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私がうつ病を患った理由 [うつ病]

私がうつ病を患った理由
 うつ診断書.jpg

 今日の佐藤雅彦さんの言葉、「重い」ですよね。ハッとさせられました。

https://www.facebook.com/masahiko.sato.522/posts/771402846328591?comment_id=771418229660386¬if_t=feed_comment_reply¬if_id=1463525350968594
 =「認知症の診断を受けたとき、いままでの価値観が音を立てて、崩れていきました。絶望の中から立ち上がるには、新たな価値観を構築しなければなりませんでした。生きがいをなくした人間が、新たな生きがいを見つけるには、時間がかかりました。

 しかし、次の聖書のことばに励まされ、私は試練を乗り越えました。
 『あなたがたのあった試練はみな人のしらないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練にあわえてくえん(コリント人の手紙 第一 10章 13節)』

 私は、苦しみ、もがき続けた結果、なにか情熱もって生きることこそが、本当にすばらしいことだと、気がつきました。
 はたから見ればつまらなく思えるかもしれないことでも、やっている本人が情熱を注ぎこむことができれば、それで十分だと思います。
 生き方は、人それぞれ違って当たり前です。むしろ、人と違うことに、より価値があると思います。
 人は何ができなくとも、それ自体尊いものです。役に立たなくとも、自分は尊い存在だと信じましょう。」


 私は「うつ病」を患ったことは告白しましたが、うつ病を患った理由(=あくまでも私が感じている理由です。主治医である水谷先生にはこの理由を早い段階で診察室で伝えました)はFacebookではあまり伝えてきませんでした(ヒントみたいなのは書きましたが・・)。
 長年取り組んできた「認知症」への取り組み。朝日新聞社デジタルの「アスパラクラブ」&「アピタル」においては、「ひょっとして認知症?」という医療ブログを約4年半(2010.9.28~2015.3.29)続け、その間に1,337本の原稿を書き上げました。今もこの原稿は大きな財産となっています。
 しかし、私には何かが欠けている! そう感じ始めたのは、そのブログを担当しておりました終盤です。沢山の原稿を書いているだけで認知症カフェに顔を出すわけでもなく、認知症の当事者に対して私は全然向き合っていないのではないか・・と感じ出すとモチベーションがどんどん低下していき、自分自身に対して「俺は何てダメな人間なんだ!」と感じるようになりました。うつ病を発症する1年以上前からそんな状態に入り込んでおりました。
 大好きだったテニスにも意欲・興味をなくし、平成27年度は長年続けてきました「日本認知症学会」の学会発表も途絶えてしまいました。
 そんな失意の中、私が唯一2014年から2015年にかけて書き上げた論文が『入院高齢者診療マニュアル』【編者:神﨑恒一 著:笠間 睦:認知症患者の胃瘻. pp278-280, 文光堂, 東京, 2015】http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-03-06-1)なのです。うつ状態で頭の回転が相当鈍くなった状態でしたが執念で書き上げました。ここだけは譲れない世界だったわけです。
 その後、うつ病はますます悪化し、2015年1月には、病院長にも相談しました。「苦しい」と正直に伝えました。しかし、実際に診察に行くまでには随分と時間がかかりました。2015年4月のアルツハイマー病研究会の折、名古屋駅の新幹線ホームで「今、飛び込んだら楽になるかな・・」って考えている自分自身に気づきました。
 東京出張を終えて家に戻り妻に名古屋駅でのことを話したら、「仕事できないのならもう休んだら・・。私が仕事していけば食べるだけなら何とかなるでしょう・・」という妻の言葉に、ようやく、きちんと受診して診察を受ける覚悟ができました。大切な家族のために・・。
 ですから、2016年4月23日に開催されました『アルツハイマー病研究会 第17回学術シンポジウム(in グランドプリンスホテル新高輪)』(https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/posts/576593242510359)における水谷佳子さんと丹野智文さんの対談におきまして、丹野智文さんが語った「これから子どもを学校に行かせることができるかな・・。自分のことよりも家族のことを心配しました。」という言葉はスッと共感できました。

 うつ病は判断能力・処理能力などを確実に低下させます(P.S.私は「不能(=インポ)」にもなりましたので昨年1月の時点では、うつ状態ではなく「うつ病」に突入していたと思います)。いつもは数分でこなせていた業務に一時間くらい要するようになり、毎日仕事が定時に終わらず残業する状況でした。それでも仕事が終わらず、遂に2015年4月に物忘れ外来の初診受付を閉鎖する事態となってしまいました(結局、2016年3月末まで閉めました)。
 病棟も50名以上の重症度の高い患者さんを受け持っておりましたが、院長先生は私の状況を考え協力して下さいました。ただ、病院経営を重視し私の仕事の調整(入院患者数を減らす)ことに難色を示された方もおりました(今年の春、私はその上司に対して、堂々と「指導」を行い、指導した理由はこの時の“対応”にあったことを伝えました!→ その上司とは一時「険悪」な関係となりましたがその後“共通の敵”ができたことによりその上司とはよりを戻しました)。
 さて、きちんと受診して診察を受ける覚悟を決めた私は、2015年6月1日から水谷先生の診療を受け始めましたが、当初はいっこうに回復の兆候は出てきませんでした。ただ、不思議と診察に行くと心は落ち着きました。同じような病気で闘っている仲間が居るんだな・・って感じられたんですね。
 大好きだったテニスをうつ病極期の時に再開(2015年春)してみましたが、何だか楽しめないというか、むしろ罪悪感を感じておりました。こんなにも下手になって他のメンバーに迷惑をかけながらテニスを続けて良いのだろうか・・と自問自答して何度もテニス(サンライズ:http://www.amigo2.ne.jp/~waki5342/)に行くことをやめようと思っていました。診察の折に水谷先生からは、「うつ病が治ってきたかどうかの目安の一つに、趣味にどれだけ意欲が戻ってきたのかというチェック項目があるのですが笠間さんどうですか?」と尋ねられ、「全然前向きには取り組めません」と話している状況でした。
 夏場に、一度、テニスでK西さんに勝ったことがありました(実は復帰後の初勝利であり、K西さんに勝ったのも初めて)。K西さんは未だにその理由を明らかにしませんが(=もちろん私からは直接聞いておりません。怖くて聞けないです。でも、今度一緒に飲む機会があったら「あの時負けた本当の理由を言え」と強迫してみる?(笑) )、何となく私の異変に気づいており暖かい手(=私がサンライズを再び去ることがないように、「わざと負けた」というわけではなく「武士の情け」をかけてくれた?)をさしのべてくれたのではないかと私は察しております。K西さんには深く感謝しております。この感謝の気持ちがありますので、M本さんの復帰戦で5-0になった際、私は6-0で勝ちたいと思えなくなってしまった。「武士の情け」をかける人間にスポーツをやる資格はないのかも知れませんが、弱っている知人が元気を取り戻せるのなら私を含め多くの方が「武士の情け=あり!」だと感じられるのではないでしょうか・・。
 秋になっても「うつ病」は一向に良くならず、睡眠障害もひどく、辛い日々を過ごしました。大好きだった飲み会も欠席するようになり(榊原白鳳病院に長年勤務して初めて親睦会も欠席しました)、カラオケ女王の山口さんからの病棟飲み会のお誘いも断ってしまいました。「何でですか?」と言われましたが、当時は未だ「うつ病」をカミングアウトすることができませんでした。
 私自身、立ち直りの“きっかけ”はよく覚えていないのですが、いつの頃からか、うつ病の極期であったにも関わらず気力を振り絞って書き上げた論文のことが脳裏をよぎるようになってきました。
 そして、認知症の当事者に対して正面から向き合ってみよう! 今まで腰が引けていた「告知」問題に正面から向き合って見よう!と感じるようになっていきました。しかし、正面から向き合うには相当の覚悟が必要です。中途半端はダメなんです! でも、毎日うつ病で落ち込んでダラダラ一生を終えるくらいなら、覚悟を決めて前向きに生きてみよう!と思えるようになりました。
 そんな気持ちが芽生えてきて、ようやく本格的な回復に向けて始動し始めました。
 手始めに、Facebookでの更新をぼつぼつ始めました。テニスもようやく晩秋辺りから調子が上がってきて楽しめるようになってきました。
 そして今年1月のメンタルクリニック最終日の後、何と、主治医である水谷先生に「Facebook友達リクエスト」をして“承認”を頂いてからは、もう勇気100倍! 主治医が自分の書き込みを見てくれているという心強さに支えられて、友達にもうつ病であったことをカミングアウトできるようになり、しばらくしたらFacebookでもうつ病であった自分を公開カミングアウトし、もうそこからは怒濤の勢いです。
 椎間板ヘルニアにも関わらずテニスの試合に復帰し(=脚を引きずりながら試合しました。ロキソニンを一日に6錠も服薬して)、カラオケにもガンガン行きだし・・。妻には、「うつ病の時の方がまだましだった」と言われる始末・・。

 そして現在、4月下旬からは終末期意向調査Stage2に入っております。ご本人の気持ちを確認したうえで「予後告知」にも踏み込む方針で臨んでおります。ただし、かなりきめ細やかな対応を求められる領域であることは間違いありませんので、慎重に慎重に考えながら進めていきたいと考えております。

P.S.1
 うつ病は本当に辛い病気です。一人で立ち直ることは難しい病気のような気がします。誰かの支えが必要なんです。そういう意味(=周囲の支え・協力が必要)におきましては、「うつ病」と「認知症」と「発達障害」と「子ども」は共通点があるようにも感じております。
 私が専門外の「発達障害」や「早期教育」に関心が高いのはそんな背景があるのでしょうね。
 これからも前向きにいろいろなことに取り組んでいきたいと考えております。

P.S.2
 みっちゃん、あったかい励ましの言葉(=「すごい人達は、鬱になった経験をお持ちの人が多いですね。」)ありがとうね。
 https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/posts/585984924904524
 みっちゃん.JPG

P.S.3
 「うつ病が治って、インポはどうなった!」って質問しないでね。


 最後までお読み頂きありがとうございました。
 
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