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介護休業を利用し、自分で親を介護するのは極力避けるべき [育児休暇 介護休暇]

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語り 141─介護費用がかかるので働かざるをえない 介護と仕事の両立をしないと生活が成り立たない

 働いてるから大変とか、私、ひとつも思ってないですよ。ただ、自分が今、働かざるをえない。家の多額のローンを抱えてます。家内の介護施設を利用さしていただくのに、利用料はかかる、病院代はかかる。そういう形で、やっぱり出るお金のほうが多い。そこへ何もしない私がいれば、いつか生活できない日が来る。だから、働かざるをえない。家内とずっと一緒にいてあげるのがベストであろうけども、働かざるをえない状況で、今、私、介護と仕事の両立に入ってます。
 仕事場の理解を得てるいうのが第一の要因なんですけど、(勤務先で)「こんな人、いらんわ」と言われてしまえば、私は今の会社を辞めざるをえない。たちまち生活はやっぱ厳しい状態になる。
 今でも大変、ちょっと厳しい状況にあるのに、なおかつ厳しい状況に入るので、介護と仕事の両立は、私には自然的に、それをしないとダメな形だったんですよ。だから、私はあえて、介護と仕事の両立が大変やな、とは思ってないです。
                 介護者14(プロフィール:p.602)
 【認知症の語り─本人と家族による200のエピソード. 健康と病いの語りディペックス・ジャパン, 東京, 2016, pp395-396】

私の感想
 仕事を辞めざるを得ないようなケースがあることも承知はしておりますが、やはり仕事は続けた方が望ましいです。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第65回『幼老統合ケア 介護のために離職する人は5年で57万人』(2013年2月26日公開)
 厚生労働省は、認知症患者が住み慣れた環境で暮らし続けられる社会の実現を今後の認知症施策の基本目標として提示しております。
 具体例を挙げれば、「認知症初期集中支援チーム」を地域包括支援センター等に配置し、認知症が疑われる人の家庭を訪問し、生活状況や認知機能等の情報収集や評価を行い適切な診断へと結びつけ、本人・家族への支援を行い、在宅療養が少しでも長く継続できるようにと思案しております。
 しかしながら、介護と仕事の両立は決して簡単なことではありません。2012年10月28日発行週刊ダイヤモンド臨時増刊において、フリーライターの西川敦子さんは「働く人の介護」という原稿を寄せております。抜粋して以下にご紹介します。
 「晩婚化、非婚化が進み、シングルが急増。共働き家庭も増えている。その上、兄弟が少ない、となれば介護負担をもろに背負う確率は男女共に高くなる。
 総務省の『就業構造基本調査』(2007年)によると、介護離職者は2002年10月からの5年間で56万8000人。離職後、無業の状態にある人は40万4000人に上る。『介護失業』は人ごとではない。危機はあなたの足元まで迫っているかもしれないのだ。
 では、ある日突然、親が倒れたら、働く息子や娘はどう対応すべきなのだろうか。
 思い付くのは、会社を長期間休み、介護できる態勢を整えることだが、東京大学大学院情報学環の佐藤博樹教授は『介護休業を利用し、自分で親を介護するのは極力避けるべき』と意外なアドバイスをする。
 1999年に施行された『育児・介護休業法』で定められた介護休業。要介護状態にある家族1人につき通算93日間、仕事を休めることになっている。なお、その間、支給される『介護給付金』は休業前の貸金の40%だ。
 だが、介護の平均期間は55.2カ月間(生命保険文化センター調べ)にも及ぶ。『3カ月間の介護休業を超えて、自ら介護を続けようとすれば、退職しか選択肢がないことになる』(佐藤氏)
 6割減の収入でやりくりした揚げ句、失業。貯金も底を突き、やがて生活保護を受給する─、こんな最悪のシナリオはなんとしても避けたい。
 『だからこそ介護はプロの手に任せるなどし、自らは介護サービスの調整役に徹してほしい』と佐藤氏は言う。
 親が倒れたときは、真っ先に『介護と仕事を両立できる環境づくり』をするべきなのである。」(2012年10月28日発行週刊ダイヤモンド臨時増刊・通巻4454号 pp12-14)
 そもそも、定年後に必要とされる生活資金3,000万円をこの不況の折りに準備できている家庭は稀な存在ではないでしょうか。「貯金も底を突き、やがて生活保護を受給」ということは、近年の日本社会の動向を見ておりますと、いとも簡単に起きてしまうことのように感じられます。
 フィデリティ退職・投資教育研究所が2010年2月に実施した「サラリーマン1万人アンケート」(http://www.fidelity.co.jp/fij/news/pdf/20100413-1.pdf)を見ておりますと、老後難民予備軍の急増が懸念されます。その「サラリーマン1万人アンケート」の結果の一部をご紹介しましょう。
 「現在の公的年金制度では安心できないと考えている人は全体の9割近くいる。それにもかかわらず、老後の生活資金を全く準備していない人が44%もいるのだ。しかも、定年退職後の資産形成を特に何もしていない人が41%に達している。さらに、老後の生活資金準備額が100万円未満(ゼロも含む)の人で、資産形成を特に何もしていない人は84%に上る。」(2012年10月28日発行週刊ダイヤモンド臨時増刊・通巻4454号 pp184-185)
 なお、「定年後に必要とされる生活資金3,000万円」と記載しましたが、この数字は、「サラリーマン1万人アンケート」において、公的年金以外に必要となる退職後の生活資金の総額を聞いたところ、平均で2,989万円であったことに基づく数字です。

NHKスペシャル『私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白』 [介護殺人]

「私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白」─2
 https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160703

 やはり「介護殺人」と男性介護者の特徴(=つらいことを決して他人には言わず、苦しくてもぐっとがまんし、自分の胸にしまう傾向)には、何らかの因果関係がありそうな印象を受けてしまいます。
 北村立医師が話されている「1対1というのは、夫婦でも子どもであっても煮詰まりやすい関係にあって、つながりが強いから、看たい気持ちも強いけど、排他的になって孤立しやすい」という言葉や、虐待を「介護殺人」の予兆と捉え、一人の男性介護者にほとんど依存している介護事例においては、予兆を見逃さないように留意する必要があるのかな・・。でも、介護殺人の「予兆」を見逃さないことってかなり困難な課題のように感じます。
 2016年7月3日に放送されましたNHKスペシャル『私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白』を13分の動画に編集しました(https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/videos/vb.100004790640447/605501069619576/?type=2&theater)のでご覧下さい。
 
朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第346回『介護と高齢者虐待─介護する息子の虐待が少なくない』(2013年12月17日公開)
 家族形態の多様化などにより、夫や息子など男性が主たる介護者となるケースが増えています。「認知症の人と家族の会」が実施している会員アンケート調査によれば(勝田登志子:認知症の人と家族の実情、そして願い. 月刊保団連 No.1066 24-29 2011)、男性介護者の割合は、1981年には8.2%でしたが、1991年には13.5%、1999年には18.6%、2010年になると31.7%まで増加しております。
 男性介護者が抱える諸問題については、「ひょっとして認知症? Part1─オトコの介護者の苦悩(第403~418回)」などにおいて詳しくお話しましたね。
 そして、シリーズ第269回『高齢者虐待の実像(その1) 多い息子から親への高齢者虐待』においてご紹介しましたように、「『高齢者虐待防止・支援法』の制定に先立って実施された平成十六年『家庭における高齢者虐待に関する調査』報告によると、最も多かったのは息子から親への虐待で、次いで嫁、娘、夫からの虐待であった。『高齢者虐待防止・支援法』施行後の平成十八年度・十九年度の『高齢者虐待防止・支援法』に基づく対応状況等に関する調査結果で最も多かったのは、やはり息子から親への虐待で、次いで夫、娘、嫁からの虐待であった。そして前記、三調査のいずれにおいても、虐待を受けていた高齢者は、圧倒的に女性で、約七割から八割を占める。」(梅崎薫:地域での虐待防止ネットワーク. 現代のエスプリ通巻507号 ぎょうせい発行, 東京, 2009, pp95-105)という現状があります。
 女性介護者は、苦しいこと、しんどいことを友人や知人にぶちまけ、ストレスを発散する傾向にあります。一方、男性介護者は、つらいことを決して他人には言わず、苦しくてもぐっとがまんし、自分の胸にしまう傾向があります。打ち明けてしまえば、わが家の内情がわかってしまう。そして、つつましい介護生活に土足で踏み込まれるような気がする。SOSを発したとしても冷たく突き放されてしまうかもしれない。その恐れが心のどこかにあるから、誰にも打ち明けない(『オトコの介護を生きるあなたへ─男性介護者100万人へのメッセージ』 男性介護者と支援者の全国ネットワーク[編著] クリエイツかもがわ発行, 京都, 2010, pp40-43)傾向があるのです。
 こうした男性介護者の特徴を理解し、さりげなく支えていくことが求められるのです。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第347回『介護と高齢者虐待─壮絶な介護をサポートする』(2013年12月18日公開)
 シリーズ第159回『認知症のケア 向精神薬の使用は慎重に』におきまして、石川県立高松病院副院長の北村立医師が「1対1というのは、夫婦でも子どもであっても煮詰まりやすい関係にあって、つながりが強いから、看たい気持ちも強いけど、排他的になって孤立しやすい」と指摘していることをご紹介しましたね。
 以下にご紹介する居宅介護支援事業所「ほっとからすやまケアサポートセンター」の佐藤智子所長(介護支援専門員・認知症ケア専門士)からの報告も、こうした煮詰まりやすい関係の中で不幸にして生じてしまった虐待事例と言えます。
 多職種が連携し、慎重かつ集中的な粘り強い訪問を展開することにより、次第に虐待が解消されていった貴重な事例報告(佐藤智子:〝抱え込み〟による壮絶介護の末「身体的虐待」に至った事例─ケアマネジャーの立場から. 訪問看護と介護 Vol.18 464-467 2013)を以下にご紹介します。なお虐待が絡む問題であり、個人情報保護には特に留意する必要がありますので、差し障りのない範囲で事実関係に改変を加えてご紹介致します。
【事例】
 患者:80歳代女性でアルツハイマー型認知症と診断されている。2人暮らし(次男と同居)。長男は海外に住んでおり、介護に全く関われない状況である。
 主たる介護者(次男):未婚。母の施設入所を希望しておらず、受診を忌避する傾向がある。
 副介護者(長女):隣町に在住しており介護には協力的である。しかし、主たる介護者への遠慮もあって、積極的には関わりにくい状況がある。
【経過】
 主たる介護者である次男の仕事は極めて多忙であり、平日の昼間は患者は独居状態で過ごしている。
 排泄・食事(食べ物を冷蔵庫から取り出し、自分で温めたりすることは可能)・歩行は自立しているものの入浴には一部介助が必要であり、要介護1と認定されている。
 早朝から夜遅くまで1人でテレビを観たり新聞を読んだりして過ごしており、孤立した生活を送っている。
 デイサービスの導入により比較的穏やかに過ごしていたが、骨折を転機として認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)が悪化し、本人の状態が急速に変化するなかで、主たる介護者と副介護者の関係も悪化してしまい、平日昼間の外来受診に支障を来すようになった。
 デイサービスの際に、患者さんの頬に「青あざ」があることに職員が気づき、ケアマネジャーが自宅訪問したところ、母親の自立を願い何とかトイレで排泄させようと必死になっている介護者の姿とともに、近所まで聞こえるほどの大声で母親を怒鳴っている様子が観察された。
 何とか受診を促して診察を受けた際、打撲痕などの存在より医師が「身体的虐待」と判断し、高齢者虐待防止法に基づき地域包括支援センターへの「通報」を病院から行った。
 その後も受診を忌避するためBPSDへの対応は困難を極め、介護サービス事業所の負担は極めて大きかった。しかし、訪問介護スタッフを中心とした多職種による、慎重かつ集中的な粘り強い訪問により、次男の介護負担が軽減されてからは、本人の身体状態やBPSDも安定化し、虐待行為も次第に消失していった。今では、訪問介護スタッフと笑顔で言葉を交わす次男の姿が見られている。
 高度認知症となっているものの、手厚い訪問看護で褥瘡もなく、穏やかな日々を過ごしている。

 読まれていかがでしたか。個人情報保護の都合上、細部にわたる生々しい紹介はできませんでしたが、壮絶な介護の様子を窺い知ることができましたね。
 虐待を未然に防ぐためにも、BPSDへの対応そしてきめ細やかな家族ケアが重要となることがよくご理解頂けたのではないでしょうか。

あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群 [認知症ケア]

「私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白」─1
 https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160703

 24%って何の数字か分かりますか?
 介護の当事者にしか分からない辛さを如実に表す言葉、『あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群』を覚えてますか?
 番組の中でもナレーションが流れましたよね。「家族が何人居ても介護者は一人だけです」って・・。
 介護殺人の「予兆」を見逃さないことってかなり困難な課題のように感じます。75%において介護サービスは導入されており、決して孤立していたわけではないと思うのですが・・。
 特養入所基準「要介護3以上」の壁(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160702-00000003-mai-soci)が改めて浮き彫りになりましたね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第144回『認知症のケア 「あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群」』(2013年5月18日公開)
 若年性アルツハイマー病の夫を介護したアメリカ人女性のジョアン・コーニグ・コステさんが書かれた本においては、「介護することに対して周囲の理解が得られない」ことについて言及されています。『あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群』と名付けられた状況を以下にご紹介しましょう(ジョアン・コーニグ・コステ:アルツハイマーのための新しいケア─語られなかった言葉を探して 阿保順子監訳 誠信書房, 東京, 2007, pp213-216)。
 「友人や家族といえども、彼らの行動があなたにとって良いことばかりとは限りません。私がよく見かける一つの特徴は、『あら、まったく大丈夫そうじゃない症候群』と名付けた状況です。友人や親戚などは彼らの見たいところだけを見るため、あなたがどれだけ厳しい状況にあるかといったことに関しては理解できないことが多いのです。一人のケアパートナーが、マーガレットという女性について話してくれたことがあります。彼女は、アルツハイマー病を患っている従兄と一時間半ほどの時間を過ごし、帰り際に『彼、元気そうだわね』と言ったそうです。しかし、マーガレットは従兄に話をさせる機会すら与えなかったといいます。彼は確かに『元気そう』に見えました。それは、マーガレットが来る二十分前に、その日の三度目の着替えを済ませておいたからなのです。こうした訪問の最後に、訪問者がケアパートナーを振り返り、基本的な質問をすることがあるでしょう。『いったい、(患者と一緒にいることの)何が大変なの』と。
 こうした状況は、親がアルツハイマー病を患い、成人している子どものうちの一人がケアパートナーとなっている場合によく起こります。忙しいか遠くに住んでいてなかなか会いに来られなかった他の兄弟が、その大変な状況にようやく立ち会わされたとき、彼らは必ずこう言うのです。『こんなに長い間、あなたがどうやって乗り越えてきたのか、想像もできないわ』。そうなれば、彼らはとても役立つ助っ人となるでしょう。先に述べた誤解は、彼らがあなたの立場に立たない限りはどうしようもないのです。アルツハイマー病患者が、親戚と2~3日、一緒に生活をすることもできるでしょう。また親戚の人たちが、あなたが仕事か何かでいない間の面倒をみることもできるでしょう。
 しかし多くの場合、人びとは否定や拒絶することでのみ、アルツハイマー病患者に対処しようとするのです。このような訪問者には、あまり来てもらわないほうが得策です。」(一部改変)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第145回『認知症のケア 介護者を支えるという大切なこと』(2013年5月19日公開)
 飯能老年病センターの黒澤尚(くろさわひさし)名誉院長(日本医科大学名誉教授)は、介護者を支えることの重要性について語っています。一部改変して以下にご紹介しましょう。
 「お嫁さんは苦労しているわりには評価されていない。やって当たり前だと思われている。他の家族から非難の対象となっていることが多い。わかってもらえていない。嫁に行った娘からはたまにそれも数時間しか見ていないのに、簡単に『ぼけていない』と言われる。それどころか介護の仕方が悪いと陰口を言われている。夫も任せたと言って逃げている、などなど。
 そこで、お嫁さんの不満や愚痴を聞くようにする(話しやすいようにする)。不満もあれば、十分介護できていないという罪の意識をもっているお嫁さんもいる。状況に応じて、以下のように話をしている。
 みな精一杯それなりに努力しているのだとその努力を認めてほめる。実際には、お嫁さん、あるいは妻に『これまで、よく頑張りました。これからは少し手を抜きましょう。手を抜くことで申し訳ないと思わなくていいんですよ。私の指示ですから』と告げる。そして、これまでの頑張りに対して、私が『頑張りましたで賞』を差し上げます、と表彰状を渡す真似をする。ここで、同伴の介護者(お嫁さん)の1/3くらいの人は涙。ティッシュを渡しながら、『この診察室ではいくら泣いてもよい。ここから出たらもう泣かないのよ』と約束させる。そして、同伴の夫の様子を見ながら『旦那に“ありがとう”と言ってもらったことがあるか』と同伴の妻に開く。多くは『ない』と答える。『ない』と言われた夫には『ここで“ありがとう”を言ってしまいましょう』と勧める。『ありがとう』が出る人もいる。出ると、お嫁さん(妻)はさらに涙ぐんでしまう。同様に『婆ちゃん、お嫁さんにありがとうでしょ』と勧めると、お婆ちゃんの『いつも世話になって…』でお嫁さんは涙ぐんでしまう。お金や物品ではなく感謝の言葉なのだが、夫からはそれがなかなか出ない。」(黒澤 尚:認知症をめぐる臨床的な諸問題─高度(重度)認知症にも目を向けよう─. 老年精神医学雑誌 Vol.23 1208-1217 2012)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第737回『分かる言葉で伝え、支持する―遠距離、地域に委ねる決意』(2015年1月18日公開)
 最後に、このシリーズのテーマからは少々外れますが、「遠距離介護」の問題について触れたいと思います。
 松本診療所ものわすれクリニックの松本一生院長(元大阪人間科学大学教授)は、遠距離にも関わらずケアがうまく続けられた事例のポイントについて以下のように言及しております(朝田 隆編集:認知症診療の実践テクニック─患者・家族にどう向き合うか 医学書院, 東京, 2011, pp145-146)。
 「まず、遠距離でのケアには人手がかかる。たとえ距離が離れていなくても在宅で認知症の人がケアを受ける際、介護者に過重な負担がかかりすぎないようにするためには、最低でも2.5人の人手を要するものである。まして遠距離であれば、遠くから来る介護者、近くに住む介護者が協力し合わなければケアは行き詰まりやすい。
 しかし、遠距離でしかも本人の近くに住む介護者の人手が全くないような場合にもケアがそれなりにうまく続けられるコツがあった。それは介護者が遠距離にいるという事実を認め、『自分にできることには限界がある』と悟って、足りないぶんを本人の住む地域の支援者に任せることができた場合である。
 筆者がこれまでに支援した遠距離介護のなかには、介護者がニューヨークに移り住んで30年になり、日本にいる父親が80歳でアルツハイマー型認知症になっているというケースもある。その際、介護者である息子は自分の仕事の関係でどうしてもニューヨークを離れることができない事実から目をそらさなかった。父親もこの歳でニューヨークに呼び寄せるわけにはいかない。そこでその息子は、日本の父親が生活している地域で医療、介護保険のサービスをできるだけ活用して、自分ではできないことを見極めて、支援者に委ねる決意を固めたのである。息子は筆者に言った。『こうして遠方にいると、自分にはできることに限りがあると自覚し、家族ほどではないが家族に準じて私が信頼感をもつことができる父親の近くの専門家にお任せすることで心の整理ができました。』
 息子が遠距離をおしてでも自分だけでケアすることは不可能であっただろう。むしろ他人に任せることができて初めて心にゆとりができたのである。このような場合、家族ではないが家族に準じて信頼感をもつことができる支援者をもつことで、その父と息子は拡大家族ネットワークを作りあげたのである。」

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