認し、また、病状が変化するたびに修正を加えていくという姿勢が求められるのだと思います。
 入院して間もない家族にとっては、『終末期に延命治療をしない』という選択肢を選ぶことは、非常に辛い選択となります。私も、父の事前指示書をどの程度『尊重』するのか未だに決めかねています。」


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第107回『終末期への対応 「延命措置は一切お断り」という事前指示書』(2013年4月11日公開)
 後日、私が亡父から「事前指示書」を手渡され葛藤した日々の様子は、朝日新聞・患者を生きる「命のともしび・事前指示書」(2011年1月18日~23日掲載)において連載されました。記事内容は、ウェブ新書(http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/apital/product/2013020700004.html)にてお読み頂くことができます。
 この連載の中で、私は以下のように語っています。
 「本当に『終末』と納得できたなら、迷わず指示書に従う。でも指示書があることと、家族が『終末期』と認めることは別問題だ。」

 亡父が書いた事前指示書には、「死期が迫っていると診断された場合、延命措置は一切お断り致します」と明記してありました。
 私は父の担当医師に、父が書いた事前指示書を入院3日目(2010年10月16日土曜)に渡しました。
 渡す際に、「延命措置を完全にやらないのではなくて、救命できるものならば、気管内挿管をしての呼吸器装着もお願いします」、「導入して頂いた完全静脈栄養(Total Parenteral Nutrition;TPN)は、長期間は続けられないと思いますので、18日月曜日の胃内視鏡検査(胃カメラ)が問題がなければ、胃瘻造設に関してもご検討いただければ…と思っています」と言い添えました。
 入院して一週間後の2010年10月21日早朝、父が入院している病院から1本の電話が入りました。
 「お父さんの脈拍が30くらいで、呼吸が止まっています。すぐに来て下さい。」
 予想していなかった急な呼吸停止に陥ったのです。
 その電話連絡を受けたとき、「傍にいて看取ってやれない」、「人工呼吸器の装着をお願いすれば、臨終の場に立ち会える可能性はあるかも…」といった数々の思いが私の頭の中を駆け巡りました。
 そんな私の最後の願いを制止したのは、父が書いた「事前指示書」の存在でした。私は病院に向かう途中で、病院に連絡を入れました。
 「本人の事前指示でもありますから、人工呼吸器は装着しなくてよいです。」
 最後の最後は、父の意向を尊重しました
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