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視空間機能障害、地誌的見当識障害 → 徘徊 [徘徊]

視空間機能障害、地誌的見当識障害 → 徘徊
 昨日、「想いを汲むことから聴くことへ」(http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-04-27-1)におきまして、「駅のホームで階段が歪んで見えるとき、昇りか降りかも分からなくなると知った。混雑するホームでどちらに行ったらよいか分からなくなるのは恐ろしい事態だ」(レビー小体型認知症. CLINICIAN Vol.63 no.648 2016年4月号 pp0-2)という記述をご紹介しましたね。
 そこで、「視空間機能障害」&「徘徊」について、アピタルの原稿から関連部分を拾い上げてご紹介しますね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第9回『認知症の中核症状に関する理解を深めましょう─視空間機能障害』(2012年12月20日公開)
 3番目は視空間機能障害です。従来の基準で、「失認」・「失行」とされた所見が視空間機能障害としてまとめられました。
 地理的障害(地誌的見当識障害)には街並失認(視覚性失認の一型)と道順障害(視空間失認の一型)があります。街並失認とは、街並(建物・風景)の同定障害であり、周囲の風景が道をたどるうえでの目印にならないために道に迷ってしまいます。
 自宅付近で道に迷うアルツハイマー病患者の病態としては、少なくとも初期には「道順障害」的な要素が大きいようです(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)。
 失認のある患者さんにおいては、お風呂の入り口に床の色と違うバスマットが敷いてあると、バスマットの部分が谷底のように見えてしまい、患者さんは「落ちてしまう」と感じ、渡れない(足が踏み出せない)と訴える現象が出現することもあります。このような症状を呈した場合には、バスマットをどける(谷底をなくす)か、床の色と同じ色のバスマットにするなどの対応が効果的です。
 また、視空間機能障害が出現してくると、車庫入れで車を擦ってしまうなどの影響も出てきます。
 失行とは、運動障害はなく、手や足が動くのに、まとまった動作や行為ができないことです。挨拶ができないとか、箸などの道具が使えない(箸を渡しても食事を摂取する動作ができない)、使い慣れた電化製品の使用がわからない、図形がうまく書けないなどの不都合が生じます。そのため、日常生活にも差し障りが出てきます。
 1995年に46歳で若年性認知症と診断されたクリスティーンさんは、視空間機能障害に絡んで以下のように語っています(一部改変)。
 「世界はグラグラした場所に感じられ、その空間の中で自分の体の各部分がどこにあるのかがわかりづらくなる
 液体の入ったコップをこぼさずに持つには大変な努力がいる。コップを見て、自分の体を見て、体がどうなっているか注意しなければならない…。こんな一見単純な作業にも、無数の動作と反応がある。私にとって、飲み物を運ぶのは相当難しい仕事になってしまった。私の体の各部分はどこにあるのか? コップはどこか? どうして注意して見ていないと中の液体がピチャピチャ跳ねるのか? どうしてテーブルの向こうへ運ぶ途中で突然物にぶつかってしまうのか? どうして手を伸ばすと物をひっくり返してシミをつくってしまうのか?
 それはちょうど競馬馬の目隠しをつけてトンネルをのぞいているような感じだ。周辺視野は狭くなり、まわりではっきりとした動きがあると、私はすぐにビクッと驚いてしまい、それまでの行動をじゃまされてしまう。まるでウインカーが点滅し続けているみたいだ。鏡の前を通ると、部屋の中に自分と一緒に知らない人がいると思って、跳び上がってしまうこともあるほどだ!
 台所や浴室では、よく物をひっくり返す。距離の判断を間違えて、物にぶつかってしまうのだ。模様に惑わされることもある。表面が滑らかでも模様のある床を歩くと、つまづいてしまうことがある。」(クリスティーン・ブライデン:私は私になっていく─痴呆とダンスを 馬籠久美子・桧垣陽子訳, クリエイツかもがわ, 2004, pp132-133)
 「私たちの不安が増大するひとつの理由は、道がわからない、自分が今いるところがわからないということだ。頭の中の地図をなくしたか、そうでなくとも、地図と自分の周囲の現実とが結びつかなくなってしまったようになる。だから自分の家のまわりの見慣れたところでない限り、誰かに道を案内してもらわなければならない。
 2000年5月、私はカウンセリング学位コースの一環として、バサーストの大学の寮にひとりで行った。それはまさに悪夢だった。寮からわずか50メートルほどしか離れていない学生食堂や講義室へ行く道がわからないのだ。とにかく見覚えのある顔(もちろん「名前」ではない─名前なんてまったくわからなかったのだから)の人のあとについて行くしかなかった。ケアパートナーの案内なしに、ひとりで知らないところへ行こうとしたのは、あの時が最後になった。」(クリスティーン・ブライデン:私は私になっていく─痴呆とダンスを 馬籠久美子・桧垣陽子訳, クリエイツかもがわ, 2004, p152)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第248回『みまもりキーホルダー─徘徊のタイプ』(2013年9月5日公開)
 さて、徘徊の元々の意味は、「あてもなく、うろうろと歩きまわること」です。精神科医の小澤勲さん(故人)が書かれた著書『痴呆を生きるということ』(岩波新書出版, 東京, 2003, pp126-142)においては、徘徊は五つのタイプに分類され紹介されています。その五つのタイプの徘徊について以下にご紹介しましょう。なお、2004年12月24日、「痴呆」から「認知症」へと呼称は変更されておりますが、2003年当時は「痴呆」が正式名でしたので、原著に従い当時の呼称を用います。
(1)徘徊ではない徘徊(迷子)
 外出すると迷子になったりするため、外に出るだけで徘徊と言われたり、入院中にベッドから離れるだけで徘徊と言われてしまうような場合です。
(2)反応性の徘徊
 入院・施設入所時などに起こります。馴染みのない場所に置かれることによって生じる不安と見当識障害から、不安げな表情で足早に歩き回る徘徊です。新しい環境に慣れて「頭のなかの地図」が出来上がれば消失します。トイレには「便所」と大きく書いて掲示するなどの工夫が有効です。
(3)せん妄による徘徊
 レビー小体型認知症などで出現しやすい徘徊です。夜間の場合は、部屋や廊下など本人が居る場所を明るくすることで解消することがあります。
(4)脳因性の徘徊
 山口晴保教授はこのタイプの徘徊を「周徊」と位置づけています。前頭側頭型認知症で認められるものが代表であり、行動を共にして、安心できるようにする対応が求められます。
(5)「帰る」「行く」に基づく徘徊
 女性の「家に帰ってご飯の用意をしなければ」とか、男性の「(かつての)職場へ行く」といった理由で起きる徘徊です。夕暮れ時に起こりやすい傾向があります。このような行動が入院・入所している方に認められると「帰宅願望」と呼ばれたりします。

 (1)の「徘徊ではない徘徊(迷子)」の病態は、「道順障害」ですね。
 千葉県立保健医療大学健康科学部リハビリテーション学科の高橋伸佳教授は、アルツハイマー病患者が道に迷う病態として、「少なくとも初期には『道順障害』的な要素が大きいようだ」(高橋伸佳:街を歩く神経心理学 医学書院, 東京, 2009, pp152-153)と述べております。道順障害は、シリーズ第9回『認知症の中核症状に関する理解を深めましょう─視空間機能障害』においてご紹介しましたように、視空間失認の一型です。
 以上ご紹介しました(1)~(5)の他には、(2)の「反応性の徘徊」と共通した作用機序を持っておりますが、家族あるいはよく知っている人の顔が見えなくなると不安になって徘徊に至るという病態もあります。「つきまとい」が認められる方においてよく観察されるタイプの徘徊ですね。
 2013年8月8日に放送されましたNHK・きょうの健康『介護の負担を減らすために』(http://www.nhk.or.jp/kenko/kenkotoday/archives/2013/08/0808.html)の番組コメンテーターとして出演されました東京都立松沢病院の齋藤正彦院長(精神科)は、デイサービス・ショートステイなどを活用して少し患者さんとの距離を置くことにより、「つきまとい」に起因する徘徊に対応できる場合もあると番組において解説されました。
 「つきまとい」に関してはいずれまた詳しくお話しますが、その背景には、「見捨てられる」という妄想があり、1人になることに対して強い不安を感じており、介護者や家族の後をつきまとう場合も多いのです。ですから「つきまとい」を解消するには、本人が感じている不安の原因を分析し対策を立てる必要があります。
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