SSブログ

「私たちの最期は」「延命治療どこまで」 [終末期医療]

「飢え死には残酷」
 主治医、葛藤も
 「私たちの最期は」「延命治療どこまで」

 「口から食べられなくなったらそのまま逝くというのは、飢え死にするということ。それはやはり残酷だ」
 チューブで栄養を送る「胃ろう」を付けて97歳で亡くなった前田キヨ子(仮名)が入院していた高知市の療養病床、上町(かみまち)病院。院長の田中誠(たなか・まこと)(71)と、キヨ子の主治医だった広瀬良江(ひろせ・よしえ)(68)=仮名=は口をそろえる。「病院に来た以上、『何かしてほしい』と期待されているのだろうから、何もしないわけにはいかない」
 終末期の胃ろうには「単なる延命にすぎない」と見直しを求める声がある。否定的なイメージが定着し、医療現場では「胃ろうは嫌だが(胸の血管に栄養を注入する)中心静脈栄養法ならいい」と希望する患者もいる。どちらもチューブで栄養を入れる点に変わりはなく、むしろ感染症のリスクは胃ろうの方が低いのに、拒否反応が先に立ってしまっている状況だ。
 田中たちもむやみに勧めているわけではない。まずは患者や家族の同意が大前提。喉に内視鏡を入れて飲み込む力を見極め、自力で食べられる人は見送る。取り付けた後も食べる喜びを感じてもらおうと、ゼリーやプリンを口から摂取してもらうよう取り組んでいる。
 実際、キヨ子は上町病院に移ってくる前に胃ろうが取り付けられていたが、リハビリで一時は自分で食事する力を取り戻した。胃ろうが外れ、退院する患者もいる。
 「鼻のチューブと違い、患者の苦痛は少ない。薬も入れられるから注射で痛みを与えることもない。栄養がついて抵抗力ができるので状態が安定し、家族は安心できる」。院長の田中は胃ろうのメリットを列挙した。
 それでも葛藤がないと言えばうそになる。「そこまでして生きたいかと聞かれれば、自分はそうは思わない」と広瀬。
 だが、胃ろうを付けない、ましてや外すという決断は家族にも、医師にも勇気がいる。既に取り付けた状態で転院してきたり、認知症や植物状態で意思を確認できなかったりすることも多い。
 一方で、近年は延命治療を控え、自然な衰弱で亡くなる「平穏死」を提唱する動きも広がる。どう思うか尋ねると、広瀬は「分からん」と困ったように笑った。「そこまで踏み切れるほど強くない。やっぱり人工栄養をしてしまうね」。揺れる思いがのぞいた。(敬称略)
 【2016年5月6日 (金) 配信:共同通信社】

P.S.
  終末期の延命治療、どちらか選ぶなら、「胃ろう」? それとも「中心静脈栄養法」?
 ただいま投票受付中です。
キャプチャ-投票.JPG
 https://www.m3.com/news/general/422261
 医療関係者の方は投票できます。

 私はもちろん「胃ろう」です。
 ガイドラインにも明記されておりますよ。
キャプチャ.JPG
 栄養療法が必要な場合は、可能な限り経腸栄養を用い、静脈栄養は経腸栄養または経口摂取が不可能または不十分な場合に用いる【静脈経腸栄養ガイドライン(日本静脈経腸栄養学会編集/静脈経腸栄養ガイドライン第2版 南江堂, 東京, 2007 pp7-8)】
 http://minds.jcqhc.or.jp/n/med/4/med0036/G0000509/0048

 終末期医療の問題は、私が全身全霊を傾けて取り組んでいる課題です。
 この難しい課題とどう向き合っていくのか! 正念場を迎えつつあります。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。