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代行判断にまつわる諸問題 [終末期医療]

6月18日

 丹野さん、吉田さんの講演会で、10分間だけお時間を頂き前座を務めさせて頂くことになりました。
 「認知症の終末期医療に本人の意向をどう反映させるのか」というテーマで5分間講演し、5分間の質疑応答に臨みたいと思います。



6月18日の講演会で問いかけたいこと

 雨でテニスもできないので、今日(2016.6.5)は6月18日の準備をしておきます。

 講演会での配付資料は2枚だけです。
 5分間ですから絞り込む必要があります。
 「認知症の終末期医療に本人の意向をどう反映させるのか」というテーマで話したら、1時間あっても2時間あっても議論が尽きないのは明白なので、逆に、5分くらいが良いのかも知れませんね。
 急遽、前座として差し込んでもらった経緯ですので、10分間お時間を頂けるだけでとっても有難いことだと思っています。

1枚目資料(患者を生きる─命のともしび)
 父が「延命措置お断り」という事前指示書を書いて私に託していたにも関わらず、私が、「もう終末期?」という思いから、「治療」という道を選択した経緯をお話したいと思います。
 しかし、最後の最後、人工呼吸器の装着は望まなかった。最後は父の事前指示書に従った。
 事前指示書の存在があることは、家族の辛い選択を後押ししてくれるんじゃないか・・。
2枚目資料(最期の医療)
 終末期医療の現状を伝えたい。
 現場では、本人の意向によらない家族の希望or医師の考えが反映されがち。しかし、それは「代行判断」じゃない!


 代行判断の諸問題は以下に示します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第127回『終末期への対応 家族の意思だけで決めることはできない』(2013年5月1日公開)
 東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野の箕岡真子医師は、「日本では厚生労働省による終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン(2007年5月)がある。患者意思・事前指示の尊重→患者意思の推定→最善の利益判断の順になっている。」「事前指示(アドバンス・ディレクティブ):事前指示とは、『意思能力の正常な人が、将来、判断能力を失った場合に備えて、治療に関する指示(治療内容、代理判断者の指名など)を事前に与えておくこと』である。事前指示は、認知機能が正常であった以前のその人の自己決定の権利を延長するものであり、また、医療関係者や家族などは、認知症の人が意思能力のある時点でした決定をできるだけ尊重する義務がある。」(箕岡真子:認知症の終末期ケアにおける倫理的視点. 日本認知症ケア学会誌 Vol.11 448-454 2012)と述べています。
 では実際にはどの程度の人が、「胃ろう」を希望するのでしょうか。東京都立松沢病院精神科の新里和弘医師らは、認知機能が衰えた人に直接質問して意向を調査し、その結果を以下のように報告している(新里和弘、大井 玄:認知能力の衰えた人の「胃ろう」造設に対する反応. Dementia Japan Vol.27 70-80 2013)。
 「今日わが国では、胃ろう造設者は2010年の時点で約56万人に及ぶ(会田, 2011)。特に重度認知症者への適応が社会問題となっている。本研究では胃ろう導入の意向を、認知機能が衰えた人自身に直接質問したものである。対象は男性29名、女性41名の計70名(平均80.7±7.1歳)、診断はアルツハイマー型認知症が最も多く(53%)、70名の平均HDS-Rの得点は14.3±6.4点であった。結果として、胃ろう造設を希望したものはおらず、『いやだ』、『されません』など積極的に胃ろうを拒否した者が70名中57名(81.4%)に及んだ。約5%の患者が胃ろうを承諾したが、全例が医師の判断に委ねる消極的承諾であった。」(一部改変)

 さて、代行判断(患者意思の推定)とは、「現在意思能力がない患者が、もし当該状況において意思能力があるとしたら行ったであろう決定を代理判断者が推定すること」です。
 箕岡真子医師は、本人の意思の推定ができない場合の問題点についても言及しております。
 「事前指示もなく、本人の意思の推定もできない場合、家族の意思だけで治療方針を決定してよいのでしょうか。原則的には、患者自身の意思表示(事前指示も含む)がない場合には、標準的治療が実施されます。しかし、事前指示がなければ、『すべての延命治療を望んでいる』と推定するのも現実的ではありません。」(箕岡真子:認知症ケアの倫理 ワールドプランニング発行, 東京, 2010, pp114-115)
 箕岡真子医師は、「何が患者の『最善の利益』なのかを判断するにあたっては、家族や医師、看護師、介護担当者などの関係者が互いにコミュニケーションを深め、十分に話し合いをし、独断を避けることが重要である。」(箕岡真子:認知症の終末期ケアにおける倫理的視点. 日本認知症ケア学会誌 Vol.11 448-454 2012)と指摘しています。
 「最善の利益判断」を決定するに際しては、どのような視点が重視されるべきなのでしょうか。その点に関して、梶原診療所在宅サポートセンターの平原佐斗司医師は、「ご家族の意思決定を医師が支援するという役割はかなり大きいと思います。自分の肉親の命をご家族が決めるというのはかなり負担の大きなことなので、医療者がそれを支えることは絶対に必要です。そのときには、胃瘻をしたらどのぐらい生きるかといったエビデンスの話よりも、患者さんの価値観だったり、これまでの人生を振り返って、何がご本人の幸せかということについて話をしていく。できるだけコンセンサスをつくっていくようなアプローチがとても大事です。」(平原佐斗司 他:座談会・非専門医がどのように認知症に向き合ったらよいか? 内科 Vol.109 847-860 2012)と述べており、患者さんの価値観を重んじることが大切であると指摘しています。
 なお、現状においては、「本人の意思が不明な場合、家族の意思だけで、延命治療を行わずに『看取り』に入ることが法的に適切かどうかは、将来的な法的判断を待たなければならないでしょう。」(箕岡真子:認知症ケアの倫理 ワールドプランニング発行, 東京, 2010, p134)という側面があることも事実です。
 そして、多くの終末期医療に関するガイドラインは、「患者の意思・事前指示が確認できる場合はそれを尊重する」としており、延命医療に関する自分自身の意向を事前に表明しておく「事前指示書」が何よりも重要視されるのです。

Facebookコメント
 独立行政法人国立長寿医療研究センターの三浦久幸在宅医療支援診療部長は、「認知症の場合は、もともとのその人の生き様、認知症になる前の意思を十分に考慮しつつ、現在の人生の質(QOL)を考えていくことになりますので、認知症が進行したその時点の言葉をもって、生命予後を左右する事項について『意思決定した』と理解することはできません。このため、自分の医療に対する意思表示は、末期に近い意思決定よりは、認知症になる前、あるいは認知症になっても判断能力が十分にある早い時期に行っておく必要があり、それは最も意味があって尊重されるべき意思決定だと思います。」と述べております(新・私が決める尊厳死 「不治かつ末期」の具体的提案 日本尊厳死協会, 名古屋, 2013, pp79-93)。
 そうなってきますと、アルツハイマー病の比較的初期の段階で、予後予測も含めて「告知」することが必要となってくるということになりますね。
 となると、初期段階で「正確にアルツハイマー病を診断する」というたいへん困難な課題が当然のように要求されることになるわけです。
 なぜ困難なのか? 具体的には、第76回『軽度認知障害 進行がとてもゆっくりなケース』(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013030600007.html)においてご紹介したSD-NFTなど、初期の段階では鑑別することが難しい疾患が歴然と存在しているからなのです。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第122回『終末期への対応 「終末期にしないで」と「生かし続けないで」』(2013年4月26日公開)
 最近、延命措置を差し控えたり中止を希望する意向をお聞きする機会が増えてきたように感じております。新聞などで終末期医療に関する話題が取り上げられる機会が多くなり、啓蒙が徐々に進んでいるためではないでしょうか。
 例えばこんな事例がありました。患者さんは高齢女性(80歳代後半)であり、2012年3月に発症した脳梗塞により左半身麻痺となり寝たきりの状態です。また、脳梗塞による嚥下障害のため経鼻経管栄養を実施しております。しかし、言語機能は保たれており、「おはよう」としっかり返事してくれます。
 2012年8月に肺炎を併発し抗生物質による治療を施行した際の話し合いの中で、ご家族より経管栄養の継続を中止してほしいとの意向をお聞きしました。
 私の立場は小此木清弁護士と同様に、「高齢者が、脳梗塞等を発症し経口摂取が困難な状況になった場合、ただちに終末期として延命医療の問題とすることはできないはずである。」という考えに立っております。すなわち、脳梗塞による嚥下障害は、仮に病状が「不可逆的」な状態(病状固定)に陥っていたとしても、決して「進行性」ではありません。経管栄養を継続すれば、「進行の阻止」は可能な状況です。すなわち、終末期とは考えられないわけです。私はご家族に、「終末期ではないので経管栄養は中止できません」とその理由を説明致しました。この患者さんは今も榊原白鳳病院に入院中であり、毎朝私に「おはよう」と返事してくれます。
 ではもしこの事例の基礎疾患がアルツハイマー病であった場合はどうでしょうか。FAST分類7d(着座能力の喪失)で嚥下障害がありますので、海外学術誌の定義に照らし合わせれば、「終末期」と判断されます。
 そして事前指示書があれば、本人の意向に沿って治療が差し控えられることもあるかも知れません。事前指示書がなければ、代行判断(患者意思の推定)がされることになります。
 代行判断に際しては、「本人以外の家族などとの話し合いにおいては、家族が常に正当な代理人であるとは限らないので、家族自身の希望と患者の意向の代弁とを明確に区別する必要がある。」(飯島 節:高齢者の終末期医療およびケア─日本老年医学会の立場から. 老年精神医学雑誌 Vol.23 1225-1231 2012)ことに留意する必要があります。それは、「家族の意向を尊重するにしても、家族には経済的・精神的負担という思惑が入り込む危険性があるので、あくまでも高齢者本人の尊厳に十分配慮することが重要となる。」(小此木 清:高齢者の終末期医療をめぐる法的諸問題 高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン─人工的水分・栄養補給の導入を中心として. 老年精神医学雑誌 Vol.23 1218-1224 2012)からです。
 代行判断も困難であれば、代理人を含めた関係者において最善の利益判断が実施されることになります。その場合には、病棟スタッフだけの判断ではなく、終末期の医療やケアについて議論する倫理委員会またはそれに相当する委員会を設置することも求められるでしょう。
 なお、「法的には『家族の定義』も定まったものではない。したがって、ただ、家族だからといって、当然には代理判断ができるわけではない」(箕岡真子:認知症高齢者の終末期医療における倫理的課題. Geriatric Medicine Vol.50 1407-1410 2012)という点にも留意しておく必要があります。
 ですから、延命措置を差し控えたり中止を行う場合には、かなり多くの行程を求められております。日本老年医学会の「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン─人工的水分・栄養補給の導入を中心として」が発表され、プロセスが明確にされたことで大きな一歩は踏み出されました。しかし、そのプロセスを遵守するあまり、阿吽の呼吸による「静かな最期」が困難になってしまったと感じている医師は多いのかも知れませんね。そして、私もその一人のような気がします。
 私の脳裏には、患者さんの「勝手に終末期にしないでくれ!」という声と、「勝手に生かし続けないでくれ!」という二つの心の声が響いており、今でも葛藤が続いております。

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 過日ご紹介しました2013年4月21日放送のNHKスペシャル「家で親を看取る」(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20130421)において、「最善の利益判断」を話し合う場面が映し出されましたね。
 ご家族、在宅医の沖田将人医師を中心として、関係者11人が集まって話し合った場面です。
 こういった情景が映像として流されたのは、私の知り限りにおいては初めてのことだと思います。
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