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アルツハイマー病の末期とは? [終末期医療]

アルツハイマー病の末期とは?

 この分野のトップランナーである東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター 上廣死生学・応用倫理講座の会田薫子先生は、2011年3月19日発行の日本医事新報にて、「私も定義化に汲々としてきた」と述べられております。
 それ程難しいテーマだとご理解下さいね。
 以下にその記事をご紹介しますね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第120回『終末期への対応 慢性疾患の終末期の定義化は難しい』(2013年4月24日公開)
 終末期の定義に関して、日本老年医学会の「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン─人工的水分・栄養補給の導入を中心として」作成に深く関わってきた東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター 上廣死生学・応用倫理講座の会田薫子特任准教授(論文執筆当時の肩書きは、東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOE「死生学の展開と組織化」特任研究員)が書かれた印象的な記述がありますので以下にご紹介しましょう。
 「終末期医療の調査研究にあたる者にとって、終末期をどう定義するかは仕事の第一歩である。研究対象について焦点を絞ることと研究にかかわる概念を明確化することなしには、研究計画すら立てることができない。そのようなわけで、終末期医療の研究者としては、研究対象の定義化にはそれなりに時間を使ってきた。
 しかし、悪性疾患と異なり、慢性疾患の終末期の定義化は困難であり、数値で表現することは不可能かつ不適切との指摘もある。そこで、数値を使わずに疾患の進行段階で示すこともある。例えば、認知症の終末期の定義は、それがアルツハイマー型であればFASTの7-(d)の『座位維持能力の喪失』以降というのが海外学術誌上では標準的とみられる。一方、脳血管疾患型認知症の進行は様々なので、終末期の定義は非常に難しく、頭を悩ませる。
 しかし、先日、ある事例検討セミナーで会った看護師の一言にハッとさせられた。それは、脳梗塞を繰り返し、意思疎通困難・摂食嚥下困難で、概ね寝たきりで経鼻経管栄養法を受けていた患者の例であった。
 患者は経鼻経管を嫌がり、毎日引き抜いてしまう。主治医は予後は半年以上とみて、患者の家族に胃ろう造設を勧めたが、家族は反対した。この患者への人工的水分・栄養補給をどうするか。この患者は終末期にあるとみて終末期対応をするのが適切かどうか、どのようにしてそれを判断するのか、私は医療者のディスカッションを聞いていた。その中で、この看護師は言った。『終末期かどうかということよりも、この患者さんのために何が最善なのか、それを考えましょう』。
 患者にとって、今、何をするのが最善なのかを検討するためには、医学的判断と併せて、患者本人がどのような人なのかを知ることが非常に重要である。それなしには、このような場面で本人がどのような価値判断をするのか、どういう意向を示すのかを推察することは困難である。
 家族らとのコミュニケーションを通じ、本人にとって何が大切なのかを知ろうとする。そうして本人像に迫ることによって、患者本人にとっての最善を探り、それを実現しようと努力することは、予後予測によって終末期対応の是非を探ることとはまったく異なるアプローチである。
 終末期医療をめぐる議論では常にその定義が問題とされてきた。そして、慢性疾患においては定義化が困難なので、終末期医療の議論も論理的に進めることができないという指摘もあった。冒頭に述べたように、私も定義化に汲々としてきた。本末転倒ではなかったか。定義は重要だが、そもそも何のための定義なのか。当たり前のことをしっかり認識させていただいた。」(会田薫子:終末期医療を考えるということ. 2011年3月19日発行日本医事新報No.4534 1 2011)

FAST [終末期医療]

FASTステージ

 アルツハイマー病の自然経過に関しては、FAST(Functional Assessment Staging of Alzheimer's Disease)を参考にされるとよいでしょう。FASTは、日常の行動観察から重症度を評価するスケールです。
FAST.jpg
 FASTは、アルツハイマー型認知症の病期を日常生活動作(Activities of Daily Living;ADL)の障害の程度によって分類したものであり、Reisbergらによって考案されたものです(Reisberg B:Functional staging of dementia of the Alzheimer type. Ann NY Acad Sci Vol.435 481-483 1984)。
 FASTのステージでは、ステージ4が軽度AD(中等度の認知機能低下)、ステージ5が中等度AD(やや高度の認知機能低下)、ステージ6がやや高度AD(高度の認知機能低下)、ステージ7が高度AD(非常に高度の認知機能低下)となっております。



アルツハイマー型認知症FASTスケール
 米国では,認知症患者さんに対して予後予測6カ月未満でホスピスへの入所を考慮しますがその際,FASTスケール(functional assessment staging scale)が用いられています.その基準のなかで,次のいずれかを過去1年間に有する者が対象とされており,「誤嚥性肺炎」「腎孟腎炎」「敗血症」「多発褥瘡」「抗菌薬投与でも発熱が再燃をきたす」という項目があげられています(表2).
アルツハイマー型認知症FAST.jpg
 当院でも,入院中に発生する感染症はほぼ一緒です.加えて,当院では中心静脈栄養管理を必要としている患者さんも多く,血管内カテーテル関連感染症も数多く経験します.稀ではありますが,褥瘡感染を含めた皮膚感染症(真菌感染も含む)や胆道系感染症にも遭遇します.
 【島崎貴治:療養病床で行う感染症診療. Gノート Vol.3 No.2(増刊) 総合診療力をググッと上げる! 感染症診療―実はこんなことに困っていた! 現場の悩みから生まれた納得のコツ 197-203 2016】

私の感想:
 FASTの詳細は、以下でもご紹介しております。
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_FAST-5fac0.jpg.html
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-02-01-2

 表2のiADL(instrumental ADL)については、以前私が連載しておりました朝日新聞社アピタルの医療ブログ「ひょっとして認知症?」において要点を解説しておりますので以下にご紹介致します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第770回『軽度認知障害? それとも?─男性では買い物、女性では料理』(2015年2月20日公開)
 筑波大学大学院人間総合科学研究科病態制御医学専攻神経病態医学分野(臨床医学系神経内科)の玉岡晃教授は、「MCIの認知症への移行率は手段的日常生活動作の障害項目が多いほど高く、正常への回帰率は障害項目が少ないほど高かった。…(中略)…MCI例における攻撃性、抑うつ、意欲低下などは健常者に比して高率に認められることが報告されているが、特にアパシー(メモ参照)はADや認知症への移行の危険因子であることが明らかにされている」ことを論文(玉岡 晃:MCIの管理. 最新医学 Vol.66 2156-2165 2011)にて紹介しています。

メモ:アパシー
 アパシー(apathy)とは、無気力・無関心・無感動のため、周りがやるようにと促しても、本人は面倒だから、全然動こうとしないし気にもしない状態です。介護者から見ると、どうしてこれだけ動かないのかと不思議に感じます。
 
 前述の論文の中に「手段的日常生活動作」というあまり聞き慣れない言葉が出てきましたね。
 日常生活活動は基本的な身の回りADL(排泄、トイレ動作、食事、更衣、整容、入浴など)と、より高度な手段的ADLの2つに大別されます。
 独立行政法人国立長寿医療研究センター病院(愛知県)の鳥羽研二院長が、手段的ADL(Instrumental activities of daily living;IADL)に関して簡潔に説明していますのでご紹介しましょう(一部改変)。
 「手段的ADL(Lawton&Brody)は、独居機能に関連する買い物、金銭管理、交通機関の利用、服薬管理、電話の利用、料理、家事、洗濯の8項目である。男性では料理、家事、洗濯をもともとしない(できない)場合があり注意する。外来で認知症またはMCI患者に行った手段的ADL検査では、買い物、料理、服薬管理が早期に低下しており、認知症の早期発見に役立つことを報告した。男性では買い物、女性では料理ができないことが、初期認知症とMCIとの鑑別に役立つことが判明した。」(鳥羽研二:手段的ADLと基本的ADL. 日本臨牀 Vol.69 Suppl8 313-317 2011)
 生活障害チェックシートは、ウェブサイト上にもアップロードされております。pdfファイルのp8(http://www.seikatsusyogai.jp/files/guidebook.pdf)をご参照下さい。男性では、「料理(食事の支度)」「家事」「洗濯」については評価せず満点が5点であるのに対して、女性は満点が8点です(今井幸充、長田久雄:認知症のADLとBPSD評価測度 ワールドプランニング, 東京, 2012, p42)。
 アルツハイマー病患者のADL評価を目的として開発された評価尺度の一つにDisability Assessment for Dementia(DAD)という指標があります(Gélinas I, Gauthier L, McIntyre M et al:Development of a functional measure for persons with Alzheimer's disease: the disability assessment for dementia. Am J Occup Ther Vol.53 471-481 1999)。DADは、地域で生活するアルツハイマー病患者に対する適切な介入方法を選択する際の指標とすることを目的として開発されました。DADは10領域の40項目から構成されており、40項目のうち17項目は基本的ADL(basic ADL;BADL)、23項目はIADLから構成されています(飯島 節:Disability Assessment for Dementia;DAD、Alzheimer's Disease Cooperative Study-Activities of Daily Living;ADCS-ADL. 日本臨牀 Vol.69 Suppl8 471-474 2011)。

詳細は↓
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-05-11-2



朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第108回『終末期への対応 「愛という名の支配」ではないのか』(2013年4月12日公開)
 最近発行された老年医学雑誌において、「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン─人工的水分・栄養補給の導入を中心として」(2012年6月27日)の起草・推敲を担当した東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター上廣講座の清水哲郎特任教授が書かれた印象深い文言を見つけました。
 「家族は本人と非常に近い間柄である。だからその関係には、互いに相手のために一所懸命になる、という麗しい面とともに、相手の意思を軽視して、家族が本人にとってよいと思ったことを押しつけるといったこと─『愛という名の支配』─もあるのだということに留意して、時には、本人の最善のために、家族に対して本人を擁護する役割が医療・介護従事者に期待されることもある。」(清水哲郎:意思決定プロセスの共同性と人生優位の視点─日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」の立場─. Geriatric Medicine Vol.50 1387-1393 2012)
 父に対して、胃瘻造設も検討した私の姿は、まさしく、「愛という名の支配」であったのかも知れませんね。
 なお、「死に目に会う」ことを重んじる慣習について、東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター 上廣死生学・応用倫理講座の清水哲郎特任教授と会田薫子特任准教授は、週刊医学界新聞の座談会「終末期の“物語り”を充実させる─『情報共有・合意モデル』に基づく意思決定とは」(2013年2月4日付週刊医学界新聞・第3013号 1-3)において興味深い話を紹介されております(http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03013_01)。
会田:
 「以前、ある訪問看護師から聞いた『患者さんの“死に目に会う”ことより、亡くなるまでのプロセスにしっかりかかわれたことが大事』という言葉が印象的でした。日本では『死に目に会う』、つまり最期の瞬間に立ち会うことを重んじる慣習があるので、普段訪問している看護師であるからこそ、患者さんの亡くなる瞬間には立ち会いたいものかと思っていたのですが、そうではないというのです。」
清水:
 「本人に寄り添ってケアのプロセスをたどってきた方は、『死に目に会う』かどうかにあまりこだわらない傾向があるように思います。本人とのつながりが安定しているからではないかと思うのですが。」


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第109回『終末期への対応 最期の半年~2年は寝たきりに』(2013年4月13日公開)
 さて、アルツハイマー病の経過について復習しておきましょう。
 アルツハイマー病の重症度による疾患の進行段階分類(Functional Assessment Staging;FAST)のステージ(http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/FAST.pdf)では、ステージ4が軽度AD(中等度の認知機能低下)、ステージ5が中等度AD(やや高度の認知機能低下)、ステージ6がやや高度AD(高度の認知機能低下)、ステージ7が高度AD(非常に高度の認知機能低下)となっております。
 シリーズ第16回『認知症の代表的疾患─アルツハイマー病 アルツハイマー病の経過を知っていますか?』(http://apital.asahi.com/article/kasama/2012122500021.html)にてご紹介しましたアルツハイマー病の平均的な自然経過が分かりやすいかも知れませんね。なお、東京ふれあい医療生協梶原診療所在宅サポートセンター長の平原佐斗司医師は、「最期の半年~2年は歩行障害が出現し、寝たきりですごします。寝たきりになると、尿路感染症が3.4倍に、下気道感染6.6倍となるといわれており、合併症の管理がより重要になります」と指摘しています(平原佐斗司編著:認知症ステージアプローチ入門─早期診断、BPSDの対応から緩和ケアまで 中央法規, 東京, 2013, p15)。
 ステージ7は以下のように細分されています。
FAST7:非常に高度の認知機能低下(高度のアルツハイマー病)
 7a:最大限約6語に限定された言語
 7b:理解し得る語彙はただ1つの単語となる
 7c:歩行能力の喪失
 7d:着座能力の喪失
 7e:笑う能力の喪失
 7f:昏迷および昏睡

 通常の経過であれば、FAST7c(歩行能力が失われる)の後で7dに至り、やがて「嚥下」が困難な状態となっていきます。
 一般的には、FASTステージ7f がアルツハイマー病(AD)末期の定義とされています(Reisberg B, Ferris SH, Anand R et al:Functional staging of dementia of the Alzheimer's type. Ann N Y Acad Sci Vol.435 481-483 1984)。
 東京ふれあい医療生協梶原診療所在宅サポートセンター長の平原佐斗司医師は、アルツハイマー型認知症「末期の診断」に関して以下のように述べております。
 「嚥下反射は重度に入ると少しずつ低下しはじめますが、最終的には嚥下反射が消失します。この嚥下反射の消失を客観的方法で確認することで、末期の診断がなされます。末期と診断され、まったく経口摂取ができなくなってから、何もしなければ1~2週間、末梢輸液や皮下輸液だけを行うと2~3か月、胃瘻などの経管栄養を行っても約1年で死に至ることが多いと考えられています。」(平原佐斗司編著:認知症ステージアプローチ入門─早期診断、BPSDの対応から緩和ケアまで 中央法規, 東京, 2013, pp15-16)



朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第110回『終末期への対応 アルツハイマー型「末期」は、どこからか』(2013年4月14日公開)
 それでは平原佐斗司医師が実施している嚥下反射の客観的評価方法についてご紹介しましょう。
 「われわれは、簡易嚥下誘発試験(Simple Swallowing Provocation Test:S-SPT)や3cc水のみテスト、頸部聴診法などを組み合わせて用いることで、嚥下反射の有無を判断しています。これらの方法は簡便で、ほとんどの患者に苦痛なく実施することができます。
 S-SPTは口腔内清拭後、臥位にて施行します。細径のエキステンションチューブを中央で切り5ccシリンジと接続し、内部に水道水を充填します。チューブ先端を中咽頭に挿入し、0.4cc、1cc、2ccの順に水を注入し、注入から嚥下反射誘発までの時間を測定します。健常者では0.4ccの少量の水の注入で嚥下反射が誘発されます。一方、2ccの水の注入で、潜時(注入から嚥下反射誘発までの時間)が3秒以上あるいは嚥下反射がみられない場合、嚥下反射の極度の低下あるいは消失と考えられ、経口摂取は困難であると考えられます。」(平原佐斗司編著:認知症ステージアプローチ入門─早期診断、BPSDの対応から緩和ケアまで 中央法規, 東京, 2013, pp297-298)
 一方で、FAST7d,e,fを「末期」とする考え方もあります。この辺りがきちんと統一されておりません。
 東京大学大学院医学系研究科医療倫理学分野の箕岡真子医師は、「アルツハイマー病単独の場合には、FAST分類7(d)(e)(f)であれば終末期と判断してもよいと思われる。またアルツハイマー病そのものが終末期でない場合でも、何らかの身体的衰弱や摂食不良をきたす他の疾患の合併がある場合には終末期と判断される可能性もあり、個別のケースごとに担当医師の適切な診断が必要となる。とくに、延命治療を差し控えたり中止したりする場合には、倫理的には2人以上の医師による適切な判断が求められる。」(箕岡真子:認知症の終末期ケアにおける倫理的視点. 日本認知症ケア学会誌 Vol.11 448-454 2012)と指摘しています。



朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第111回『終末期への対応 「胃ろう」の末期は苦痛が多いのでは』(2013年4月15日公開)
 2012年2月2日に催された座談会(出席者:北川泰久、中島健二、池田 学、三上裕司、羽生春夫)において、司会を務めた東海大学医学部神経内科の北川泰久教授は、認知症のターミナルケアとしての胃瘻(胃ろう)に関して以下のように語っています。
 「胃瘻の患者さんは全国に20万人とか25万人いるといわれていますが、認知症が進行して食事ができなくなったとき、胃瘻を設置するかどうかということが非常に大きな問題になってきています。欧米と日本では考え方に違いがあるかと思うのですが、アメリカでは胃瘻は一切行わないということになっていますね。」(座談会─認知症診断・治療の進歩と医療連携. 日本医師会雑誌 第141巻・第3号 501-513 2012)
 東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター 上廣死生学・応用倫理講座の会田薫子特任准教授は、アルツハイマー病終末期における胃瘻造設は患者にとって不利益をもたらすだけという結論が導かれた経緯に関して以下のように言及しております(一部改変)。
 「AD(アルツハイマー病)と経皮内視鏡的胃瘻造設術(Percutaneous Endoscopic Gastrostomy;PEG)に関する研究が日本に先行して行われ、知見の蓄積が厚い欧米では、アルツハイマー病終末期の患者群に対してPEGを施行して胃瘻栄養法を導入すると苦痛の多い最期となることが多いので行うべきでないと結論されている。ここでいう苦痛の原因は、誤嚥性肺炎、その他の感染症、下痢、消化管機能障害、過剰な水分補給による肺水腫、腹水などである。とくに誤嚥性肺炎については、その予防を目的のひとつとして胃瘻栄養法が導入されることが多いが、実際には予防にならないことが多いと報告されている
 そうしたことから、英米豪などのアルツハイマー協会のガイドラインは、認知症が進行した段階での摂食困難に対しては、胃瘻や経鼻胃管による経管栄養法は患者の利益にならないので行うべきでないとしている。」(会田薫子:認知症高齢者のターミナルケアをどう考えるか─AD終末期における人工的水分・栄養補給法. 老年精神医学雑誌 第23巻増刊号-Ⅰ 119-125 2012)
 そして、会田薫子特任准教授は著書において、「西洋の医学組織やアルツハイマー病協会は、アルツハイマー病が進行して摂食嚥下困難となった場合は胃ろう栄養法の適応ではなく、胃ろう造設は患者にとって不利益をもたらすだけなので、造設しないように勧告している。海外学術誌において、一般的に、胃ろう栄養法や経鼻経管栄養法の導入は本人の益にならないのでこれらの経管栄養法を実施しないこととされているのは、アルツハイマー病の終末期と判断されている、FASTの7(d)以降の段階、つまり、介助により着座できても、座位を保持することが困難となった段階以降である。」(会田薫子:延命治療と臨床現場─人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学, 東京大学出版会, 2011, p154)と述べています。
 ただしこの「本人の益」については、「無益性(futility)の概念は医学的factだけでなく、患者本人が望む治療のゴールやQOLのような倫理的valueによっても変わってくる」(箕岡真子:認知症高齢者の終末期医療における倫理的課題. Geriatric Medicine Vol.50 1407-1410 2012)ことにも留意しておく必要があります。

アルツハイマー病の終末期医療に関しての日々想々 [終末期医療]

キャプチャ.JPG
 2016年4月4日にシェアしました高山義浩先生の記述(https://www.facebook.com/photo.php?fbid=967644829955691&set=a.167956633257852.47153.100001305489071&type=3&theater)を読みまして、会田薫子先生の著書の内容を思い出しました。
 会田薫子先生の書かれました著書『延命治療と臨床現場-人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学』の記述内容は、朝日新聞社アスパラクラブ「ひょっとして認知症Part1」第327回『■改めて尊厳死、平穏死を考える(その3)─終末期に経管栄養や輸液を「差し控え」ることについて』においてご紹介しておりますので以下に再掲致します。


「ひょっとして認知症Part1」第327回『■改めて尊厳死、平穏死を考える(その3)─終末期に経管栄養や輸液を「差し控え」ることについて』
 強く印象に残る部分は、「経管栄養や輸液は、気道分泌物を増加させ、呼吸困難や浮腫を悪化させるので、その中止・差し控えは倫理的との見解が支配的」という部分ではないでしょうか。
 東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOE「死生学の展開と組織化」の会田薫子特任研究員は著書において、終末期の人工的水分・栄養補給法(artificial hydration and nutrition;AHN)の差し控えの意義に関して、次のような報告があることを紹介しております(会田薫子:延命治療と臨床現場-人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学, 東京大学出版会, 2011, pp201-202)。
 「終末期のAHNの生理学的意味を検討した欧米の研究(Ahronheim,1996;Printz,1992)は、終末期のAHNの差し控えは苦痛の原因にならないどころか、緩和ケアであるとしている。その理由は、余分な水分補給を行わないことにより、気道内分泌物が減り、気道閉塞のリスクが低下し、吸引回数も減り、また、AHNの差し控えにより、脳内麻薬と呼ばれるβエンドルフィンやケトン体が増加し、それが鎮痛鎮静作用をもたらすからだ。」
 会田薫子さんも、「終末期のAHNの差し控えは苦痛の原因にならない」という考え方は、当初は「非常識」と思っていたそうです。その「非常識」が打ち破られていく状況を以下のように記述しています。
 「筆者がこの『常識』を破られたのは米国滞在中の2000年であった。ハーバード大学の関連病院として最大で、米国でもトップクラスの病院として著名なマサチューセッツ総合病院の医師から、終末期のAHNが不要であることを初めて聞いたときである。最初は耳を疑い、次の瞬間、これは米国でしばしば囁かれていた高齢者差別(エイジズム)の実例ではないかと感じた。しかしその後、医学文献を調べてみたら、その医師のいうとおりであることがわかった。患者が最期の期間を最も苦痛なく過ごすためには、AHNは不要なのである。必要なのは、唇が乾かないように湿らせる程度のことだとわかった。」(会田薫子:延命治療と臨床現場-人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学, 東京大学出版会, 2011, p202)


詳細は↓
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-04-05

P.S.
 『延命治療と臨床現場-人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学』は定価4,800円+税とかなり高価な本です。
 ただ、終末期医療のことを勉強する専門家にとっては必須の本だと私は思っています。
 一般書店でも売っておりますし、Amazonでも入手可能です。
 ぎっしり文字が詰まっておりますので、隅々までしっかり吟味しながら読むには二週間程度かかるのではないかと思います。

 で、最近の私の終末期医療に関する方針はと言いますと、この2~3年はほとんど変化がない状況です。
 以下に箇条書きにしてみます。
1 原則通り「本人の意向」を最優先にしているので、なるべくきちんと本人の意向をお聞きする。そのため、アルツハイマー病の患者さんに対しても、診断が概ね確定したら、「マイルドな告知」を実践して本人意向を聞くようにしています(=2年前より実践しています)。
2 「自然な死」を臨むご家族に対しては、それが本人意向であることを確認したうえで、老衰などによる終末期と判断されれば、その意向に沿った治療を実践する。
 ただし、私の場合、病院勤務であり、全く「何もしない」というのは看護職の士気にも関わるため、一日500~1,000mlの点滴は実践し、なるべく自然な死を迎えられるようしている(数年前より実践しています)。
3 「自然な死」を臨むご家族に対しても、それが本人意向ではないことが確認され、しかもご家族が、「胃ろう=延命治療」という間違った解釈をしているときには、中心静脈栄養のデメリット(http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-01-26-3)などを説明するとともに、胃ろうのメリット(http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-01-26-4)についてきちんと説明し、「“栄養管理目的の胃ろう”ですから、私は、“胃ろう”を推奨します」と私の意見を伝えます(この2~3年はこのようにしております)。

 最近、3のパターンの患者さんが結構多くなってきております。
 それはとりもなおさず、「胃ろう=延命治療」という間違った解釈をされているご家族が多くなっているから、そしてその意見に対して「物申す」医師が少ないからなんでしょうね・・。


 ただ、経腸栄養で何年も遷延性意識障害で生き続けるアルツハイマー病末期(?)の患者さんを見ておりますと、「これで本当に良かったのかな・・」とも感じており、この部分では私も明確な結論を出せずにおります。
 「『胃瘻などの経管栄養を行っても約1年で死に至ることが多い』は本当か?」(http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-02-01-2)でご紹介しておりますFASTのステージ7e(笑う能力の喪失)の女性患者さん(入院時77歳)、この4月(=2016年4月)で入院して丸6年が経過しました。
 6年間寝たきりの遷延性意識障害(植物状態)で過ごす患者さんを見ておりますと・・。
 この患者さんは、発症してからしばらくして私の外来に通院するようになった方で、病識の面で既に問題がありましたので、告知せずに来た方です。
 終末期における治療方針は、私と娘さんが相談し、私が娘さんの意向を尊重する形で決めた方針です。
 娘さんは今も後悔していないと私は思います。最近の心情はお聞きしておりませんが・・。

P.S.
心情をお聞きしました!
 娘さんが語った心情は、2016年5月23日のFacebook(https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9)で書きますね。

98歳の胃ろう患者さん [終末期医療]

98歳の胃ろう患者さん

 私の受け持った胃瘻患者さんの最高齢は98歳です。
 数年前から認知症があったそうです。
Kアナムネ.jpg
 紹介状によりますと、昨年10月頃から寝たきり状態となり、嚥下障害が出現してきたそうです。
 11月下旬に胃瘻造設を受け、病状が安定したため、昨年12月に私の勤める病院に紹介入院となりました。
 入院時CTを供覧致します。
 K.jpg
 本年3月療養病床に転棟し、その時から私が主治医となっております。

 個人情報保護の観点から詳しくはお伝えできませんが、基礎疾患はアルツハイマー型認知症です。
 家族は延命治療は望まれておりません
 改訂長谷川式認知症スクリーニングテスト(HDS-R)を2016年5月18日に実施しましたところ7/30点でした。
HDS.jpg
 胃瘻により栄養状態は良好に保持されており、直近のアルブミン値は3.5です(基準値 アルブミン:3.8~5.3 g/dL)。

 欧米でしたら、「医療費の無駄遣い」ってバッサリのパターンだと思います。。
 しかし、この患者さん、リハビリテーションによって、理学療法士さんに手を引かれてではあるものの、何とか数mは歩けるようになってきております
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 胃ろう適用は、年齢で区切りをつけるべきじゃないなとつくづく感じた事例です。

高山義浩先生 都道府県別にみる老衰死率 オランダの覚悟 [終末期医療]

都道府県別にみる老衰死率
 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=991231520930355&set=a.167956633257852.47153.100001305489071&type=3&theater

高山義浩先生、こんにちは。
 いつも本音の素晴らしい文面、すがすがしく拝読させて頂いております。
 私は2年前に、アルツハイマー病の通院患者さん全員に対して「マイルドな告知」を実施し、終末期医療に対する意識調査を実施しました。調査の結果、ご本人が終末期医療として経腸栄養を希望したのは皆無でした。一昨年の第33回日本認知症学会学術集会において報告し、神崎恒一先生が編集をされました文光堂の『入院高齢者診療マニュアル』(http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-03-06-1)に寄稿しております。
 先に「医療費削減ありき」という考え方には同意しかねますが、本人の自己決定権を尊重した結果として、過度な延命治療を望まず「平穏死」に至り医療費削減にも寄与するのであれば、認知症の比較的早い段階で本人の意向を確認し終末期医療にその意向を反映するという試みは大切な取り組みになるのではないかと考えております

 さらに進めてオランダのような国家政策に至れば理想なのかも知れませんが、日本社会ではそれは難しいであろうと感じており、個々の意向を尊重し終末期医療に本人の意向を反映するという考え方で取り組んでおります。

オランダ国民の覚悟
 2013年1月29日に東京都内で「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」(主催:東京都医学総合研究所)が開催されました。
 大阪市立大学脳神経科学の森啓教授(日本認知症学会理事長)が「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」の学会印象記の中で、オランダの覚悟について以下のように語っておられます。
 「『拘束されない環境』で、本人の意思決定を尊重した介護を重視する姿勢の重要性も報告された。もっとも先進性が高いと考えられているオランダでは、在宅生活ができなくなった場合、日本の特別養護老人ホーム(略称、特養)に相当するナーシングホームに入居することになるが、そこは文字通り終の棲家であり、在宅に戻ることは基本的にない。そこでは口から食べられなくなったときが死を迎える時を意味している。経管栄養、胃瘻などを認めない方針から在施設入居期間が平均1.5年という短期間になっているが、これを国家政策として支持するオランダ国民の覚悟を見た。」(森 啓:「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」に参加して. Dementia Japan Vol.27 244-246 2013)

アルツハイマー型認知症FASTスケール [終末期医療]

アルツハイマー型認知症FASTスケール

 米国では,認知症患者さんに対して予後予測6カ月未満でホスピスへの入所を考慮しますがその際,FASTスケール(functional assessment staging scale)が用いられています.その基準のなかで,次のいずれかを過去1年間に有する者が対象とされており,「誤嚥性肺炎」「腎孟腎炎」「敗血症」「多発褥瘡」「抗菌薬投与でも発熱が再燃をきたす」という項目があげられています(表2).
アルツハイマー型認知症FAST.jpg
 当院でも,入院中に発生する感染症はほぼ一緒です.加えて,当院では中心静脈栄養管理を必要としている患者さんも多く,血管内カテーテル関連感染症も数多く経験します.稀ではありますが,褥瘡感染を含めた皮膚感染症(真菌感染も含む)や胆道系感染症にも遭遇します.
 【島崎貴治:療養病床で行う感染症診療. Gノート Vol.3 No.2(増刊) 総合診療力をググッと上げる! 感染症診療―実はこんなことに困っていた! 現場の悩みから生まれた納得のコツ 197-203 2016】

私の感想
 FASTの詳細は、以下でもご紹介しております。
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/upload/detail/m_FAST-5fac0.jpg.html
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-02-01-2

 表2のiADL(instrumental ADL)については、以前私が連載しておりました朝日新聞社アピタルの医療ブログ「ひょっとして認知症?」において要点を解説しておりますので以下にご紹介致します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第770回『軽度認知障害? それとも?─男性では買い物、女性では料理』(2015年2月20日公開)
 筑波大学大学院人間総合科学研究科病態制御医学専攻神経病態医学分野(臨床医学系神経内科)の玉岡晃教授は、「MCIの認知症への移行率は手段的日常生活動作の障害項目が多いほど高く、正常への回帰率は障害項目が少ないほど高かった。…(中略)…MCI例における攻撃性、抑うつ、意欲低下などは健常者に比して高率に認められることが報告されているが、特にアパシー(メモ参照)はADや認知症への移行の危険因子であることが明らかにされている」ことを論文(玉岡 晃:MCIの管理. 最新医学 Vol.66 2156-2165 2011)にて紹介しています。

メモ:アパシー
 アパシー(apathy)とは、無気力・無関心・無感動のため、周りがやるようにと促しても、本人は面倒だから、全然動こうとしないし気にもしない状態です。介護者から見ると、どうしてこれだけ動かないのかと不思議に感じます。
 
 前述の論文の中に「手段的日常生活動作」というあまり聞き慣れない言葉が出てきましたね。
 日常生活活動は基本的な身の回りADL(排泄、トイレ動作、食事、更衣、整容、入浴など)と、より高度な手段的ADLの2つに大別されます。
 独立行政法人国立長寿医療研究センター病院(愛知県)の鳥羽研二院長が、手段的ADL(Instrumental activities of daily living;IADL)に関して簡潔に説明していますのでご紹介しましょう(一部改変)。
 「手段的ADL(Lawton&Brody)は、独居機能に関連する買い物、金銭管理、交通機関の利用、服薬管理、電話の利用、料理、家事、洗濯の8項目である。男性では料理、家事、洗濯をもともとしない(できない)場合があり注意する。外来で認知症またはMCI患者に行った手段的ADL検査では、買い物、料理、服薬管理が早期に低下しており、認知症の早期発見に役立つことを報告した。男性では買い物、女性では料理ができないことが、初期認知症とMCIとの鑑別に役立つことが判明した。」(鳥羽研二:手段的ADLと基本的ADL. 日本臨牀 Vol.69 Suppl8 313-317 2011)
 生活障害チェックシートは、ウェブサイト上にもアップロードされております。pdfファイルのp8(http://www.seikatsusyogai.jp/files/guidebook.pdf)をご参照下さい。男性では、「料理(食事の支度)」「家事」「洗濯」については評価せず満点が5点であるのに対して、女性は満点が8点です(今井幸充、長田久雄:認知症のADLとBPSD評価測度 ワールドプランニング, 東京, 2012, p42)。
 アルツハイマー病患者のADL評価を目的として開発された評価尺度の一つにDisability Assessment for Dementia(DAD)という指標があります(Gélinas I, Gauthier L, McIntyre M et al:Development of a functional measure for persons with Alzheimer's disease: the disability assessment for dementia. Am J Occup Ther Vol.53 471-481 1999)。DADは、地域で生活するアルツハイマー病患者に対する適切な介入方法を選択する際の指標とすることを目的として開発されました。DADは10領域の40項目から構成されており、40項目のうち17項目は基本的ADL(basic ADL;BADL)、23項目はIADLから構成されています(飯島 節:Disability Assessment for Dementia;DAD、Alzheimer's Disease Cooperative Study-Activities of Daily Living;ADCS-ADL. 日本臨牀 Vol.69 Suppl8 471-474 2011)。

認知症でも安楽死選べるように(2016年5月10日付朝日新聞・声) [終末期医療]

認知症でも安楽死選べるように(無職 佐藤登喜雄 愛知県 82)
20160510AsahiKoe.jpg
 【2016年5月10日付朝日新聞・声】

私の感想
 残念ながら、日本で安楽死は不可です。
 しかし、平穏死を叶えてくれる医師は結構おられると思います。ですから、ご自身の意向を主治医に伝え、そのような状況になったときに「平穏死」を叶えてくれるのかどうかを事前に確認しておくことが重要となります。

関連記事
1)認知症と安楽死【「認知症」という海, 朝日新聞・GLOBE 2016年5月1日号No.181 p6】
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-05-01-1

2)オランダの覚悟 終末期医療 胃ろう 拒食
 http://akasama.blog.so-net.ne.jp/2016-05-03

「私たちの最期は」「延命治療どこまで」 [終末期医療]

「飢え死には残酷」
 主治医、葛藤も
 「私たちの最期は」「延命治療どこまで」

 「口から食べられなくなったらそのまま逝くというのは、飢え死にするということ。それはやはり残酷だ」
 チューブで栄養を送る「胃ろう」を付けて97歳で亡くなった前田キヨ子(仮名)が入院していた高知市の療養病床、上町(かみまち)病院。院長の田中誠(たなか・まこと)(71)と、キヨ子の主治医だった広瀬良江(ひろせ・よしえ)(68)=仮名=は口をそろえる。「病院に来た以上、『何かしてほしい』と期待されているのだろうから、何もしないわけにはいかない」
 終末期の胃ろうには「単なる延命にすぎない」と見直しを求める声がある。否定的なイメージが定着し、医療現場では「胃ろうは嫌だが(胸の血管に栄養を注入する)中心静脈栄養法ならいい」と希望する患者もいる。どちらもチューブで栄養を入れる点に変わりはなく、むしろ感染症のリスクは胃ろうの方が低いのに、拒否反応が先に立ってしまっている状況だ。
 田中たちもむやみに勧めているわけではない。まずは患者や家族の同意が大前提。喉に内視鏡を入れて飲み込む力を見極め、自力で食べられる人は見送る。取り付けた後も食べる喜びを感じてもらおうと、ゼリーやプリンを口から摂取してもらうよう取り組んでいる。
 実際、キヨ子は上町病院に移ってくる前に胃ろうが取り付けられていたが、リハビリで一時は自分で食事する力を取り戻した。胃ろうが外れ、退院する患者もいる。
 「鼻のチューブと違い、患者の苦痛は少ない。薬も入れられるから注射で痛みを与えることもない。栄養がついて抵抗力ができるので状態が安定し、家族は安心できる」。院長の田中は胃ろうのメリットを列挙した。
 それでも葛藤がないと言えばうそになる。「そこまでして生きたいかと聞かれれば、自分はそうは思わない」と広瀬。
 だが、胃ろうを付けない、ましてや外すという決断は家族にも、医師にも勇気がいる。既に取り付けた状態で転院してきたり、認知症や植物状態で意思を確認できなかったりすることも多い。
 一方で、近年は延命治療を控え、自然な衰弱で亡くなる「平穏死」を提唱する動きも広がる。どう思うか尋ねると、広瀬は「分からん」と困ったように笑った。「そこまで踏み切れるほど強くない。やっぱり人工栄養をしてしまうね」。揺れる思いがのぞいた。(敬称略)
 【2016年5月6日 (金) 配信:共同通信社】

P.S.
  終末期の延命治療、どちらか選ぶなら、「胃ろう」? それとも「中心静脈栄養法」?
 ただいま投票受付中です。
キャプチャ-投票.JPG
 https://www.m3.com/news/general/422261
 医療関係者の方は投票できます。

 私はもちろん「胃ろう」です。
 ガイドラインにも明記されておりますよ。
キャプチャ.JPG
 栄養療法が必要な場合は、可能な限り経腸栄養を用い、静脈栄養は経腸栄養または経口摂取が不可能または不十分な場合に用いる【静脈経腸栄養ガイドライン(日本静脈経腸栄養学会編集/静脈経腸栄養ガイドライン第2版 南江堂, 東京, 2007 pp7-8)】
 http://minds.jcqhc.or.jp/n/med/4/med0036/G0000509/0048

 終末期医療の問題は、私が全身全霊を傾けて取り組んでいる課題です。
 この難しい課題とどう向き合っていくのか! 正念場を迎えつつあります。

ここに存在しているだけで、価値がある [終末期医療]

ここに存在しているだけで、価値がある

青年:
 わたしの祖父についてお話ししましょう。祖父は現在、施設に入って寝たきりの生活を送っています。認知症のおかげで子や孫の顔もわからないし、とても介護なしでは生きていけない状態です。どう考えたところで、誰かの役に立っているとは思えません。わかりますか先生! あなたの議論は、私の祖父に「お前のような人間には生きる資格がない」といっているのと同じなのです!
哲人:
 明確に否定します。
青年:
 どう否定するのです?
 …(中略)…
哲人:
 あなたはいま、他者のことを「行為」のレベルで見ています。つまり、その人が「なにをしたか」という次元です。たしかにその観点から考えると、寝たきりのご老人は周囲に世話をかけるだけで、なんの役にも立っていないように映るかもしれません。
 そこで、他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。他者が「なにをしたか」で判断せず、そこに存在していること、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていくのです。
 …(中略)…
哲人:
 誰にでも自分が生産者の側でいられなくなるときがやってきます。たとえば年をとって、定年退職して、年金や子どもたちの援助によって生きざるをえなくなる。あるいは若かったとしても、怪我や病気によって、働くことができなくなる。このとき、「行為のレベル」でしか自分を受け入れられない人たちは深刻なダメージを受けることになるでしょう。
青年:
 仕事がすべて、というライフスタイルの人たちですね?
哲人:
 そう。人生の調和を欠いた人たちです。
青年:
 ……そう考えると、先生が前回おっしゃった「存在のレベル」の意味が、腑に落ちる気がしますね。たしかにわたしは、自分が働けなくなって「行為のレベル」でなにもできなくなる日のことなど、真面目に考えてきませんでした。
 【岸見一郎、古賀史健:嫌われる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教え. ダイヤモンド社, 東京, 2013, pp208-209,249-250】

私の感想
 私が受け持っている患者さんの中に、アルツハイマー病を患い肺炎を併発し寝た切りとなって経管栄養(経腸栄養)を導入し、既に6年以上の年月が経過している方がおられます。
 ごく最近、その方のご家族にお話を伺う機会がありました。いわゆる「アルツハイマー病の終末期」といえる遷延性意識障害の状況にあります。しかし、ご家族は、「もし肺炎などを再発した際に、何もしないという選択に関してはまだ決めかねています」とお話されました。しかもご家族は、「存在のレベル」のみならず、「音楽をかけると反応が良いように感じているんです」と「行為のレベル」での存在感にまで言及し思いを語ってくれました
 ご家族から大切なことをひとつ教えて頂きましたね。そしてそのことを『嫌われる勇気─自己啓発の源流「アドラー」の教え』を読み再認することができました。

関連記事(2013年4月23日付中日新聞より)
 http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20130424145828793
 =榊原白鳳病院(津市)の医師、笠間睦さん(54)は昨年9月、脳血管障害型の重度認知症で入院する80代女性の家族から、鼻の経管栄養を中止してほしいとの意向を聞いた。本人の事前の意思表示はないが、家族は「本人がかわいそう」という。だが、女性は医師の呼び掛けに右手を上げたり、季節を答えたりすることもできる。時折肺炎を起こすが、抗生物質で改善する。
 笠間さんは「末期ではないし、本人の意思も分からない」と断り、治療を続ける。笠間さんによると、米国では認知症や合併症の状態を数値化し、半年後の死亡率を算出する研究もされている。「日本でも客観的に全身状態を判断できる指標が必要」と話す。

オランダの覚悟 終末期医療 胃ろう 拒食 [終末期医療]

 昨年の3月まで私は、朝日新聞社デジタルの「アスパラクラブ」&「アピタル」の「ひょっとして認知症?」という医療ブログの執筆を担当しました。
 約4年半(2010.9.28~2015.3.29)担当し、この間に1,337本の原稿を寄稿しました。
 その時の原稿は、現在はすべて閲覧不可となっておりますが、私の手元にはすべての原稿が残っており大きな財産となっております。
 2013年11月22日に公開されました第322回『死を覚悟・治療や食事を拒む─国よって違う拒食への対応』を以下に再掲してご紹介いたします。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第322回『死を覚悟・治療や食事を拒む─国よって違う拒食への対応』(2013年11月22日公開)
 2013年1月29日に東京都内で「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」(主催:東京都医学総合研究所)が開催されました(http://apital.asahi.com/article/dementia/2013020600005.html)。
 大阪市立大学脳神経科学の森啓教授(日本認知症学会理事長)が「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」の学会印象記の中で、オランダの覚悟について語っておりますので以下にご紹介しましょう。
 「『拘束されない環境』で、本人の意思決定を尊重した介護を重視する姿勢の重要性も報告された。もっとも先進性が高いと考えられているオランダでは、在宅生活ができなくなった場合、日本の特別養護老人ホーム(略称、特養)に相当するナーシングホームに入居することになるが、そこは文字通り終の棲家であり、在宅に戻ることは基本的にない。そこでは口から食べられなくなったときが死を迎える時を意味している。経管栄養、胃瘻などを認めない方針から在施設入居期間が平均1.5年という短期間になっているが、これを国家政策として支持するオランダ国民の覚悟を見た。」(森 啓:「認知症国家戦略に関する国際政策シンポジウム」に参加して. Dementia Japan Vol.27 244-246 2013)
 『ひょっとして認知症? Part1』の第219回『主治医が書いた家族への手紙』のコメント欄において私は、「『拒食』への対応をどうするか? いずれ詳しく諸外国における状況をご紹介しますね。」と述べております。
 拒食に関する諸外国の対応の違いでとっても興味深いデータがあります。東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター 上廣死生学・応用倫理講座の会田薫子特任准教授が著書の中で紹介しているものです。それを最後にご紹介して本稿を終えたいと思います。
 「日本の高齢者医療の分野で著名であり海外事情にも通じる天本(2002)は、欧州では『食べられなくなったら寿命』というコンセンサスがあると述べている。その背景要因の1つに、『食事をしない老人に無理にでも食べさせるのは人権侵害』との考え方があるとされる。
 1990年代にスウェーデンの医療者らが世界7カ国(スウェーデン、フィンランド、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イスラエル、中国)の看護師を対象として、重度の認知症高齢患者が摂食拒否している場合に食事介助をするか否か、その倫理的背景は何かを調べた調査がある。その結果、食事介助しないと回答した看護師が最も多かったのはオーストラリアで9.5割、次がスウェーデンで8割、最も少なかったのはイスラエルの1割で、倫理的背景としては、スウェーデンの看護師は自律尊重原則に重きをおき、イスラエルの看護師は生命の神聖性を重視していることが示された(Norberg et al.,1994)。」(会田薫子:延命治療と臨床現場─人工呼吸器と胃ろうの医療倫理学 東京大学出版会, 2011, pp160-161)

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「治療」より、慣れ親しんだ暮らし
 スウェーデンの認知症の人が、日本で想像する「認知症」に見えない秘密をつきとめました。認知症の人には、「治療」より、慣れ親しんだ暮らしが大切、そして「世話するケア」から、「見守るケア」に、という国を挙げての改革の成果でした。スウェーデンでは親子の同居率4%。自宅で暮らす認知症の人の45%が一人暮らし。それでも地域で暮らせているのでした。
【大熊由紀子:認知症をめぐる5つの誤解. 公衆衛生 Vol.78 666-671 2014】

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