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かあさんの家 [終末期医療]

家庭的な場でぬくもりある旅立ち(2012.5.4)

 サルの世界にも文化があり、若い世代から群れ全体に広がり、受け継がれていく── 世界的なこの発見の端緒をつくった三戸サツエさんは、私の憧れでした。宮崎県串間市で小学校教師のかたわら、サルの観察を続け、文化の伝承に気づいたのでした。
 そのサツエさんが95歳の時、脳梗塞で倒れました。病院で鼻や勝胱に管を挿入され、外さないように手足をベッドに縛られました。口を固く結んで水も飲もうとしないサツエさん。「死のうとしている」と直感した70歳の娘さんは宮崎市のホームホスピス「かあさんの家」の市原美穂さんに泣いて頼みました。
 それから2年後の昨年夏、私が訪ねた時は、サツエさんは口から食べ、笑顔を取り戻していました。 (以下省略)
 【大熊由紀子:誇り・味方・居場所─私の社会保障論. ライフサポート社, 横浜, 2016, pp108-111】

私の感想
 三戸サツエさんの物語は、朝日新聞の連載「患者を生きる」・命のともしびの中でも非常に強く残っているシリーズです。東日本大震災で連載が中断したシリーズでもあります。
 それを私がアピタルで紹介したものを以下にご紹介いたします。
 
朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第308回『死を覚悟・治療や食事を拒む─治療の道を選択』(2013年11月8日公開)
 朝日新聞の連載「患者を生きる」・命のともしびの『かあさんの家で(2011年3月8日~11日&3月17~18日掲載)』は、いろいろと考えさせられるシリーズでした。
 特に2011年3月10日の紙面(かあさんの家で・3)に書かれた文字からは強いインパクトを受けました。三戸サツエさん(95歳)は、自分自身の「死期」を悟り、栄養チューブ・点滴の管を自己抜去し、「みなさん、私はお先に行きます。あとはよろしく。幸せな人生でした。」と周囲に感謝の気持ちを伝えました
 私は、2010年10月に経験した亡父の介護経験がフラッシュバックのように思い出されました。父は入院した当日、私が自宅に入院に必要な物品を取りに行き、病院に戻ってくるまでのわずか30分程の間に点滴を自己抜去してしまい、ベッド柵を乗り越えてベッドの下に転落しておりました。点滴の液は床一面にこぼれておりました。慌てて看護師さんを呼んで来てもらい、父をベッドに戻し点滴を再度入れてもらいました。
 亡父が延命治療を望んでいなかったことは、父が記載し私に手渡した事前指示書の存在で明確でした。しかし私は、「父の状態は終末期とは言い切れない」と判断し、治療の道を選択しました。
 の日あの時、治療の道を選択したことについては、私は今でもそれで良かったと思っています。もし治療の道を選択していなかったら、「あの時もう少し前向きに治療していれば、もしかしたら今でも父は…」と後悔する日々をおくっていたことでしょう。  しかし、治療の道を選択したことで失外套症候群(メモ1参照)に陥り、胃ろうからの栄養管理を受け長年にも及ぶ要介護状態になっていたら…。私は父との約束を果たせなかったことを後悔する事態に陥っていたでしょう。
 救命目的で実施した医療行為が徐々に延命措置に移行していくケースは多々あります。それだけに「選択」は非常に難しいのが現状なのです。

メモ1:失外套症候群
 アルツハイマー病(AD)は進行性の疾患であり、やがては「失外套症候群」という状況に陥っていきます。
 失外套症候群とは、大脳皮質の広汎な機能障害によって不可逆的に大脳皮質機能が失われた状態です。しかし脳幹の機能は保たれており、瞬目反射は認められます。口に食物を入れてやると咀嚼して飲み込みます。分かっているかのように眼を動かしますが注視・追視は認められず、無動・無言の状態です。
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