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ユマニチュード(Humanitude) [認知症ケア]

ユマニチュード(Humanitude)
 https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/videos/vb.100004790640447/595811383921878/?type=2&theater

 私の保存ビデオの中でも最高傑作の一つ、「2014年5月10日放送のTBS『報道特集』」をご紹介します! シェアしたくなるとは思うのですが、著作権の関係がありますので、こっそりと教えて下さいね(「拡散」希望しません)。
 講演会の際にこのVTRをご紹介しますと、涙される方が沢山おられます。
 ユマニチュードの概略が解説されておりますので、「ユマニチュードの基本」を勉強するには好材料であると思っています。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第463回『患者の声が聞こえていますか?─正面から長い時間をかけて近くで話しかける』(2014年4月13日公開)
 なお、「学習された無力感」について、とても興味深い指摘がされております。
 「ルビンスキは、『学習された無力感』という状態について説明しています。これは、出来事や結果が自分の反応に関係なく起きていると認識し、それ以上どんな行動をとっても無意味だと結論を出した時に起きるものです。『認知症がある人は、自分が反応しても無意味だと思うと、反応するのをやめてしまいます』(Rau MT:Impact on families. A chapter in Lubinski, 1991, p142)。そうすると、その人に関わる重要な人たちは、その人が直接反応を示せることや能力をもって対応することを期待しなくなり、依存という悪循環が助長され、その人はさらに力を奪われることになってしまいます。」(マルコム・ゴールドスミス:私の声が聞こえますか─認知症がある人とのコミュニケーションの可能性を探る 高橋誠一/監訳 寺田真理子/訳 雲母書房, 東京, 2008, p133)
 東京都健康長寿医療センター研究所・福祉と生活ケア研究チームの伊東美緒研究員は、フランスのイブ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティの2人が創設した「ユマニチュード(Humanitude)」の研修を受けた際の衝撃を以下のように回顧しておられます。
 「この研修を受け、施設を訪問しているときを振り返ってみると、例えば、静かに寝ている人に対してはわざわざ声をかけることをしないなどの態度がさらに彼らを自分の穀に閉じ込めているのだということに気づき、相当なショックを受けました。
 特に、ジネスト氏が『上から(威圧的に)、短い時間(かかわりを避ける)見下ろされたとしても、見ないよりはずっといい。なぜなら注意を向けられているから』と言われたときには、私は見下すよりもひどい態度をとっていたのか…と愕然としました。」(伊東美緒:多くの認知症ケア理論が存在するにもかかわらずなぜユマニチュードが必要か. 看護管理 Vol.23 922-926 2013)
 そして伊東美緒研究員は、「見つめることの技術」について以下のように言及しております(伊東美緒、本田美和子:ユマニチュードのケアメソッド. 看護管理 Vol.23 914-921 2013)。
 「『短い声かけ』と『短い視線の投げかけ』を行なっただけでは、認知症の人は認識できていないことがあります。私たちとしては伝えたつもりでも、相手からは気づかれていない状況に陥ってしまっているのです。つまり、看護師として何度も声かけをしているつもりでも、相手が認識できる声かけになっていなければ、無視していることと同じことになってしまいます。
 そして、寝たきり、もしくは座りきりにされている認知症の人たちは、自分に目が向けられず、話しかけてもらえない環境に長い間放置され、自分の殻に閉じこもるようになります。なぜなら、見てもらえない、話しかけてもらえない状況は、存在そのものを否定されることであり、人間にとっては最も耐え難いことだからです。
 認知症が進行している人に話しかけるときには、水平に、正面から、長い時間をかけて、相手の顔から20cmくらいの距離で話しかけることを推奨しています。
 優しさを伝える視線の技術
1. 垂直ではなく水平に
2. 斜めからではなく正面から
3. 一瞬ではなくある程度の時間
4. 遠くからではなく近くから」

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ユマニチュード(Humanitude):
 「ユマニチュードは34年前に創始者であるジネスト先生、マレスコッティ先生の2人によって誕生しました。創始者の2人は、体育学の専門家であり、当初、患者の移動などのケアを通じて腰痛を起こした看護師・介護士向けに、腰痛予防を目的とした講義を望まれて病院へ赴きました。しかし、彼らがそこで目にしたものは、医学・看護学の分野では常識ときれているものの、体育学の目からは必ずしもそうでない、数々の事象でした。
 看護師・介護士の長浦を予防するためには、ケアそのものを変える必要がある、と考えた彼らは、『ケアをする人とは何か』『人とは何か』という命題のもとに地道な経験を積み重ね、知覚・感覚・言語による包括的コミュニケーション法を軸としたケアメソッド、ユマニチュードを作り上げました。」(本田美和子:ユマニチュードとの出会いと日本への導入. 看護管理 Vol.23 910-913 2013)

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ユマニチュード(Humanitude):
 2014年5月10日に放送されましたTBS「報道特集」http://www.tbs.co.jp/houtoku/onair/20140510_2_1.html#)におきましては、ユマニチュードに関して具体的かつ詳細な報道がなされました。約24分もの時間を割いて詳しく紹介されましたよ。
 番組の冒頭におきましては、65歳になった足立昭一さんの姿が映し出されました。
 次に映し出されたのは、フランスの病院に入院する認知症患者さんが介護者に怒りながら、時には介護者の手を叩きながら整容を受けるシーンです。
 そして、2014年1月11~12日に東京都千代田区で開催されました第2回(平成25年度)「病院職員のための認知症研修会」(http://www.ajha.or.jp/seminar/other/pdf/131114_3.pdf)では、研修者で会場が溢れかえる様子が映し出されました。

 ユマニチュードに関しては、ひょっとして認知症?のシリーズ第463回「患者の声が聞こえていますか?─正面から長い時間をかけて近くで話しかける」においてほんの少しご紹介しましたね。ユマニチュードを開発したのは、フランスのイブ・ジネストさんです。
 私も詳細を知らなかったためほんの少しだけしかご紹介できなかったのですが、TBS「報道特集」でかなり詳しく報道されましたので理解を深めることができました。
 それでは、TBS「報道特集」の放送内容を振り返ってみましょう。
 イブ・ジネストさんが最初に訪れたのは、横浜市の福祉法人・緑成会の特別養護老人ホーム「緑の郷」です。
 ジネストさんは、特養入居者の一人である小野寺忠夫さん(76歳, 脳疾患により右片麻痺)に手を開き、「ヤー」と挨拶をしながら近づきます。そして、「大工をやっていた」と話す男性に対し、「すごい仕事です」と語りかけます。男性の顔に少しずつ笑顔が戻ります。今までほとんど立つこともなかった小野寺さんが支えながらも少しずつ歩き出す様子が放送されました。

 イブ・ジネストさんはユマニチュードについて以下のように語りました。
 「ユマニチュードは、認知症の人との人間関係・“絆”をつくるテクニックなんです。」
 「『私はあなたの友人ですよ、仲間ですよ』と認知症の人に感じてもらうには、“見る”“話す”“触れる”という3つの行動で伝えることが大切なのです。」
 「認知症の人は相手から見られないと“自分は存在しない”と感じ、自分の殻に閉じ籠もってしまいます。私たち介助者が最初にすべきことは、あらゆる手段を使って、彼らが“人間である”と感じさせることなんです。」
 「認知症の人の場合、相手が優しい人かどうかを知性で判断することが難しくなっています。しかし感情の機能は最期を迎える日まで働いています。ですから、ユマニチュードではその優しさを“感情”にうったえるのです。」

 番組においては、“見る”“話す”“触れる”の3つの具体的な手法も紹介されました。
 近づく際にまず留意する点は、“遠い位置から視野に入る”ことです。
見る:
 目線は正面から水平の高さ(=お互いに平等だということを伝える)、近い距離で長い時間見つめる!
話す:
 優しいトーンで、できるだけ前向きな言葉で友好的に語りかける(この時、大袈裟とも思える位の笑顔を作る!)。
 そして、相手の反応をみながら触れる!
触れる:
 触れる時には触れる場所・触れ方に注意することが必要です。

 イブ・ジネストさんが次に訪れたのは、栃木県足利市の足利赤十字病院です。ジネストさんは、そこに入院する近藤政時さん(94歳)の元を訪れます。3年前に妻を亡くしてから認知症を発症した政時さんは、家中のものを壊すなど徐々に感情のコントロールが利かなくなっていきました。
 看護師が3人がかりで政時さんの口腔清拭を試みますが、政時さんは口を開けようとしません。次にユマニチュードのインストラクターが政時さんの口腔ケアを試みます。インストラクターは、部屋に入る際には、たとえ返事がなくとも必ずノックをして入ります。相手に、「テリトリーに入りますよ」という合図をすることを意識しているのです。
 政時さんは身体拘束を受けておりましたが、ジネストさんとインストラクターは拘束を一つひとつ外していきます。ユマニチュードでは原則として“拘束”はしません。拘束は症状を悪化させる危険な行為だと考えているのです。それは、ユマニチュードでは、“動くことは生きることであり、それを制限することは生きることを否定するという考え方がベースにある”からなのです。
 次に、ジネストさんとインストラクターは政時さんを立たせました。ユマニチュードでは“立つ”ことも重視しています。立つことで、筋肉を衰えさせないだけでなく、立つことで他の人と同じ空間に居ることを認識させるのです。そしてそれが人間の尊厳を保つことに繋がるのだそうです。
 こうして人間関係を構築した後にインストラクターが政時さんの口腔ケアを試みますと、あれ程嫌がっていた政時さんがすんなりと口を開けました。そして何と、「さっぱり致しました」と笑顔で返事したのです。
 入院してから寝たきりだった政時さんでしたが、立って歩く姿、そして何年かぶりに笑顔になった父親の姿を見た息子さん(同病院薬剤部職員)の目には涙が浮かんでいました。
 そして驚くべきことに、ジネストさんがその場を離れた後、政時さんは一人で車椅子から立ち上がることができたのです。「ユマニチュードが政時さんの心の扉を開き、本来持っている力を蘇らせた!」とナレーションは締めくくりました。

 番組の最後に、コメンテーターの方は、「ユマニチュードは“優しさを伝える技術”と言われます。その基本となるのが“見る”“話す”“触れる”ことです。
 ただ、簡単そうに見えても150もの技術があり、東京都健康長寿医療センターの本田美和子医師がセンターの中で研修が行えるよう準備を進めている」と述べておられました。

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売れている本=ユマニチュード入門(医学書院, 2160円)
 「『ユマニチュード』という言葉をご存じだろうか。フランスの体育学者イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティが開発し、日本の認知症ケアの業界においても、近年、急速に注目されつつある技法である。
 満を持して登場した本書は、ケアの専門書であるにもかかわらず、出版後わずか1カ月間で4万部近く売れたという。介護職のみならず、認知症当事者の家族などが競って購入したのであろう。
 ユマニチユードは、時に〝魔法〟や〝奇蹟〟に例えられる。なにしろ、手に負えない暴力的な人が穏やかになり、拒んでいた食事や入浴を受け入れるようになり、寝たきりだった人が立ち上がって歩き出す、というのだから。
 いささか眉唾と感ずるむきもあろうが、技法の細部を知れば納得できる。『見つめること』『話しかけること』『触れること』『立つこと』を基本として、150以上の具体的な方法論があるのだ。評者は『(立たせるとき)わきを持ち上げない』『(誘導のさい)手首をつかまない』といった工夫に『本物』を実感した。【精神科医・斎藤 環】」(2014年7月20日付朝日新聞・読書)

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 「病気や障害によって他者に頼らざるをえない状態になった人の場合、この『見る・見られる』という関係はどのようになっていくでしょうか?
 ここで、認知症で寝たきりとなったグレゴリーさんという高齢者を3日間観察して得た結果を紹介します。
 3日間の調査期間中、部屋にやってきた人からの視線の投げかけは、0.5秒未満が9回あっただけでした。ユマニチュードでは、相手を『見る』ためには0.5秒以上のアイコンタクトが必要だとされています。グレゴリーさんの部屋には3日間の合計で、医師が7分間、看護師が12分間それぞれ来訪していましたが、彼らとグレゴリーさんとのアイコンタクトはともに0秒でした。
 つまり、『あなたの存在を認めていますよ』というメッセージを発するための『見る』という行為が、医師からも看護師からも行われていなかった、という結果になりました。人としての存在とその尊厳を確認するための行為──第2の誕生をもたらす『見る』行為──は、グレゴリーさんに対し3日間で一度も実施されていなかったのです。

やってみたユマニチュード
 ユマニチュードのテクニックに『目が合ったら2秒以内に話しかける』というのがあります。そんなことは当たり前だと思われるかもしれないですが、目が合わないと思っていた方と目が合うと、びっくりしてこちらも一瞬固まってしまうんです。
 患者さんの立場になって考えると、ふと気づいたら目の前に人がいて、何も言わずにじっとこちらを見ていたら怖いですよね。攻撃しにきたのかと勘違いされてしまいます。2秒以内に話しかけなければいけないというのは、自分が敵意をもっていないことを相手に示すためなんだ、と知りました。
 そういった一つひとつのテクニックが具体的に構築されているところが、ユマニチュードの優れた点だと思います。」(本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp46-47)

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 2014年7月20日に放送されましたNHKスペシャル・認知症をくい止めろ!(http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20140720)におきまして、ユマニチュードの実践例が紹介されました。

実践例1【花塚綾子さん, 72歳】
 アルツハイマー型認知症と診断してから13年になる。
 平素は声を上げたり突然怒り出したりコミュニケーションを取ることが困難な状況ですが、ユマニチュードを取り入れたところ、声を上げることが少なくなり柔らかい表情になった様子が映し出されました。

実践例2【岡 四平さん, 88歳】
 2年前に脚の骨折をしてから寝たきりの状態。
 イヴ・ジネストさんが訪室してわずか20分後に2年ぶりに歩いた様子が報道されました。

実践例3【久万辰雄さん, 95歳】
 肺炎で入院したことが契機となって認知症が悪化。このままだと寝たきりにならないかと心配されていました。
 しかし、ユマニチュードを入院中から在宅へと継続して実践(妻のかね子さんが家庭で行うための基本を教わって実践)したところ、2か月後には見違えるようによくなり笑顔も取り戻した様子が紹介されました。

 ユマニチュードの基本である「見つめる」「話しかける」「触れる」「寝たきりにしない」についても若干の解説が加えられました。
 「見つめる」際には、遠くから視野に入り正面から見つめます。認知症の人は視界の中心に居る人しか認識できない場合があるためです。
 「話しかける」時には、実況中継をするように話しかけつづけるのがポイントです。
 「触れる」時はやさしく、「つかむ」のではなく動こうという意志を活かして下から「支える」。
 スタジオゲストの本田美和子医師は、車椅子を押す場合には認知症の人の視野から消えてしまいますが、片手で車椅子を押し、もう片方の手を(軽くではなく少し力を加えて)肩において「いるんだよ」というメッセージを伝えましょうとお話されておりました。

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 ユマニチュード(Humanitude)はイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティの2人によってつくり出された、知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションにもとづいたケアの技法です。この技法は「人とは何か」「ケアをする人とは何か」を問う哲学と、それにもとづく150を超える実践技術から成り立っています。認知症の方や高齢者のみならず、ケアを必要とするすべての人に使える、たいへん汎用性の高いものです。
 体育学の教師だった2人は、1979年に医療施設で働くスタッフの腰痛予防対策の教育と患者のケアへの支援を要請され、医療および介護の分野に足を踏み入れました。その後35年間、ケア実施が困難だと施設の職員に評される人々を対象にケアを行ってきました。
 彼らは体育学の専門家として「生きている者は動く。動くものは生きる」という文化と思想をもって、病院や施設で寝たきりの人や障害のある人たちへのケアの改革に取り組み、「人間は死ぬまで立って生きることができる」ことを提唱しました。
 その経験の中から生まれたケアの技法がユマニチュードです。現在、ユマニチュードの普及活動を行うジネスト─マレスコッティ研究所はフランス国内に11の支部をもち、ドイツ、ベルギー、スイス、カナダなどに海外拠点があります。また2014年には、ヨーロッパ最古の大学のひとつであるポルトガルのコインブラ大学看護学部の正式カリキュラムにユマニチュードは採用されました。
 「ユマニチュード」という言葉は、フランス領マルティニーク島出身の詩人であり政治家であったエメ・セゼールが1940年代に提唱した、植民地に住む黒人が自らの“黒人らしさ”を取り戻そうと開始した活動「ネグリチュード(Négritude)」にその起源をもちます。その後1980年にスイス人作家のフレディ・クロプフェンシュタインが思索に関するエッセイと詩の中で、“人間らしくある”状況を、「ネグリチュード」を踏まえて「ユマニチュード」と命名しました。
 さまざまな機能が低下して他者に依存しなければならない状況になったとしても、最期の日まで尊厳をもって暮らし、その生涯を通じて“人間らしい”存在であり続けることを支えるために、ケアを行う人々がケアの対象者に「あなたのことを、わたしは大切に思っています」というメッセージを常に発信する──つまりその人の“人間らしさ”を尊重し続ける状況こそがユマニチュードの状態であると、イヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティは1995年に定義づけました。これが哲学としてのユマニチュードの誕生です。
【本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp4-5】

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 ベッドで寝たままの清拭では、骨に体重がかかることが少ないため骨は強くならず、関節は固くなり、筋力は衰えます。ベッド上安静は1週間で20%の筋力低下を来たし、5週間では筋力の50%を奪ってしまいます(Thomas E et al:Effects of extended bed rest: immobilization and inactivity. Cuccurullo S(ed). Physical medicine and rehabilitation board review. Demos Medical Publishing;2004)。
 重力のない状態で過ごして地球に帰還した宇宙飛行士は、2週間という短期間であっても20%の筋力を失っているという報告もあります(大島 博、水野 康、川島紫乃:宇宙旅行による骨・筋への影響と宇宙飛行士の運動プログラム. リハビリテーション医学 Vol.43 186-194 2006)。すなわち、本人の骨と筋肉に荷重をかけない「寝たままの清拭」は、回復を目指すというケアの目的にかなっていません。
 フランスのある介護施設では、ユマニチュードによるケアの導入後、ベッドで行う清拭が60%から0%になったという報告がありました。これは、受けるべきケアのレベルを再評価してみたところ、それまでベッドでの清拭を受けていた入居者の全員が実は適切なレベルのケアを受けていなかった、ということを示しています。
【本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp17,21-22】

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ケアの準備
 第2のステップは、ケアについて合意を得るプロセスです。
 所要時間は20秒~3分です。これまでのユマニチュードの実践の経験では、およそ90%は40秒以内で終わっています。つまり、面倒なようでも、とても短い時間しかかかりません。
 ユマニチュードのこの技術を用いることで、攻撃的で破壊的な動作・行動を83%減らせたという報告があります。実際に日本で、日本人のスタッフが実施してみても、この段階ですでに本人の反応が異なることを数多く体験しています。どんなに業務が忙しくても、40秒程度ならその時間を捻出することはそれほど難しくないはずです。

●正面から近づく。
●相手の視線をとらえる。
●目が合ったら2秒以内に話しかける。
 例:「おはようございます! お会いできて嬉しいです。」
●最初から「ケア(仕事)」の話はしない。
●体の「プライベートな部分」にいきなり触れない。
 ここで気をつけておきたいのは、顔は極めてプライベートな領域であることです。
●ユマニチュードの「見る」「触れる」「話す」の技術を使う。
●3分以内に合意がとれなければ、ケアは後にする。
【本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ:ユマニチュード入門 医学書院, 東京, 2014, pp100-113】

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 私がユマニチュードへの興味を持ち始めたきっかけは、2013年10月、駒沢オリンピック公園の向かいにある国立病院機構東京医療センターを訪ね、総合内科医長の本田美和子先生から話を聞いたことでした。
 その日は、外来棟や入院棟の奥に併設された管理棟の7階、研修医らが生活する寮の中の一部屋をあてがわれた本田先生の執務室に案内されました。
 私は4年ほど前から、NHK総合で放送されている「クローズアップ現代」 (毎週月曜~木曜 午後7時30分から放送)という番組の制作に定期的に携わっており、その時はちょうど、超高齢社会を迎えた日本にどのような変化が起きており、どんな対策を講じる必要があるのかといったテーマを、継続的に取り上げていました。
 その取材の折に、ある大学の研究者から「〝ユマニチュード〟というフランス発のすごい認知症ケア技法がある」と聞き、伝手を頼ってユマニチユードの普及に取り組む本田先生に会い、取材する約束を取りつけたのです。
 取材に先立ち、事前に調べたところでは、ユマニチュードはまだ、日本でほとんど紹介されておらず、看護師のための専門誌で特集されているぐらいで、大手の新聞でも記事はまだわずか。
 テレビに関しては、NHKの「暮らし✧解説」という10分間のスタジオ番組で紹介されただけで、ほとんどないという状態でした。

 この日、本田先生は、ユマニチュードというケア技法の特徴や、それを日本に導入することになった経緯など、この本でもこの後、詳述する様々な興味深い話を聞かせてくれました。
 しかし、この日の取材で最も強く印象に残ったのは、東京医療センターに入院した87歳の認知症の女性をケアする様子を映した映像でした。
 2人の看護師が女性を入浴用のベッドに乗せ、シャワーを浴びせると、女性は「なんでそんなことをするの!」「やめて」「いやーっ!!」と絶叫しています。
 音声だけ聞いていると、まるで女性が拷問されているか、レイプ被害にでもあっているかのような反応ですが、2人の看護師さんたちは、決してその女性を乱暴に扱っているわけではなく、お湯の温度も熱すぎたり、冷たすぎたりしないようきちんと調節していたと言います。
 一人では入浴ができない入院患者である女性を、自分たちがきれいにしてあげようとしているのに予想外の反応を返され、看護師が一体どうしたらいいのか、困惑しきっている表情を浮かべているのです。
 これまでも、介護施設などで認知症の人の取材をしたことは何度かありましたが、改めて、「認知症のケアは、やはり大変だなあ」と感じさせるものでした。

 ところが、次にこの同じ女性に対し、別の日に行われた入浴ケアのシーンを見せられ、驚きました。
 先に見せられた映像では、入浴用のベッドにあおむけに寝かされていた女性が、今度は座った姿勢でシャワーを浴びています。
 対応するのは同じく2人の看護師さんですが、1人は女性の顔を見つめ、話しかけ、もう1人が、シャワーを浴びせているのが最初の映像との違いでした。
 すると、前のビデオでは叫び声を上げていた女性が、「ごめんなさい、騒いでしまって。いつも怖くて怖くて、私、泣いていたの。本当にすいません」と、切々と語り出したのです。
 さらに、「今は気持ちいいですか?」という看護師さんの問いに、「はい。とても気持ちいいです。ありがとうございます」と答えているのです。

 これは、とても衝撃的な映像でした。
 敬語で自分の細やかな感情のありようを切々と訴える様子から、この女性が高い知性を持っていることや、それを培うために積み重ねてきた人生の豊かな歴史が感じられました。
 そして、ただシャワーを浴びせられただけで、まるで拷問を受けているかのように叫び声を上げていた状態は、認知症によって「引き起こされたもの」であることが、はっきり理解することができたのです。
 本田先生の説明によれば、この女性は、ほんの少し前の記憶すら失ってしまうほど認知症の症状が進んでいる状態でした。
 それなのに何日も前に、自分がシャワーの時になぜ叫び声を上げたのかをきちんと覚えていたのです。
【望月 健:ユマニチュード─認知症ケア最前線 KADOKAWA, 東京, 2014, pp14-17】

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 いかに優しく、穏やかにといっても、前向きな言葉を話し続けるのは、なかなかどうして簡単なことではありません。
 特に相手が返事を返してくれたり、相づちを打ってくれなければなおさらです。
 言葉でメッセージを送れば、通常は相手から言語や、言語でなくとも意味のある返答=「フィードバック」があるものです。それがなければ、「今日は、いい天気ですね」「顔色がいいようですね」と、天気と顔色をほめたら、後は何を話していいのか、結構、行き詰まります。
 そこで、考え出されたのが、「オートフィードバック」というユマニチュードのコミュニケーション技術です。
 コミュニケーションを取るのが難しい相手でも、言葉によるメッセージを送り続けるためのエネルギーを自ら作り出し、補給し続ける方法です。
 基本は体を拭くなど何かケアをする必要がある時に、その行為そのものを言葉にするのです。
 「今日は、○○さんにさっぱりしてもらおうと思って、準備してきました」「とっても暖かくしてあるので、すごく気持ちがいいですよ」「それでは、右手から拭いていってもいいですか?」などと、実況中継のように状況を説明していくのです。
 併せて、「こんなにしっかり腕が上がるのは、すばらしいですね」「協力してくれたので、うまく拭けました」「○○さんも、すごく気持ちよかったのではないですか」などど、相手を快くさせる前向きの言葉を添え、ケアの空間を暖かい言葉で満たしていくのです。
 ある看護師さんは、「人間というのは不思議な生き物で、実際に前向きな言葉を口に出してケアを行うと、それがウソにならないように、どう工夫したら相手が気持ちよく感じるかを考えるようになった」と話していました。
【望月 健:ユマニチュード─認知症ケア最前線 KADOKAWA, 東京, 2014, pp36-38】

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総合内科病棟の看護師が感じるジレンマ
 クローズアップ現代で紹介した調布東山病院と東京医療センターの2つのケースは、どちらも、認知症の人と絆を結ぶ重要な役割を、ユマニチュードのインストラクターとして、非常に優れた技術を持つ東京医療センターの林紗美看護師(総合内科病棟・副看護師長 はやしさよし)が担っていました。
 美しさに加え、相手の心を溶かすような笑顔は、取材スタッフの間でも、「自分の親にケアが必要になったら、こういう看護師さんにお願いしたいものだ」とか、「あの笑顔は、ユマニチュードを超越している。反則だ」などと、余計なお世話以外の何物でもない議論のタネになるほどでした。
 しかし、取材に先立つ打ち合わせの時などは、患者さんに接する時のあの優しさはどこに行ったのかと思うほど、厳しい指摘を繰り出してきます。
 それらは、自分たちが預かっている患者さんという病やけがを抱えた人たちに、不必要な迷惑はかけさせないという強さとプロ意識を感じさせるもので、とても好感が持てました。
 冗談で、「ユマニチュードで患者さんに対応する時と、随分違いますね」と言ったら、「ふだんは、文句も不満も言いますよ」と言われ、なるほど、ユマニチュードは個人の性格などではなく、技術なのだなあと妙に納得したのを覚えています。

 その林看護師に、どうしても聞きたいことがありました。
 ユマニチュードが、認知症ケアの分野で、優れた威力を発揮する技術であることは、取材を通して、かなり確信を持てました。
 しかし、日本では、人手不足に苦しみ、朝から晩まで多くの仕事を抱え、それでいて十分な賃金を受け取ることができず、苦悩する医療や介護の職場があり、スタッフがいるという現実があります。
 人と正面から向き合うためには、それだけ多くの時間が必要になります。
 本当に、忙しい職場に、ユマニチュードを普及させることはできるのか、現場で働く看護師から、直接、答えを聞きたかったのです。
 その質問に対し、林看護師からこんな答えが返ってきました。
 「確かに最初は、ふだんから忙しいのに、また何か新しいことをやらなければいけないのかと思って、現場にこれ以上、新たな負担をかけるようなことは、もう無理じゃないかなと思っていました。
 けれど、実際にやってみると、状況が理解できず協力が得られない方やケアを拒否する方には4人、5人が集まって、何とかなだめたり、動いてもらおうと一生懸命、力を使ったり。それでも20分、30分かかって、やりたかったケアができないこともあります。
 それが、ユマニチュードをすることで、確かに丁寧にすごく時間をとっているように見えるけれども、結果としては、とてもスムーズに、こちらがやりたかったこともすぐできる。患者さんが一緒に協力してくれるので、その分、自分の体も楽なので、お互い楽に、スムーズに終わらせることができるのです」
【望月 健:ユマニチュード─認知症ケア最前線 KADOKAWA, 東京, 2014, pp86-89】

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