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愛という名の支配 [終末期医療]

高山義浩先生と医学生の会話

 高山義浩先生と医学生の会話(https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=997883340265173&id=100001305489071)、かなり興味深い話が出てきますよ。
 例えば以下の部分です。

高山先生:
 「そういや、君、マザーテレサの施設でボランティアしたことがあるって言ってたよね」

医学生:
 「ええ、昨年、カルカッタの『死を待つ人々の家』に行ってきました」

高山先生:
 「僕も活動したことがあるよ。20年も前のことだけどね。ところで、今でも入所者が水を飲む時間って決められてるの?」

医学生:
 「そうですね。食事の時間、シャワーの時間、トイレの時間、それに水を飲む時間も決められてました」

高山先生:
 「あんなのはケアじゃない。シスターによる支配だ。そう思わなかったか?」


 高山義浩先生の鋭い視点、いつも感動しています。
 以前私が執筆担当しておりました朝日新聞社アピタルの医療ブログ「ひょっとして認知症?」第108回において、「愛という名の支配」について言及したことがありますので以下にご紹介致します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第108回『終末期への対応 「愛という名の支配」ではないのか』(2013年4月12日公開)
 最近発行された老年医学雑誌において、「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン─人工的水分・栄養補給の導入を中心として」(2012年6月27日)の起草・推敲を担当した東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター上廣講座の清水哲郎特任教授が書かれた印象深い文言を見つけました。
 「家族は本人と非常に近い間柄である。だからその関係には、互いに相手のために一所懸命になる、という麗しい面とともに、相手の意思を軽視して、家族が本人にとってよいと思ったことを押しつけるといったこと─『愛という名の支配』─もあるのだということに留意して、時には、本人の最善のために、家族に対して本人を擁護する役割が医療・介護従事者に期待されることもある。」(清水哲郎:意思決定プロセスの共同性と人生優位の視点─日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」の立場─. Geriatric Medicine Vol.50 1387-1393 2012)
 父に対して、胃瘻造設も検討した私の姿は、まさしく、「愛という名の支配」であったのかも知れませんね。
 なお、「死に目に会う」ことを重んじる慣習について、東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター 上廣死生学・応用倫理講座の清水哲郎特任教授と会田薫子特任准教授は、週刊医学界新聞の座談会「終末期の“物語り”を充実させる─『情報共有・合意モデル』に基づく意思決定とは」(2013年2月4日付週刊医学界新聞・第3013号 1-3)において興味深い話を紹介されております(http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03013_01)。
会田:
 「以前、ある訪問看護師から聞いた『患者さんの“死に目に会う”ことより、亡くなるまでのプロセスにしっかりかかわれたことが大事』という言葉が印象的でした。日本では『死に目に会う』、つまり最期の瞬間に立ち会うことを重んじる慣習があるので、普段訪問している看護師であるからこそ、患者さんの亡くなる瞬間には立ち会いたいものかと思っていたのですが、そうではないというのです。」
清水:
 「本人に寄り添ってケアのプロセスをたどってきた方は、『死に目に会う』かどうかにあまりこだわらない傾向があるように思います。本人とのつながりが安定しているからではないかと思うのですが。」
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