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「認知症になっても その人らしさが残り 変わらない部分が必ずある」 [認知症ケア]

「認知症になっても その人らしさが残り 変わらない部分が必ずある」

 これは、アニメーション映画『しわ』の監督であるイグナシオ・フェレーラスさんが、2013年7月15日に放送されましたNHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる(第4回)』において述べた言葉です。
 そのNHK・Eテレ『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる(第4回)』に関して、私がアピタル連載中に発信した文面を以下にご紹介しましょう。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第461回『患者の声が聞こえていますか?─残っているものを大切に』(2014年4月11日公開)
 NHK・Eテレにおいては、2013年7月1日・2日・3日・15日・25日の5回にわたって、『シリーズ 認知症 “わたし”から始まる』が放送されました。7月15日の第4回放送は『自分らしく生きよう─アニメ映画「しわ」が描く当事者の世界―』(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-07/15.html)がテーマであり、NPO町田つながりの開「DAYS BLG!」(デイサービス施設)にアニメーション映画『しわ』の監督であるイグナシオ・フェレーラスさんを招いて映画の上映会が開催されました。インパクトが強い放送内容でしたので、皆さん印象深く覚えておられるのではないでしょうか。
 池田英材さんをはじめとする認知症当事者の方たちも、自分自身の姿と重ね合わせながら、映画『しわ』を観た感想を述べておられました。
 フェレーラス監督は番組のなかで、「私は以前から、年をとっても、病気になっても、人は変わらないと思っていました。病気ばかりに気をとられると、どうしても失われるものにこだわってしまいます。私は、むしろ残っているものを大切にしょうと思いました。この映画で表現したかったことは、認知症になってもその人らしさが残り、変わらない部分が必ずあるということなのです。」とこの映画に込めた思いを語りました。
 エスポアール出雲クリニック(島根県)の高橋幸男院長は、「成書には、もの忘れを自覚しないのがアルツハイマー型認知症の特徴と記載されているが、これは誤りである。認知症を認めたくないという強い思いがあり『否認』機制が働いて、表面的にもの忘れを否定したりすることはよくあるが、アルツハイマー型認知症の初期はもちろん中期でも、もの忘れごときは十分自覚しわかっている」と述べています(高橋幸男:認知症をいかに本人と家族に伝えるか. 治療 Vol.89 2994-3000 2007)。
 そして、認知症の症候学に詳しい滋賀県立成人病センター老年内科の松田実部長は、論文(松田 実:認知症の症候論. 高次脳機能研究 Vol.29 312-320 2009)において、「アルツハイマー型認知症(AD)で『早期に病識が失われる』という記載は、『取り繕い』を『病識のなさ』と混同していることから起こる誤謬(ごびゅう)である。『ADで病識が失われるというのは誤りである。ADの初期はもちろん中期でも、もの忘れごときは十分自覚しわかっている』という高橋(2007)の意見に筆者は賛同する。もちろん、患者の病態はさまざまであり、病識のレベル、その深さや内容も問題となるであろうから、一概には結論ができる話ではない。」(http://www.jstage.jst.go.jp/article/hbfr/29/3/312/_pdf/-char/ja/=現在リンクは無効)と指摘しています。
 また松田実部長は、前述の論文において、「『病識のなさ』と『取り繕い』を同一視すべきではない。病識の有無と取り繕いとには、直接的関連はない。少なくとも、病識がないから取り繕うのではない。むしろ、自身の異常に気づいているからこそ取り繕っていると考えられる場合もある(ボーデン 2003)。」とも述べています。
 ボーデンさんとは、『私は誰になっていくの?─アルツハイマー病者からみた世界』の著者であるクリスティーン・ボーデンさん(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013050200008.html)のことですね。


P.S.
 「病前性格が穏やかであった方は、認知症を発症してからも比較的穏やかに過ごされることが多い」ということに関しては、朝日新聞・アピタル連載中にもご紹介したことがあります。
 以下にその部分を再掲しますね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第213回『認知症と長寿社会(笑顔のままで)―入院時の点滴を抜いてしまう問題』(2013年7月31日公開)
 一般的な傾向として、病前性格が穏やかであった方は、認知症を発症してからも比較的穏やかに過ごされることが多いです。そのような方では、点滴実施に際しても、きちんと説明すれば、穏やかに受け入れてくれることが多いです。特に、医師から説明すると、おとなしく聞き入れてくれるケースが多いようです。
 一方、短期で怒りっぽいタイプの病前性格であった方は、採血・点滴1本するのにもひと苦労するといった場面によく遭遇します。
 認知症における症状と病前性格との関係について言及している本もありますので以下にご紹介します。
 「穏和でのんびりとした性格の高齢者は、認知症になっても穏やかな性格で、他の人々との争いも少なく平和的でしょう。」(三原博光、山岡喜美子、金子 努:認知症高齢者の理解と援助~豊かな介護社会を目指して~ 学苑社, 東京, 2008, pp40-41)
 私の父もとっても穏やかな性格でした。しかし、入院したその日のうちに点滴の自己抜去をやってしまいました。同様のケースは数多く経験しております。穏やかだった性格の方は、穏やかに点滴は受け入れてくれることが多いのですが、知らないうちに抜いてしまうのです。
 私たちも、夜中に耳元でブーンと蚊の鳴く声がしたら、意識が朦朧とした中でも耳の近くを払いのけますよね。同様にして、点滴を実施しなければならないような認知症の方は、軽い脱水なども関与しているため、本来の認知機能障害以外に軽いせん妄(メモ参照)状態も加わっており、無意識のうちに違和感のある点滴を抜いてしまうのではないかと思われます。
 穏やかな性格の方において点滴を自己抜去してしまうような状況が確認された時には、夜間は点滴をせずに職員が目の行き届く昼間だけの点滴実施にするとか、点滴ルートを袖から襟元のほうに出して点滴棒を後ろに設置して視界に入らないようにするといった工夫が必要となります。また場合によっては、拘束衣を着用するなどの対策も必要となります。そのような対応により、比較的穏やかに入院治療を継続できるケースが多いようです。

メモ:せん妄
 せん妄(delirium)とは、脳機能の一時的な低下による意識混濁(軽い意識障害)に加えて、幻覚や興奮状態といった精神症状を伴っており、発症は急激で可逆的な状態です。

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