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筋萎縮性側索硬化症(ALS) [終末期医療]

家族に気兼ねし、死を選ぶ社会とは(2012.11.16)

 政策に切り込んだ社会派番組から抒情豊かな作品まで、山陰放送記者の谷田人司さんは、その掘り下げた仕事ぶりが高く評価されていました。
 その谷田さんに、07年、不治の病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)が襲いかかりました。視力、聴力、感覚、知力が保たれているのに、手足や喉、舌を動かす筋肉が痩せ細り、最後には呼吸筋が動かなくなって死に至る恐ろしい病気です。
 人工呼吸器をつければ寿命を全うできますが、日本では生きることを諦め、つけない人が7割と推定されています。理由の多くは「介護の負担で家族に迷惑をかけるのがつらい」。
 ところが、デンマークの友人たちに聞くと、「考えられない」という答えが返ってきました。家族や友人の精神的な支えは大切だとしつつ、介護や看護の公的な支えが当たり前とされているからです。
 谷田夫妻は、2年目から人工呼吸器をつけ、障害者自立支援法などを活用し、デンマークに近い24時間対応のサービスを受けています。わずかに動く指でパソコンを打ち、培った人脈を生かして企画を提案。山陰放送は、谷田さんを社員として遇し続けています。

 東日本大震災が起きた時、谷田さんは被災したALSの先輩、土屋雅史さんを取材しようと思い立ちました。メールで交通機関の手配や取材交渉を進め、バッテリーを載せた車いすで仙台へ向かいました。「記者の意地です」。
 取材で谷田さんは、震災で停電が5日も続く中、近所の人たちが発電機やガソリンを持ち寄り、交替で手動の呼吸器を動かし、土屋さんの命をつないだことを知ります。「1日を大事に生きれば良い」という土屋夫妻の言葉に、谷田さんは「共に生きる意義を再認識しました」と振り返りました。
 ALSが進行すると、体のどこも動かず、全く意思表示できない完全閉じこめ症候群(TLS)になる可能性があります。それでも生きることに意味があるのか――。
 答えを探しに、谷田さんは東京都小金井市の鴨下雅之さん一家を訪ねました。雅之さんは家族にとってかけがえのない夫であり、父親であり続けていました。妻の章子さんは「遺影に言うのとは違う。聞いてもらえていると信じているので、幸せです」と語りました。

 その取材の一部始終を、後輩のディレクター佐藤泰正さんたちが、「生きることを選んで」という番組にまとめ、2月に放送しました。この記者魂に、第一回の日本医学ジャーナリスト協会大賞が贈られました。「家族への気兼ねから死を選ぶことのない社会にするための捨て石になれれば」という谷田さんの言葉が、重く響きました。
 【大熊由紀子:誇り・味方・居場所─私の社会保障論. ライフサポート社, 横浜, 2016, pp136-139】

私の感想:
 素晴らしい内容でしたのでこの節に関しては省略せずに全文ご紹介させて頂きました。
 認知症終末期の意向におきましても、「家族に気兼ねして胃ろうを拒否しているのではないか」という意見がしばしば指摘されます。何を持ってご本人の意向(「自己決定」)とするのか非常に難しい部分でもあります。
 三重大学認知症医療学講座の佐藤正之准教授がALSに関する非常に印象深い記述をされておりますので以下にご紹介致します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第433回『加齢とからだ、加齢と知能─「体という牢獄に閉じ込められた精神」という疾患』(2014年3月14日公開)
 読者の皆さんにとっては、ALSという疾患のイメージはなかなか把握しにくいと思います。
 三重大学認知症医療学講座の佐藤正之准教授が書かれた著書の中には、ALS患者さんの症状に関する詳細な記述がされておりますので以下にご紹介して本稿を閉じたいと思います(佐藤正之:カルテと楽譜の間から─音楽家くずれの医者の随想 新風書房, 大阪, 2011, pp53-54)。
 「『ALS。日本名、筋萎縮性側索硬化症』
人間の体は、脳や脊髄にある運動神経細胞からの命令が筋肉に達することにより動く。ALSは、その運動神経細胞が消失してしまう疾病である。呼吸や会話、飲み込みを含めて、運動という名のつくものは全て、筋肉が収縮することにより達成される。その筋肉を動かしている神経細胞がなくなるということは、筋肉に命令が届かなくなることを意味する。最終的には全身が細って骨と皮だけとなり、眼球の動きと大小便の括約筋が保たれる外は、飲み込むことも、しやべることも、指一本動かすこともできなくなってしまう。そして何よりも、空気を肺に吸い込むための呼吸筋も麻痺するため、息をすることができなくなる。病気の原因は不明で、現在根本的な治療法はない。対症療法として、飲み込みが不可能になると、鼻から胃にチューブを通したり、或いはお腹に穴を開けてチューブを入れ、流動食を流し込む。一番の問題は呼吸である。呼吸筋の萎縮が進むにつれ、少し動いただけでも息切れするようになり、やがてじっと横になっていても息苦しさが取れなくなる。いわば数カ月間、数年かかってじわりじわりと真綿で首を締め続けられる状態である。治療として、気管切開をして首の付け根に穴を開けて人工呼吸器を装着すると息苦しさからは開放される。一方、肺や心臓など内臓の機能は正常で、脳も運動神経細胞以外は正常なまま保たれるので、意識や思考、感覚も健常時と全く変わらない。つまり、一旦人工呼吸器を着けたが最後、患者はベッドの上で次第に衰えていく自らの身体を、透徹した頭脳で直視し続けなくてならない。体中の筋肉が動かなくなっても何故か眼球を動かす筋肉だけは残るので、近年では特殊なワープロを使うと眼球の動きによって意志伝達できるようになった。しかし、まんじりとも動くことができずに身を横たえ、数年、十数年と生き続ける状態は、想像するだけでも痛ましい。患者の多くは、まだ元気なうちは『自分には呼吸器を着けないで欲しい』と言う。しかし殆どの人は、半分首を締められ窒息寸前の状態が何週間も続くと、苦しみに耐え切れず、或いは苦しむ姿を見るに見かねた家族が懇願して、人工呼吸器を着ける。当然息は楽になるのだが、生ある限り二度と呼吸器から離れられず、体という牢獄に閉じ込められた精神とも呼べる状態に直面し、後悔と自責の念に駆られる。」
 佐藤正之先生の患者さんに対する優しさが随所にじみ出ている著書です。一般書店では販売していないと思いますので、お読みになりたい方は出版社(新風書房:06-6768-4600)にお問い合わせ下さいね。
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