アドラーの語る「愛」とは・・ [アドラー]
アドラーは「愛」に関して、以下のように語っています。
「原則として子どもたちは、自活することができない。泣くこと、つまり己の弱さをアピールすることによって周囲の大人を支配し、自分の望みどおりに動いてもらわないと、明日の命さえ危うい。彼らは甘えやわがままで泣いているのではない。生きるためには、『世界の中心』に君臨せざるをえないのです。
すべての人間は、過剰なほどの『自己中心性』から出発する。そうでなくては生きていけない。しかしながら、いつまでも『世界の中心』に君臨することはできない。世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない。
なぜ教育の目標は自立なのか。どうしてアドラー心理学は、教育を最重要課題のひとつとして考えるのか。自立という言葉には、どんな意味が込められているのか。
自立とは、『自己中心性からの脱却』なのです。
だからこそアドラーは、共同体感覚のことをsocial interestと呼び、社会への関心、他者への関心と呼んだのです。われわれは頑迷(がんめい)なる自己中心性から抜け出し、『世界の中心』であることをやめなければならない。『わたし』から脱却しなければならない。甘やかされた子ども時代のライフスタイルから、脱却しなければならないのです。
人間は、変わることができます。そのライフスタイルを、世界観や人生観を、変えることができます。そして愛は、『わたし』だった人生の主語を、『わたしたち』に変えます。われわれは愛によって『わたし』から解放され、自立を果たし、ほんとうの意味で世界を受け入れるのです。
愛を知り、人生の主語が『わたしたち』に変わること。これは人生の、あらたなスタートです。たったふたりからはじまった『わたしたち』は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまでその範囲を広げていくでしょう。それが共同体感覚です。」【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, pp243-245】
P.S.
アドラーの語る「愛」とは、「ふたりで成し遂げる課題」です。【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, p235】
アドラーは、「運命の人」をいっさい認めません。【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, p262】
目の前に愛すべき他者がいるのに、あれこれ理由を並べて「この人ではない」と退け、「もっと理想的な、もっと完壁な、もっと運命的な相手がいるはずだ」と目を伏せる。それ以上の関係に踏み込もうとせず、ありとあらゆる候補者を、自らの手で排除する。こうして過大な、ありもしない理想を持ち出すことによって、生きた人間と関わり合いになることを回避する。それが「出会いがない」と嘆く人の正体だと考えてください。【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, pp263-265】
愛する勇気、すなわちそれは、「幸せになる勇気」です。われわれが幸せを手に入れるには、愛しかありません。「楽をしたい」「楽になりたい」で生きている人は、つかの間の快楽を得ることはあっても、ほんとうの幸せをつかむことはできません。われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです。愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、変わります。生きている、ただそれだけで貢献し合えるような、人類のすべてを包括した「わたしたち」を実感します。【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, pp271-273】
「原則として子どもたちは、自活することができない。泣くこと、つまり己の弱さをアピールすることによって周囲の大人を支配し、自分の望みどおりに動いてもらわないと、明日の命さえ危うい。彼らは甘えやわがままで泣いているのではない。生きるためには、『世界の中心』に君臨せざるをえないのです。
すべての人間は、過剰なほどの『自己中心性』から出発する。そうでなくては生きていけない。しかしながら、いつまでも『世界の中心』に君臨することはできない。世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解しなければならない。
なぜ教育の目標は自立なのか。どうしてアドラー心理学は、教育を最重要課題のひとつとして考えるのか。自立という言葉には、どんな意味が込められているのか。
自立とは、『自己中心性からの脱却』なのです。
だからこそアドラーは、共同体感覚のことをsocial interestと呼び、社会への関心、他者への関心と呼んだのです。われわれは頑迷(がんめい)なる自己中心性から抜け出し、『世界の中心』であることをやめなければならない。『わたし』から脱却しなければならない。甘やかされた子ども時代のライフスタイルから、脱却しなければならないのです。
人間は、変わることができます。そのライフスタイルを、世界観や人生観を、変えることができます。そして愛は、『わたし』だった人生の主語を、『わたしたち』に変えます。われわれは愛によって『わたし』から解放され、自立を果たし、ほんとうの意味で世界を受け入れるのです。
愛を知り、人生の主語が『わたしたち』に変わること。これは人生の、あらたなスタートです。たったふたりからはじまった『わたしたち』は、やがて共同体全体に、そして人類全体にまでその範囲を広げていくでしょう。それが共同体感覚です。」【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, pp243-245】
P.S.
アドラーの語る「愛」とは、「ふたりで成し遂げる課題」です。【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, p235】
アドラーは、「運命の人」をいっさい認めません。【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, p262】
目の前に愛すべき他者がいるのに、あれこれ理由を並べて「この人ではない」と退け、「もっと理想的な、もっと完壁な、もっと運命的な相手がいるはずだ」と目を伏せる。それ以上の関係に踏み込もうとせず、ありとあらゆる候補者を、自らの手で排除する。こうして過大な、ありもしない理想を持ち出すことによって、生きた人間と関わり合いになることを回避する。それが「出会いがない」と嘆く人の正体だと考えてください。【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, pp263-265】
愛する勇気、すなわちそれは、「幸せになる勇気」です。われわれが幸せを手に入れるには、愛しかありません。「楽をしたい」「楽になりたい」で生きている人は、つかの間の快楽を得ることはあっても、ほんとうの幸せをつかむことはできません。われわれは他者を愛することによってのみ、自己中心性から解放されます。他者を愛することによってのみ、自立を成しえます。そして他者を愛することによってのみ、共同体感覚にたどりつくのです。愛を知り、「わたしたち」を主語に生きるようになれば、変わります。生きている、ただそれだけで貢献し合えるような、人類のすべてを包括した「わたしたち」を実感します。【岸見一郎、古賀史健:幸せになる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教えⅡ. ダイヤモンド社, 東京, 2016, pp271-273】
2016-05-07 09:19
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