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「病識」と「病感」 [認知症]

本人が異変に気づく

 家族よりも本人が先に異変に気づくケースもあります。それまで健康に過ごしていた若年性認知症の人のほうが、高齢になって発症した人よりも、自分の異変に気づきやすいようですが、高齢の人でも、外出の際に目的地にたどり着けない、帰ってこられないといった経験をして、自ら受診を希望する人もいます。
 本人が 「異変」と感じているのは、必ずしももの忘れなどの典型的な症状ばかりではありません。「自分が自分でないような感じ」「物が見えていても、そこにないような感じ」などで、実際に本人が違和感があると感じていても、それをうまく説明できないことも多いようです。


語り 006

 妻が心配して、「どうなったのか」っていうことでね、何回も聞かれたかな。「どうしたの? どうなったの?」、そういうような言葉をたくさん言われましたね。それで、私が説明しようと思ってもですね、説明ができないわけですよ。「自分がどうなっているか、よくわからない」って言っても、妻もわからないわけですよね。
 私、それがもう本当に、「ここにおる○○は誰なのか」っていうような感じというかね……、そんなことです。非常に心細いですね。
                    本人04(プロフィール:p.611)
 【認知症の語り─本人と家族による200のエピソード. 健康と病いの語りディペックス・ジャパン, 東京, 2016, pp16-18】

私の感想
 「病識」と「病感」の言葉の使い分けになるんでしょうね。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第31回『認知症の代表的疾患─レビー小体型認知症 もの忘れを自覚することの多いレビー小体型』(2013年1月14日公開)
 もの忘れに関しても、DLBにおいては内省できることが多いことが報告されています。
 アルツハイマー病では、初期ですらもの忘れを自覚していないケースが多いです。一方、DLBでは、初期においてはもの忘れを自覚しているケースが多いのです。
 東京医科大学病院老年病科の羽生春夫教授は、疾患別の病識の有無について検討しており、「有意な認知機能障害を認めない老年者コントロールの病識低下度の平均+2標準偏差を超えるものを病識低下ありと定義すると、AD(アルツハイマー病)群の65%、MCI(軽度認知障害)群の34%、DLB(レビー小体型認知症)群の6%、VaD(血管性認知症)群の36%が該当し、AD群が最も多く、DLB群は最も少なかった。」(羽生春夫:老年期認知症患者の病識―生活健忘チェックリストを用い、介護者を対照とした研究―. 日本老年医学会雑誌 Vol.44 No.4 463-469 2007)と報告しております。

メモ:内省
 「記憶、見当識、思考、言葉や数の抽象化機能などは、日常生活を送っていく上でそれぞれがとても大切な機能である。しかし、暮らしのなかでは、これらの機能一つひとつがバラバラに役立っているわけではない。複数の知的道具あるいは要素的知能を組み合わせて使いこなす『何か』がなけれはならないはずである。それを知的主体あるいは知的『私』とよぶことにすると、そこに障害が及ぶのである。だから、認知症を病む人は、いろいろなことができなくなるという以上に、『私が壊れる!』と正しく感じとるのである。
 知的主体などという硬い言葉ではなく、もう少しうまい言葉が見つかればよいのだが、学者も苦労してこの『何か』を『内省能力』(ツット)、『本来の知能』(ヤスパース)、『知的人格』『知的スーパーバイザー』(室伏)などと名づけている。どれもが、個別の、記憶、見当識、言葉、数といった道具的、要素的知能を統括する、より上位の知的機能を何とか言い表そうと苦労しているのである。」(小澤 勲:認知症とは何か 岩波新書出版, 東京, 2005, pp141-143)

 認知症の介護においては、しばしばアパシー(自発性の低下・無関心)の存在が問題となります。
 アパシー(apathy)とは、無気力・無関心・無感動のため、周りがやるようにと促しても、本人は面倒だから、全然動こうとしないし気にもしない状態です。そして、このアパシーの存在ゆえに、認知症がうつ病と誤診されているケースもあります。
 なお、DLBでは、うつ病を有する頻度が比較的高いことも知られております。
 「Ballardら(1999)は病理診断されたDLB、AD各40例を比較し、DLBでは、初診時に幻視、幻聴、妄想、誤認妄想、うつ病を有する頻度がADに比べて高い」と報告しています(長濱康弘:レビー小体型認知症の臨床症候学と病態生理. Dementia Japan Vol.25 145-155 2011)。
 なおこの点に関して筑波大学臨床医学系精神医学の朝田隆教授は、「伝統的な精神科のうつに対する見方では、悲哀感、悲しみをもって『うつ』の本質とし、それに不安ややる気のなさを加えます。DLBの場合、精神科の伝統的なうつというよりは基本的にはアパシーです。周りは困っているが本人は何もしなくて当然とケロッとしているような患者さんが比較的多いですね。」と指摘しています(朝田 隆 et al:座談会─認知症の早期発見・薬物治療・生活上の障害への対策. Geriatric Medicine Vol.50 977-985 2012)。

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 2014年7月30日にホテルグリーンパーク津において開催されました第16回中勢認知症集談会特別講演会には、群馬大学大学院保健学研究科リハビリテーション学講座の山口晴保教授らが講師として来て下さいました。

 山口晴保先生は、「MCIとADの境界は、『病識の有無』だと思っています」と講演で述べられました。そして、SED-11Q(Symptoms of Early Dementia-11 Questionnaire)を用いた病識の評価に関する検討結果についてご紹介して下さいました。
判断基準
 医療機関においてはSED-11Qが11項目中3項目以上で認知症を強く疑い、地域の認知症スクリーニングでは11項目中4項目以上で受診を勧めるというのが目安だそうです。

SED-11Q【認知症初期症状11項目質問票】
①同じことを何回も話したり、尋ねたりする
②出来事の前後関係がわからなくなった
③服装などの身の回りに無頓着になった
④水道栓やドアを閉め忘れたり、後かたづけがきちんとできなくなった
⑤同時に二つの作業を行うと、一つを忘れる
⑥薬を管理してきちんと内服することができなくなった
⑦以前はてきぱきできた家事や作業に手間取るようになった
⑧計画を立てられなくなった
⑨複雑な話を理解できない
⑩興味が薄れ、意欲がなくなり、趣味活動などを止めてしまった
⑪前よりも怒りっぽくなったり、疑い深くなった

※上記の11項目に関して、ご本人は病識が欠如しているため「該当しない」にチェックを入れるものの家族はそれを感じているため「該当する」にチェックを入れ、その差がMCIにおいては乖離しないものの、軽度AD&中等度ADにおいては有意に乖離(p<0.001)しているそうです。
 そして、「その結果を介護者に見せて、本人の自覚が乏しいことを理解してもらい、叱らないように指導することでBPSDを予防しましょう」と講演会で配布されました資料には記載されておりました。
 詳細は論文をご参照下さい。
 Maki Y, Yamaguchi T, Yamaguchi H:Symptoms of Early Dementia-11 Questionnaire(SED-11Q): A brief informant-based screening for dementia. Dement Geriatr Cogn Disord Extra Vol.3 131-142 2013
 Maki Y, Yamaguchi T, Yamaguchi H:Evaluation of Anosognosia in Alzheimer's Disease Using the Symptoms of Early Dementia-11 Questionnaire(SED-11Q). Dement Geriatr Cogn Disord Extra Vol.3 351-359 2013

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 認知症初期症状11項目質問票(SED-11Q)の評価用紙は山口晴保研究室のホームページ(http://www.orahoo.com/yamaguchi-h/)からダウンロード可能(山口晴保:認知症の本質を知り、リハビリテーションに活かす. MEDICAL REHABILITATION No.164 1-7 2013)。

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 「ところで、認知症の人には『自分は病気である』という自覚はあるのでしょうか?
 この『自分は病気だ』と自覚することを『病識』といいます。医師の中には、認知症の人には『病識がある』という人もいれば、『ない』という人もいます。
 私は『病識は低下している(一部ある)』という考えです。自分はどんな病気でどのような問題が生じているのかといった自覚は乏しくなっていますが、『何だかいつもと違う』という感覚はあると思っています。これを『病感』といいます。 」(山口晴保:認知症にならない、負けない生き方 サンマーク出版, 東京, 2014, p53)

D7への思い─改めて『告知』について考えてみたい [日々想々]

https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/posts/601568503346166
D7への思い─改めて『告知』について考えてみたい―「早期診断・早期絶望」にならないためには何が求められているのか?」(https://www.facebook.com/photo.php?fbid=601360306700319&set=a.530169687152715.1073741826.100004790640447&type=3&theater)に寄せられた樋口直美さんからのご指摘(https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/posts/601462810023402?pnref=story):

樋口直美さんのご意見
 私は、医師にも、「わからない。(特に初期であるほど)」ということを前提にして欲しいです。

Re(私の返信):
 私自身が経験した「誤診例」に関して、以前、アピタルで記述(言及)したことがあります。
 探すのは大変ですが、見つけたらFacebookにてアップ致します。


誤診、それは認知症診療の世界では約20%!

 NINCDS-ADRDAによって策定されたアルツハイマー病の診断基準については、シリーズ第19回『認知症の代表的疾患─アルツハイマー病 アルツハイマー病の臨床診断』において少しだけ触れておりますね。有用な診断基準であることは間違いないのですが、20%以上の非AD疾患をADと誤診していることも事実ではあります。
 アルツハイマー病の臨床診断は決して簡単ではない(誤診が結構多い!)という事実はこの機会にきちんと覚えておいて下さいね。
 東京大学大学院神経病理学の岩坪威教授が「誤診」が多いことについて最近のデータも交えて報告しておりますので以下にご紹介します。
 「1984年に米国国立神経疾患・脳卒中研究所(National Institute of Neurological and Communicative Disorders and Stroke;NINCDS)とアルツハイマー病関連疾患協会(Alzheimer's Disease and Related Disorders Association;ADRDA)によって策定されたアルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)の診断基準(McKhann G, Drachman D, Folstein M et al:Clinical diagnosis of Alzheimer's disease: report of the NINCDS-ADRDA Work Group under the auspices of Department of Health and Human Services Task Force on Alzheimer's Disease. Neurology Vol.34 939-944 1984)はその後の臨床、研究において幅広く使用されてきた。その最大の理由としては、magnetic resonance imaging(MRI)はおろかcomputed tomography(CT)スキャンすら臨床現場に登場して日が浅かった時代に、主に臨床症状から診断することで感度81%、特異度70%(Knopman DS, DeKosky ST, Cummings JL et al:Practice parameter: diagnosis of dementia(an evidence-based review). Report of the Quality Standards Subcommittee of the American Academy of Neurology. Neurology Vol.56 1143-1153 2001)を達成していたことであろう。検査所見や画像所見も取り入れられてはいたが、それらの役割はあくまで副次的項目である上、それらの結果が『正常』である事が条件とされていたため、あくまで他疾患の除外が目的とされていた。この基準はその後30年近く使用され続けており、もちろん現在でも有用である事に変わりはない。
 前述のようにNINCDS-ADRDA基準による診断の確度は高く見積もっても80%であり、20%以上の非AD疾患をADと誤診している事になる。実際、NINCDS-ADRDA基準でADと診断された患者にアミロイドPETを実施した場合、実に16%の『AD』患者で検出感度以上のAβ沈着のないことが示されている(Johnson KA, Sperling RA, Gidicsin CM et al:Florbetapir(F18-AV-45)PET to assess amyloid burden in Alzheimer's disease dementia, mild cognitive impairment, and normal aging. Alzheimer's & dementia: the journal of the Alzheimer's Association PubMed PMID:23375563 2013)。」(岩田 淳、岩坪 威:アルツハイマー病の新しい診断ガイドライン─オーバービュー. Dementia Japan Vol.27 307-315 2013)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第349回『それって本当に認知症?─専門医でも見逃す認知症』(2013年12月20日公開)
 私は開業医の先生向けの認知症講演会では、「認知症専門医が見逃した認知症」というスライドを複数入れて、専門医であっても初期段階のアルツハイマー型認知症は見逃すケースが多々ありますので細心の注意を払って診察する必要がありますよ!と啓蒙するとともに、私自身の反省材料としてきました。
 しかしながら、細心の注意を払っていてもやはり誤診してしまうことはあります。そういった自験例をご紹介しましょう。
【症例】
 70歳代後半・女性
【病歴】
 X-2年、語想起障害にて発症。開業医にてアルツハイマー型認知症と診断され、以降はドネペジルによる治療を受けてきた。
 X年、榊原白鳳病院を初診。初診時の改訂長谷川式認知症スクリーニングテスト(HDS-R)は8点であった。HDS-Rの点数から判断すると比較的進行したアルツハイマー型認知症と思われたため、ドネペジルを5mgから10mgに増量してみたものの明確な改善効果は確認されなかった。効果が認められなかったため、ドネペジルは5mgの維持量に戻して継続した。
 X+1年になると焦燥(メモ1参照)が目立ってきたため、メマンチン(http://apital.asahi.com/article/kasama/2013040200011.html)の併用を開始した。メマンチン投与により穏やかとなり、HDS-Rも8→9点とほんのわずかではあるものの改善した。
 X+3年のHDS-Rは、6点であり進行速度は比較的穏やかであった。
 シリーズ第14回『認知症の診断─素人判断は難しい』において述べましたように、典型的なアルツハイマー型認知症であれば、通常はHDS-Rが年間2.5点程度悪化していくのですがこのケースにおいては3年間で2点しか悪化しておりません。
 不思議に感じて脳の断層撮影を再検査してみました。すると、3年前と比べて左側頭葉の萎縮が顕著になっておりました。
【最終診断】
 進行性非流暢性失語(Progressive non-fluent aphasia;PNFA)

メモ1:焦燥
 焦燥とはイライラして落ち着かない状態を指し、しばしば、徘徊、暴言・暴力、大声、拒絶、常同行為となって表出されます。
 焦燥は認知症患者さんの約半数が呈するとされております。抗うつ薬の副作用として焦燥が悪化しているケースもあります。
 焦燥に対しては、非定型抗精神病薬(リスペリドン、クエチアピン、オランザピンなど)やアセチルコリンエステラーゼ阻害薬(ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン)あるいはメマンチンで改善したとの報告もされております。また、バルプロ酸、カルバマゼピンの有効性も報告されておりますが、エビデンスとしては確立されておりません。
 焦燥への対応を以下に列記します。
 a)不快な刺激を除去する(室温・照度の調整、騒音を減らす)
 b)身体的不具合(便秘・疼痛・掻痒感など)への対応
 c)好きな音楽などで落ち着ける環境を作る
 d)分かりやすい言葉・文章を使ってコミュニケーションを図る
 e)安心感を与える接し方(ゆっくりと穏やかな対応など)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第359回『それって本当に認知症?─「誤診症例から学ぶ」』(2013年12月30日公開)
 細田益宏医師および古田光医師の報告にみられるように、精神疾患と認知症の鑑別が非常に難しいケースは歴然と存在します。私も精神神経科(メモ4参照)での臨床経験がありませんので、精神疾患と認知症の鑑別に難渋するケースがあるのは紛れもない事実です。
 私のような精神疾患の診療を苦手とする認知症専門医にとって非常に有益な本が出版されております。その著書名は、『誤診症例から学ぶ─認知症とその他の疾患の鑑別』です。
 この著書の編集を担当した筑波大学医学医療系臨床医学域精神医学の朝田隆教授が序文において非常に印象的なことを述べておられますので一部改変して以下にご紹介しましょう(朝田 隆編集:誤診症例から学ぶ─認知症とその他の疾患の鑑別 医学書院, 東京, 2013, ppvii-viii)。
 「医学雑誌『精神医学』には、ケースレポートのみならず『私のカルテから』という人気の高い投稿カテゴリーもある。系続的な臨床研究にはないレアケースの報告や、ある種の精神疾患に思いがけない薬剤が効果を奏したという内容の論文が寄せられる。そのような論文の中には、若い精神科医が筆頭著者になった誤診例や危うく誤診しそうになったケースの報告も少なくない。数年来、同誌の編集委員を務めさせていただく中でこうした諸ケースには、どうも共通するものがありそうだと感じるようになっていた。
 少なからぬ精神科の教授たちが、若い精神科医は神経学的所見を取らなくなっていると指摘されるのを聞くことがあるが、そのようなことがこうした例の背景にあるのかもしれない。
 私は認知症を専門にしているが、患者さんの団体などから認知症に絡んで精神科医療に対する意見やコメントを受けることも少なくない。その中で何度も言われて強く記憶に残るものがある。若年性認知症の診断に関して『当初うつ病と診断されて2年通った後に、実はアルツハイマー病ですと言われました。この年月をどうしてくれるの?』というものである。
 以上のような現実があるだけに、好むと好まざるとにかかわらず、多くの精神科医には器質性精神疾患・症状性精神疾患と機能性精神疾患を鑑別する能力が求められる。
 東日本大震災以降、がぜん注目されているものに失敗学がある。その根本は『失敗にはいくつかのパターンがある』という考えである。老年期精神疾患の鑑別の難しさと重要性を学ぶには、正統的な教科書スタイルというよりも痛恨の誤診症例を振り返って、失敗に至るパターンを学習することが効果的ではなかろうかと考えた。以上のような思いがあって本書を企画した。
 本書の題名には敢えて『誤診症例』という言葉を用いた。その理由を、偉大な先達の言葉を拝借してここに説明しておきたい。
 『誤診という言葉はかなりどぎつい響きをもっている。医者はみなこの言葉をはなはだしく忌み嫌う。学会報告でも“貴重な一例”とか“診断に困難をきたした症例”という演題はあっても、“誤診例”という報告はまず見当たらない。(中略)医者の間ではこの言葉をもう少し使ってもよいのではないか。あるいはその意味の取違いがないようにしておくとよい。(中略)診断とは必要なあらゆることを知り尽くそうとする終わりのない努力である』(山下 格:誤診のおこるとき─早まった了解を中心として. 精神科選書3, 診療新社, 1997)」

メモ4:精神神経科
 「最近になってわが国でも厚生労働省により、神経精神科とか精神神経科という標榜科名が廃止」(朝田 隆編集:誤診症例から学ぶ─認知症とその他の疾患の鑑別 医学書院, 東京, 2013, p2)されております。詳細はウェブサイト(http://www.med.or.jp/nichinews/n200305l.html)などでご覧頂けます。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第402回『さまざまな「急速に起きる健忘」― 一過性てんかん性健忘にも種類』(2014年2月11日公開)
 脳ドックなどを受けますと、無症候性脳梗塞が見つかるケースは多々あります。
 無症候性脳梗塞は、欧米では潜在性脳梗塞(silent cerebral infarction;SCI)と呼ばれており、韓国での報告では、40代2.4%、50代6.6%、60代14.7%、70代25%にSCIが認められたことが報告されております。なお、脳ドックを受診した健常成人(平均60歳)における無症候性脳梗塞の頻度は、60歳代から急激に増加し、70歳代以降では35%にも達するものの全体の頻度は約14%で、久山町の剖検による頻度12.9%とほぼ一致していることも報告されております(斎藤 勇:無症候性脳血管障害. 日本医師会雑誌・生涯教育シリーズ56─脳血管障害の臨床 S203-213 2001)。
 したがって70歳以上の方がCT・MRI検査を受けますと、およそ3人に1人の割合で「あなたは脳梗塞があります」と医師より告げられることになるわけですね。
 「無症候性脳梗塞」に関してもう少し詳しい情報を知りたい方は、大阪医療センターのウェブサイト(http://www.onh.go.jp/seisaku/circulation/kakusyu115.html)などご参照下さい。
 しかしながらここで注意しておくべきことがあります。隠れ脳梗塞による一過性てんかん性健忘かも…と思っていたら、そうではない場合もあるということです。2012年4月21日に開催されたアルツハイマー病研究会第13回学術シンポジウムにおいて、東京都健康長寿医療センター放射線診断科の徳丸阿耶部長は、「治りにくいてんかん性健忘として、海馬硬化症(メモ5参照)の存在を忘れてはならない」ことを指摘しました。

メモ5:海馬硬化性認知症(hippocampal sclerosis dementia;HSD)
 海馬硬化症は、てんかん・認知症などとの関連が示唆されている疾患です。高齢初発のてんかん患者さんを診察したときには、海馬硬化症も念頭におく必要があります。
 病変が海馬に限局しているときには、症状は記憶障害だけです。しかし病変が拡がってくると、その症状はアルツハイマー病と類似した症状を呈してきます。
 軽度認知障害、認知症疑いでMRIを施行した3,500例のうち、2%程度で「海馬硬化症」が確認されるそうです。海馬硬化症においては、MRI上は海馬の萎縮所見が目立つため、安易にアルツハイマー病と誤診される可能性があり注意が喚起されております(村山繁雄:認知症におけるMRI診断の可能性. 医学のあゆみ Vol.235 No.6 619-626 2010)。
 海馬は、低酸素や虚血に対して特に脆弱な部位です。心不全・呼吸不全などの内科疾患が重篤化した場合や、麻酔・手術などの際に脳が低酸素状態にさらされた場合に、海馬の神経細胞が脱落し海馬硬化症が生じうるのではないかと考えられています。
 海馬硬化症の画像診断の特徴として、両側ないしは片側の海馬の萎縮と、MRIでのT2強調画像やFLAIR画像でのシグナル上昇が指摘されています。

100歳の美しい脳 [認知症予防]

認知症予防へ大型調査
 精神・神経センター
 生活習慣、まず8000人

 認知症予防に役立てるため、40歳以上の健康な人にインターネットで登録してもらい、定期的なアンケートを通じて発症に関わる生活習慣のリスクを探る研究を始めると国立精神・神経医療研究センターなどが22日、発表した。
 本年度は8千人、5年間で数万人の登録を計画しており、患者ではない人を対象とした初の大規模研究。7月5日からホームページで登録を受け付ける。
 認知症の多くは、長期間かけて軽度認知障害などを経て発症し、予防や超早期の発見が課題。食事や運動などの生活習慣が発症に関わる可能性も指摘されている。
 希望者は氏名や性別、学歴などの基本情報を登録し、病歴や睡眠、食生活、日常の認知機能などに関する約160項目のアンケートに答える。その後、電話で単語の記憶を確かめる検査も受ける。アンケートと検査は半年ごとに繰り返す。
 研究チームは大量に集めたデータを分析。記憶力の低下につながる生活習慣の要因を調べ、発症の予防に役立てることを目指す。
 登録者には、認知症に関する最新の医療などの情報が提供され、希望すれば開発中の治療薬や予防薬の治験に参加するための案内も届く。
 【2016.6.23日付日本経済新聞・社会】

私の感想
 朝日新聞は、このニュースに関して以下のように伝えております。
 
 登録システムを使うことで、例えば、運動プログラムに参加する人としない人に分けて認知機能の変化を長期間追跡するといった大規模な比較研究が可能になるという。
 アルツハイマー病の治療薬を開発するための臨床試験(治験)への活用も想定。
アルツ八イマl病は今後急増することが予想されているが、症状が進むと根本的に治酪できる薬が今のところない。′欧米では、発症前や軽度認知障害(MCI)、発症早期の各段階で治験が進んでおり、日本でも取り組む必要があるという。
 希望者は登録サイト(iroop.jp)から軒し込む。 (瀬川茂子)

 すごく短い登録アドレスですね。
 jp除くと5文字とは。確かにこれだけの入力でウェブサイト(http://iroop.jp/WWW)にリンクしました。

 研究の意義は感じるのです・・。
 どうせ大掛かりな検討をするのなら、あの歴史的成果(「20歳代前半という、非常に若い時期の言語能力、特に文章作成能力を調べることで、約60年後の認知症の発症を予想できる」?!)の検証もして欲しいものですね。


第526回 ■100歳の美しい脳(その7) 若い時の文章作成能力が将来を決める
 東北大学加齢医学研究所脳科学研究部門老年医学分野の古川勝敏准教授は、前述のJAMAの論文(Vol.275 528-532 1996)について以下のように解説しています(古川勝敏:Nun研究 日本臨牀 Vol.69 Suppl8 607-610 2011)。
 「この論文では『93人の修道女を調査し、20歳代前半で書かれた自叙伝における“grammatical complexity:文法の複雑さ”と“idea density:意味密度”が、晩年期(70-90歳代)の“認知機能”、および“アルツハイマー病の発症”と有意な相関がある』という結果を報告している。すなわち20歳代前半という、非常に若い時期の言語能力、特に文章作成能力を調べることで、約60年後の認知症の発症を予想できるという驚愕に値する知見である。年齢、教育歴を補正し、認知症のスクリーニング検査であるMini-Mental State Examination(MMSE)が低値になるリスクについて調べた場合、言語能力の低値者の高値者に対するオッズ比は30.8と極めて高い値を示していた。ちなみに文法の複雑さと意味密度を比較した場合は意味密度の方が認知機能低下に対する相関が強いようである。」
 オッズ比については、下記メモ3をご参照下さい。

メモ3:オッズ比
 オッズ比とは、オッズ(Odds)の比のことです。
 ある事象の起きる確率(P)と起きない確率(1-P)の比であるP/(1-P)がオッズです。
 例えば、ある事象が起きる確率が80%(0.8)だったとすると、事象の起きない確率は20%(1-0.8)であり、オッズは、0.8/(1-0.8)すなわち4です。これは起きる確率は、起きない確率の4倍であることを意味します。
 オッズ比は、ある条件におけるオッズと別の条件におけるオッズの比です。
 例えば、投薬群において、事象の起きる確率が50%(0.5)だとすると、起きない確率は50%(1-0.5)となりますのでオッズは1です。
 非投薬群において、事象の起きる確率が80%(0.8)だとすると、起きない確率は20%(1-0.8)となります。オッズは4です(0.8/0.2)。
 事象が起きる確率は、投薬群のオッズが1、非投薬群のオッズが4です。このときの比がオッズ比になります。つまり、投薬群に対して非投薬群のオッズは4倍(オッズ比:4)になり、非投薬群のほうが投薬群よりも4倍事象が起きやすいことになります。
 このように、オッズ比が1より大きい時は、疾患に罹りやすいことを意味します。逆に、オッズ比が1より小さい時は、疾患に罹りにくいことを意味します。


第527回 ■100歳の美しい脳(その8) 病気発症のリスク情報は諸刃の剣
 群馬大学大学院保健学研究科の山口晴保教授は、著書(認知症予防 ─読めば納得! 脳を守るライフスタイルの秘訣─ 協同医書出版社発行, 東京, 2010, p28)の中で、リスク比とオッズ比に関して分かりやすく解説しております。以下にご紹介します。
 「コホート研究では、一定の住民集団(コホート)を長期間にわたり追跡・観察して、その間に病気を発症した方と発症しなかった方の因子を比較します。具体例で説明しましょう。ある町に住む1,000名の高齢者集団を、10年間経過観察します。そして、この10年間の調査期間中にアルツハイマー病を発症した方と発症しなかった方で、調査項目(血圧、食事や運動、内服薬、歯の数、肥満など)にどのような差があるかを検討します。例えば、運動をしていた方ではアルツハイマー病が4%に発症し、運動をしなかった方では12%に発症したとすると、運動でアルツハイマー病のリスクが4/12=1/3(0.33)に低下するとわかります(リスク比0.33となります)。このように、コホート研究は、調査を開始した時点の生活状況と、スタートから未来に向かう調査期間中の発病との関係を研究するので、前向き研究といわれます。コホート研究は信頼性が高いのですが、観察期間中の発病をみるので、5年とか10年先にならないと結果が出ないという難点があります。
 一方、症例対照研究(ケースコントロール研究)は、例えば、ある病院の外来で診療を受けているアルツハイマー病の患者100名と、年齢や性別などを一致させた健常な対照群100名を選び、両群の間で過去の生活歴などを比較します。すると、例えば、魚の摂取量が多いとアルツハイマー病のリスクが減るといったような結果が出てきます。症例対照研究では、リスクの程度がオッズ比で示されます。症例対照研究は過去の状況(ライフスタイル)を調べるので、後ろ向き研究といわれます。利点は短時間で結果が出ることです。」

 東北大学加齢医学研究所脳科学研究部門老年医学分野の古川勝敏准教授は、前述のJAMAの論文(Vol.275 528-532 1996)の後日談も紹介しています(古川勝敏:Nun研究 日本臨牀 Vol.69 Suppl8 607-610 2011)。
 「この論文の発表後、若い頃の文章能力で晩年のアルツハイマー病の発症を予測できるということで、Dr.Snowdonのところには各方面から種々の問い合わせが殺到した。例えば保険会社から『アルツハイマー病になりやすいかどうかを調べるために、ペンと紙で文章を書かせる検査を標準化してほしい』という依頼があったようである。彼はもちろんその依頼を断ったが、彼は遺伝子情報も含むこうした疾病発症リスクの情報は『諸刃の剣』だと警告する。それらの情報は我々の行く先を照らしてくれる明りであろうが、ひとつ使い方を間違えれば我々の生活を真っ暗にすることもあるのだ、と彼は訴える。」


第528回 ■100歳の美しい脳(その9) ♪ 火曜生まれはおしとやか
 シスター・ドロシー(86歳)が、20歳のとき(1928年)に書いた自伝を以下にご紹介します。
 「教会に行くたびに、私は殉教を願って祈りました。教会に日参し、聖心に気持ちを捧げていれば、イエスの御心は私の願いを快く聞きいれてくださると思います。修道女になることは、一種の殉教なのですから。」(David Snowdon:100歳の美しい脳 藤井留美訳 DHC, 2004, p137)
 「シスター・ドロシーは1997年11月3日、89歳でこの世を去った。死因は心臓病だった。精神検査を何度受けても、知的機能にまったく問題は見られず、看護師たちの話によると、死んだ当日も頭ははっきりしていたという。彼女の脳を解剖したところ、海馬にほんのわずかな神経原線維変化が見られたものの、新皮質には皆無だった。シスター・ドロシーが、最期まで言葉の力を保ちつづけ、そこからさまざまな喜びを得ていたと知って、私はとてもうれしかった。」(David Snowdon:100歳の美しい脳 藤井留美訳 DHC, 2004, p156)
 余談になりますが、京都大学名誉教授の久保田競先生は、「文章を書く行為は、脳の記憶の中枢を担う海馬や前頭前野の活性化に役立つ」ことを紹介し(夢21 わかさ出版 p35-36 2011年5月号)、「未来日記」を書くことを勧めておられます。

 さてその後、1999年になって自伝への関心が二人の研究者(デボラ・ダナー、ウォレス・フリーセン)の検討によって再び高まりました。180名の修道女が平均22歳で書いた自伝を詳細に分析したところ、「前向きな感情表現」の豊富さは、60年以上先に健在であるかどうかをはっきりと予見していたのです。
 以下にご紹介しますのは、自伝にポジティブな表現をちりばめており最も長寿グループに属していたシスター・ジュネヴィーヴが書いた自伝の冒頭です。

 「生まれて最初に見たのが火曜日正午の光だったという話を聞いて、すぐ頭に浮かんだのは、生まれた曜日で将来がわかるという古い童謡でした。その童謡はこんな風に歌っています。
 月曜生まれの子どもは色白になり、
 火曜生まれはおしとやか─
 物心ついたときから修道女になることを夢見ていたなどと、もっともらしいことは書きたくありませんが、少なくともそれは私にとって良い励みとなり、めざすべき理想でもありました。」

 さて皆さん、このシスター・ジュネヴィーヴの自伝のどの部分が「前向きな感情表現」なのか分かりますか? 今すぐに知りたい方は、『100歳の美しい脳』の第11章(感謝の思い)をお読み下さいね。正解はp243に記載されています。
 とは言いましても、超人気図書である『100歳の美しい脳』を入手されることはなかなか困難だと思われます。
 『ひょっとして認知症?』Part1はまもなく終了致しますが、『ひょっとして認知症?』Part2のなかで正解をきちんとお伝えしたいと思っております。今しばらくお待ち下さいね。


第529回 ■100歳の美しい脳(その10) 高い教育が認知症を防ぐか
 高い教育水準がアルツハイマー型認知症を予防するのかどうかは未解明の大きな研究テーマです。
 アルツハイマー型認知症と教育の関係についての議論をまとめた論文があります。論文は、東京慈恵会医科大学精神医学講座の品川俊一郎医師と首都大学東京健康福祉学部の繁田雅弘教授の共著です(品川俊一郎、繁田雅弘:アルツハイマー型痴呆と教育 老年精神医学雑誌 Vol.16 461-465 2005)。一部改変して以下にご紹介します。
 「疫学調査を中心として、アルツハイマー型認知症(AD)と教育についての報告は数多い。教育水準が低いとADの発症率や有病率が高くなるという報告が多い一方、関連に懐疑的なものもある。このような不一致の背景には、認知機能検査の得点が教育水準の影響を受けるといったスクリーニングの問題や、教育水準は単に教育年数という単一因子のみならず、その後の職業や社会経済状況、ライフスタイルに関連するといった交絡因子の問題が存在する。
 交絡因子が大きい場合、教育歴そのものの影響を議論することが困難なことも問題になる。たとえば高い教育を受けた者は仕事や生活でより高い認知機能を行使していると考えられ、それらが複合的に作用して認知症発症の危険をさげているとも考えられる。
 見解の一致をみていないなかで、比較的信頼性の高いデータとして、オランダのRotterdam study、デンマークのOdense研究、フランスのPAQUID、イギリスのMRC-ALPHAといったコホート研究をメタアナリシスで解析したEURODEM(European Studies of Dementia)研究がある。これによると、教育歴が低いほうがADになりやすく、8年以下の教育歴の人は、11年以上の人の約2倍の相対危険率をもったという。性別と教育歴との関連で比較すると、とくに女性においてその差が強くなり、女性においては相対危険率が4.5倍となったという。低学歴はとくに女性においてADの発症リスクを有意に高くするとした結論であった。
 教育歴との交絡因子の問題に対して、職業や社会経済状況、生活環境がほぼ均一であると考えられる修道女をフィールドとして用いた調査もある。Snowdonらは修道女を対象とした調査で、若年での言語能力が老年期の認知機能や認知症発症に影響していると報告した。この結果は、教育水準が環境要因による影響を受けず、ADの危険因子であることを支持している。
 教育歴がAD発症に影響する機序として広く受け入れられている意見は、高い教育歴を有するものは知的な刺激により大脳シナプスの密度が増加し、神経ネットワークが密になり、ADの症状発現に対する防御効果を有するようになるのではないかというものである。Katzmanはこの予防効果を強調して大脳予備能(brain reserve)という概念を提唱した。これは、たとえADの病理変化による神経細胞死が起こっても、予備能の容量が大きければ臨床的な認知症が顕在化しにくく、高い教育歴が認知症発症の閾値を高くするという考え方である。」


第530回 ■100歳の美しい脳(その11) たくさん本を読んで、手紙も書いて
 Katzmanによる研究データは、シリーズ第57回『高齢シスターの脳は明せきだった・その1』において紹介しておりますのでご参照下さい。
 大脳予備能(brain reserve)の話は、シリーズ第302回『確実に認知症を予防できる方法はまだない』のコメント欄においてもご紹介しております。

 高教育歴がアルツハイマー病(AD)の症状発現に対する防御効果を有するということは、取りも直さず、高教育歴はADの「発症遅延」に関連するということになりますね。実際にそのような報告もされております(Roe CM et al:Cerebrospinal fluid biomarkers, education, brain volume, and future cognition. Arch Neurol Vol.68 1145-1151 2011)。この論文は、ネット上においても閲覧可能です(http://archneur.jamanetwork.com/article.aspx?volume=68&issue=9&page=1145)。
 このように、認知予備能力(cognitive reserve;CR)が高い人ではADの発症が遅れることになります。
 しかしながら、教育レベルや読み書きのレベルが高いと、いったんADになったときには進行が速いことが知られております。例えば、「若年発症、高教育歴、高血圧合併例では進行が速い」(Hirofumi Sakurai, Haruo Hanyu et al:Vascular risk factors and progression in Alzheimer's disease. Geriatrics and Gerontology International Vol.11 211-214 2011)という報告がされております。
 2012年7月12日に三重県津市で開催された認知症学術講演会において、東京医科大学病院老年病科の羽生春夫教授が上記報告に関するスライドを提示され、「高教育歴は発症を遅らせるが、発症した時点では既に病理病変はかなり進行しているため、いったん発症するとその進行は速い。」と説明されました。

 2012年8月3日付『やさしい医学リポート』において坪野吉孝先生は、「『生きる目的』が強い高齢者では、アルツハイマー病に特徴的な脳の病理学的変化が進んでいても、物忘れなどの認知機能の低下が少ない」ということが報告されている論文をご紹介されましたね。
 私もこの論文には強い関心を持ちました。「人生に大きな目標をもっている人は、目標の少ない人に比べて、認知力低下の速度が30%遅かった。」と記載されていたことがとても印象に残っています。
 シリーズ第58回『高齢シスターの脳は明せきだった(その2)』において私は、「生きがい尺度の高得点者は、低得点者よりもアルツハイマー病を発症せずにすむ可能性がおよそ2.4倍高かった」(Patricia AB et al:Effect of a Purpose in Life on Risk of Incident Alzheimer Disease and Mild Cognitive Impairment in Community-Dwelling Older Persons. Arch General Psychiatry Vol.67 304-310 2010)というデータもご紹介しております。この論文はウェブサイト(http://archpsyc.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=210648)において閲覧可能です。
 高齢者の生きがいを高めるために介入を加えることは、認知症予防にも繋がるわけですから、しっかりと取り組む必要がある課題ですね。

 群馬大学大学院保健学研究科の山口晴保教授は著書の中で、「教育歴」に関する重要な提言をされております。山口晴保教授の言葉を最後にご紹介して『ひょっとして認知症?』をひとまず閉じたいと思います。
 「教育歴については、いくつかの疫学研究で、教育歴が長いほど認知症リスクが低減することが知られています。例えば、中年期の肥満や高血圧のリスクを示したスウェーデンの疫学研究では、教育歴が1年長くなるごとに認知症のリスクが0.86倍と少し低くなることを示しています。ただ、例えば、教育歴が短いほど肥満の割合が高いとか、健康への配慮が少ないなど、背景にある別の因子が関与しているのかもしれません。教育歴は過去のことですから、こんなことを今さら言われても…となってしまいます。筆者の言いたいことは、教育歴の短い人ほどたくさん本を読んで下さい、手紙を書いて下さいということです。教育歴の長い方が認知症になりにくいのは、認知機能が比較的高いところから落ちていくので低くなるまでに時間がかかると解釈されます。はじめの位置が比較的低いほうにあると思われる方は、年々落ちていくスピードを緩める努力が必要です。それには、たくさん本を読んで知識を増やし、新しいことにどんどん挑戦して能力を伸ばすことが大切だと思います。」(認知症予防 ─読めば納得! 脳を守るライフスタイルの秘訣─ 協同医書出版社発行, 東京, 2010, p192)

筋萎縮性側索硬化症(ALS) [終末期医療]

家族に気兼ねし、死を選ぶ社会とは(2012.11.16)

 政策に切り込んだ社会派番組から抒情豊かな作品まで、山陰放送記者の谷田人司さんは、その掘り下げた仕事ぶりが高く評価されていました。
 その谷田さんに、07年、不治の病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)が襲いかかりました。視力、聴力、感覚、知力が保たれているのに、手足や喉、舌を動かす筋肉が痩せ細り、最後には呼吸筋が動かなくなって死に至る恐ろしい病気です。
 人工呼吸器をつければ寿命を全うできますが、日本では生きることを諦め、つけない人が7割と推定されています。理由の多くは「介護の負担で家族に迷惑をかけるのがつらい」。
 ところが、デンマークの友人たちに聞くと、「考えられない」という答えが返ってきました。家族や友人の精神的な支えは大切だとしつつ、介護や看護の公的な支えが当たり前とされているからです。
 谷田夫妻は、2年目から人工呼吸器をつけ、障害者自立支援法などを活用し、デンマークに近い24時間対応のサービスを受けています。わずかに動く指でパソコンを打ち、培った人脈を生かして企画を提案。山陰放送は、谷田さんを社員として遇し続けています。

 東日本大震災が起きた時、谷田さんは被災したALSの先輩、土屋雅史さんを取材しようと思い立ちました。メールで交通機関の手配や取材交渉を進め、バッテリーを載せた車いすで仙台へ向かいました。「記者の意地です」。
 取材で谷田さんは、震災で停電が5日も続く中、近所の人たちが発電機やガソリンを持ち寄り、交替で手動の呼吸器を動かし、土屋さんの命をつないだことを知ります。「1日を大事に生きれば良い」という土屋夫妻の言葉に、谷田さんは「共に生きる意義を再認識しました」と振り返りました。
 ALSが進行すると、体のどこも動かず、全く意思表示できない完全閉じこめ症候群(TLS)になる可能性があります。それでも生きることに意味があるのか――。
 答えを探しに、谷田さんは東京都小金井市の鴨下雅之さん一家を訪ねました。雅之さんは家族にとってかけがえのない夫であり、父親であり続けていました。妻の章子さんは「遺影に言うのとは違う。聞いてもらえていると信じているので、幸せです」と語りました。

 その取材の一部始終を、後輩のディレクター佐藤泰正さんたちが、「生きることを選んで」という番組にまとめ、2月に放送しました。この記者魂に、第一回の日本医学ジャーナリスト協会大賞が贈られました。「家族への気兼ねから死を選ぶことのない社会にするための捨て石になれれば」という谷田さんの言葉が、重く響きました。
 【大熊由紀子:誇り・味方・居場所─私の社会保障論. ライフサポート社, 横浜, 2016, pp136-139】

私の感想:
 素晴らしい内容でしたのでこの節に関しては省略せずに全文ご紹介させて頂きました。
 認知症終末期の意向におきましても、「家族に気兼ねして胃ろうを拒否しているのではないか」という意見がしばしば指摘されます。何を持ってご本人の意向(「自己決定」)とするのか非常に難しい部分でもあります。
 三重大学認知症医療学講座の佐藤正之准教授がALSに関する非常に印象深い記述をされておりますので以下にご紹介致します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第433回『加齢とからだ、加齢と知能─「体という牢獄に閉じ込められた精神」という疾患』(2014年3月14日公開)
 読者の皆さんにとっては、ALSという疾患のイメージはなかなか把握しにくいと思います。
 三重大学認知症医療学講座の佐藤正之准教授が書かれた著書の中には、ALS患者さんの症状に関する詳細な記述がされておりますので以下にご紹介して本稿を閉じたいと思います(佐藤正之:カルテと楽譜の間から─音楽家くずれの医者の随想 新風書房, 大阪, 2011, pp53-54)。
 「『ALS。日本名、筋萎縮性側索硬化症』
人間の体は、脳や脊髄にある運動神経細胞からの命令が筋肉に達することにより動く。ALSは、その運動神経細胞が消失してしまう疾病である。呼吸や会話、飲み込みを含めて、運動という名のつくものは全て、筋肉が収縮することにより達成される。その筋肉を動かしている神経細胞がなくなるということは、筋肉に命令が届かなくなることを意味する。最終的には全身が細って骨と皮だけとなり、眼球の動きと大小便の括約筋が保たれる外は、飲み込むことも、しやべることも、指一本動かすこともできなくなってしまう。そして何よりも、空気を肺に吸い込むための呼吸筋も麻痺するため、息をすることができなくなる。病気の原因は不明で、現在根本的な治療法はない。対症療法として、飲み込みが不可能になると、鼻から胃にチューブを通したり、或いはお腹に穴を開けてチューブを入れ、流動食を流し込む。一番の問題は呼吸である。呼吸筋の萎縮が進むにつれ、少し動いただけでも息切れするようになり、やがてじっと横になっていても息苦しさが取れなくなる。いわば数カ月間、数年かかってじわりじわりと真綿で首を締め続けられる状態である。治療として、気管切開をして首の付け根に穴を開けて人工呼吸器を装着すると息苦しさからは開放される。一方、肺や心臓など内臓の機能は正常で、脳も運動神経細胞以外は正常なまま保たれるので、意識や思考、感覚も健常時と全く変わらない。つまり、一旦人工呼吸器を着けたが最後、患者はベッドの上で次第に衰えていく自らの身体を、透徹した頭脳で直視し続けなくてならない。体中の筋肉が動かなくなっても何故か眼球を動かす筋肉だけは残るので、近年では特殊なワープロを使うと眼球の動きによって意志伝達できるようになった。しかし、まんじりとも動くことができずに身を横たえ、数年、十数年と生き続ける状態は、想像するだけでも痛ましい。患者の多くは、まだ元気なうちは『自分には呼吸器を着けないで欲しい』と言う。しかし殆どの人は、半分首を締められ窒息寸前の状態が何週間も続くと、苦しみに耐え切れず、或いは苦しむ姿を見るに見かねた家族が懇願して、人工呼吸器を着ける。当然息は楽になるのだが、生ある限り二度と呼吸器から離れられず、体という牢獄に閉じ込められた精神とも呼べる状態に直面し、後悔と自責の念に駆られる。」
 佐藤正之先生の患者さんに対する優しさが随所にじみ出ている著書です。一般書店では販売していないと思いますので、お読みになりたい方は出版社(新風書房:06-6768-4600)にお問い合わせ下さいね。

かあさんの家 [終末期医療]

家庭的な場でぬくもりある旅立ち(2012.5.4)

 サルの世界にも文化があり、若い世代から群れ全体に広がり、受け継がれていく── 世界的なこの発見の端緒をつくった三戸サツエさんは、私の憧れでした。宮崎県串間市で小学校教師のかたわら、サルの観察を続け、文化の伝承に気づいたのでした。
 そのサツエさんが95歳の時、脳梗塞で倒れました。病院で鼻や勝胱に管を挿入され、外さないように手足をベッドに縛られました。口を固く結んで水も飲もうとしないサツエさん。「死のうとしている」と直感した70歳の娘さんは宮崎市のホームホスピス「かあさんの家」の市原美穂さんに泣いて頼みました。
 それから2年後の昨年夏、私が訪ねた時は、サツエさんは口から食べ、笑顔を取り戻していました。 (以下省略)
 【大熊由紀子:誇り・味方・居場所─私の社会保障論. ライフサポート社, 横浜, 2016, pp108-111】

私の感想
 三戸サツエさんの物語は、朝日新聞の連載「患者を生きる」・命のともしびの中でも非常に強く残っているシリーズです。東日本大震災で連載が中断したシリーズでもあります。
 それを私がアピタルで紹介したものを以下にご紹介いたします。
 
朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第308回『死を覚悟・治療や食事を拒む─治療の道を選択』(2013年11月8日公開)
 朝日新聞の連載「患者を生きる」・命のともしびの『かあさんの家で(2011年3月8日~11日&3月17~18日掲載)』は、いろいろと考えさせられるシリーズでした。
 特に2011年3月10日の紙面(かあさんの家で・3)に書かれた文字からは強いインパクトを受けました。三戸サツエさん(95歳)は、自分自身の「死期」を悟り、栄養チューブ・点滴の管を自己抜去し、「みなさん、私はお先に行きます。あとはよろしく。幸せな人生でした。」と周囲に感謝の気持ちを伝えました
 私は、2010年10月に経験した亡父の介護経験がフラッシュバックのように思い出されました。父は入院した当日、私が自宅に入院に必要な物品を取りに行き、病院に戻ってくるまでのわずか30分程の間に点滴を自己抜去してしまい、ベッド柵を乗り越えてベッドの下に転落しておりました。点滴の液は床一面にこぼれておりました。慌てて看護師さんを呼んで来てもらい、父をベッドに戻し点滴を再度入れてもらいました。
 亡父が延命治療を望んでいなかったことは、父が記載し私に手渡した事前指示書の存在で明確でした。しかし私は、「父の状態は終末期とは言い切れない」と判断し、治療の道を選択しました。
 の日あの時、治療の道を選択したことについては、私は今でもそれで良かったと思っています。もし治療の道を選択していなかったら、「あの時もう少し前向きに治療していれば、もしかしたら今でも父は…」と後悔する日々をおくっていたことでしょう。  しかし、治療の道を選択したことで失外套症候群(メモ1参照)に陥り、胃ろうからの栄養管理を受け長年にも及ぶ要介護状態になっていたら…。私は父との約束を果たせなかったことを後悔する事態に陥っていたでしょう。
 救命目的で実施した医療行為が徐々に延命措置に移行していくケースは多々あります。それだけに「選択」は非常に難しいのが現状なのです。

メモ1:失外套症候群
 アルツハイマー病(AD)は進行性の疾患であり、やがては「失外套症候群」という状況に陥っていきます。
 失外套症候群とは、大脳皮質の広汎な機能障害によって不可逆的に大脳皮質機能が失われた状態です。しかし脳幹の機能は保たれており、瞬目反射は認められます。口に食物を入れてやると咀嚼して飲み込みます。分かっているかのように眼を動かしますが注視・追視は認められず、無動・無言の状態です。

認知症の人の精神病院入院 [認知症ケア]

認知症の精神病院入院はやめよう(2011.9.16)

 「介護に疲れた家族を救うため」という大義名分のもと、精神科病院で認知症の人を預かる動きが進行しています。08年には少なく見積もって約5万2千人。さらに増える勢いです。
 「介護の社会化をすすめる1万人市民委員会2010」の代表・堀田力さんの司会で8月に開かれたシンポジウム「各党代表と、これからの認知症ケアを考える」で、精神科医の上野秀樹さんはこう告白しました。
 「以前に勤めていた病院では、認知症の方をたくさん入院させ、困っていたご家族に大変に喜ばれ、良いことをしたと思い込んでいました。今の病院に移り、『入院はできません』というと、ご家族はがっかりします。しかし訪問診療で症状が改善すると、ご家族の喜びはさらに大きく、ご本人の幸せにもつながっています」
 上野さんが診療した540人の高齢者のうち、認知症でどうしても入院が必要な人はわずか5人でした。
 【大熊由紀子:誇り・味方・居場所─私の社会保障論. ライフサポート社, 横浜, 2016, pp76-79】


 「どうしても入院が必要な認知症の人」ってどんなイメージでしょうか。
 松本一生先生が著書の中で精神科病院入院に至った事例を紹介しておりますので以下にご紹介したいと思います。

事例―暑さをきっかけに精神症状が激しくなった宅間次郎さん
 宅間次郎さん(63歳・男性)は、3年前に脳梗塞で2週間ほど入院した後、自宅療養を続けています。息子2人と娘はすでに独立し、現在は妻との二人暮らしです。
 これまで少しずつ脳血管性認知症が進んできましたが、知的能力が高かった人だけに、今なお「自分でできること」も多く、妻には年齢相応の能力低下としか映らないまま、夏を迎えました。
 しかし暑さのせいか、宅間さんの血圧はどうしても安定しません。さらに8月初めに急激な暑さが来たのを境に、もの忘れなど認知症の中核症状よりもむしろ精神面の症状が激しくなり、妻が一睡もできないほど夜中に興奮することが繰り返されるようになりました。
 困った妻がかかりつけの内科医に相談したところ、ある病院を紹介され、入院することが可能となりました。しかし、入院する認知症病棟が精神科病院にあるため、事態は思わぬ展開になってしまいました。温かい雰囲気の病院であり、宅間さんがケアを受けながら入院するには適切な医療機関でしたが、妻は「○○精神科病院」という名前だけで拒否感をもってしまい、ついに入院することを決断できなかったのです。
 しかし宅間さんをそのまま自宅に戻すこともできません。かかりつけ医は妻の不安定な様子を心配しました。かかりつけ医の努力によって、ある整形外科医が開設した近県の一般病院にようやく入院することになりました。

病院での宅間さんへの対応
 彼の入院に際し、精神面に対する薬の処方はその病院でできましたが、問題はケア体制でした。
 交通事故など救急の整形外科の患者が多い病院なので個室に入院することになり、若い男性看護助手が宅間さんを担当することになりました。この看護助手は熱意にあふれた優秀な人でしたが、精神面のケアが必要な患者を担当したことがありません。そのため彼にどう対応すればよいのかわかりませんでした。
 「とにかく精神面で不安定になっている人には抱擁(ハグ)をする」と日ごろから言っていた看護助手は、宅間さんが夜間混乱しているときでも寄り添い、抱きかかえようとしました。しかしその途端、恐怖に顔をひきつらせた彼は看護助手に対してつかみかかっていきました。
 その後、こうしたことが原因となって、宅間さんは退院を迫られるようになるのですが、それまでの10日間、宅間さんは何度も興奮して看護助手を殴りました。
 このことを気にした妻も体調を崩してしまい、結局彼はかかりつけ医が最初に勧めた精神科病院の認知症病棟に転院することになり、ここでようやく落ち着きを取り戻しました。

その人の恐怖をはかり知ること
 このエピソードのなかに、責められるべき人は1人もいません。家族も周囲の支援者も皆、宅間さんのことを思っていたからこそ、いろいろな支援に努めたのです。
 看護助手は、交通事故の患者などに対するこれまでの臨床経験を活かして、自分の心意気を示すこと(ハグ)で利用者のこころに「親しみやすい」印象を与えたかったのです。しかし、ただ1つ欠けていたのは、認知症という病気の宅間さんがどのように世界を理解しているか、どんな状況になれば恐怖を感じて、どう反応するかといったことを、宅間さん自身の立場に立って見極められなかったことだと思います。
 一般的な理解では、相手が安心できるように笑顔を向け、また敵意がないことを示すようハグすることで、信頼感は高まると思います。しかし認知症の人自身がどのような世界を体験して、どのような恐怖を抱くか予想しながらかかわらなければ、その善意は脅威へと変わってしまいます。
 (以下省略)
 【松本一生:喜怒哀楽でわかる認知症の人のこころ. 中央法規, 東京, 2010, pp73-77】

私の感想
 「触れる」ことは、ユマニチュードの4つの柱「見る」「話す」「触れる」「立つ」の一つですが、使い方を間違うとこのような事態になってしまうこともあるということを想定しておく必要がありそうですね。
 ユマニチュードの動画は↓
 https://www.facebook.com/atsushi.kasama.9/videos/595811383921878/?permPage=1

 私自身の経験でも、この方は一般病院での入院は無理だな・・。精神科病院に入院せざるを得ないかな・・と感じるケースがやはりどうしてもあります。必要と判断されれば、介護が破綻する前に決断しなければならない時もあると思います。
 ただ一つ言いたいことは、入院する精神科病院の質を高めて欲しいということです。理想を言えば、石川県立高松病院副院長の北村立医師のような精神科医が増えて欲しいと願っております。
 以下に、北村立医師の取り組みをご紹介します。

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第178回『深刻化する認知症患者の長期入院 退院に向けてケア会議』(2013年6月21日公開)
 精神科病院における長期入院の解消に成果をあげている取り組みについてご紹介しましょう。
 2012年11月22日放送のクローズアップ現代(http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3278.html)では、「“帰れない”認知症高齢者 急増する精神科入院」と題して、増え続ける認知症高齢者の精神科病院への入院をどう解消するのかが大きな課題として取り上げられました。
 放送された内容で私が強く印象に残ったのは、石川県立高松病院副院長の北村立(きたむら たつる)医師(精神科医)らの取り組みです。
 北村立医師らは、4年前から退院を促すための様々な取り組みを始めているそうです。まず取り組んだことは、家族や介護施設が抱えている退院後の不安を解消するための退院に向けてのケア会議でした。ケア会議では、家族や介護施設の担当者が集まり、退院後の過ごし方について話し合われます。その中で北村立医師は、「(退院してみて)うまくいかなかったら、また入院すればいいんだし…。やってみないことには分からんから」と話しておりました。
 その他に北村立医師が取り組んでいることが、「早期治療」と「BPSDの予防」です。早期治療とは、医師自ら介護施設に出向き、認知症の行動・心理症状(BPSD)がひどくなる前に治療に取り組むものです。BPSDの予防とは、認知症と診断後に病院のスタッフが患者さんの自宅を訪問し、関係者に集まってもらいBPSDの原因を探りアドバイスする取り組みです
 当日の番組コメンテーターを務めた敦賀温泉病院・玉井顯院長(精神科医)は、北村立医師らの取り組みを見て、認知症はチーム医療が一番大切であるがそれを実践していることが素晴らしく、生活の場を実際に見ているのでBPSDの原因が分かり対処方法を家族に伝えられるし、精神科病院は「最後の砦」なのでいつでも再入院できますよと保証する(バックアップ体制をしっかりする)ことで家族が安心し長く在宅で過ごすことができるのではないかと高く評価しておりました。
 北村立医師らの取り組みは、2013年3月1日付朝日新聞「認知症とわたしたち」においても取り上げられました。記事においては、「入院期間をなるべく短くしようと、病院は4年前から、家やグループホームヘ訪問看護を始めた。症状がひどくなったときには再入院させ、落ち着けばまた家へ帰す。抗精神病薬や睡眠薬などは最小限に抑える。患者の活動量が落ちれば看護は楽だが、寝たきりになって家へ帰れなくなる恐れもある。最近は、患者の半分近くは2カ月以内で退院できるようになった。」とその成果も報道されました。

Facebookコメント
 2013年6月15日に放送されましたNHK・Eテレ/チョイスでは、「もし認知症とわかったら」(http://www.nhk.or.jp/kenko/choice/archives/2013/06/0615.html)に関連するチョイスがいくつか示されました。
 私が一番印象に残ったのが、若狭町福祉課地域包括支援センターの髙島久美子さんらが取り組んでいる試みです。
 髙島さんは、若狭町に住む65歳以上の人を年1回訪ねており、戸別訪問により認知症の早期発見に努めております。さらに、家族だけではなくご近所の方に対しても認知症ケアについてアドバイスし、認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)を未然に防止することに精力的に取り組まれておりました。
 若狭町では、これらの取り組みによって、認知症患者の入院数(平成24年人口比)が福井県の周辺自治体の約5分の1であったという成果をあげているそうです(嶺南認知症疾患医療センター調べ)。
 町ぐるみで認知症対策に取り組むことにより、BPSDを未然に防止し精神科病院への入院を減らした具体的な事例と言えますね。

Facebookコメント
 事例を紹介しよう。90歳の母親を60代後半の娘さんが一人で介護していたケースである。娘さんが急性の心筋梗塞で入院することなり、その日から誰が母親の介護をするかが問題となった。関与していた初期集中支援チームは、残された母親にはほとんど清神症状がないのに、なんと認知症疾患医療センターの民間精神科病院に入院させて、支援終了としてしまったのである。地域の介護施設でショートステイをつなげたり、工夫次第でいくらでも地域生活を継続できていたかも知れないケースである。
 精神科病院は「地域にとって困った存在」を強力に引き寄せ、入院させてしまうことでその存在を目の前から消し去ってくれる。地域で対人的支援を行っている人にとっては大変に便利な施設である。とりあえず「困った人」を引き受けてくれて、問題が解決してしまうので、一回利用すると癖になってしまう。 しかし利用したことによる副作用は極めて大きく、こうした「便利な施設」が地域にあるために、「工夫すれば地域で支えることができる人」がみな精神科病棟に吸い込まれてしまうことにもなりかねない。こうした「便利な施設」があると地域で対人支援を行っている人々が支援方法を工夫することがなくなるので、多様な人を地域で支える仕組みが育たないのである。
 結局、現在の日本では精神科病床が過剰に存在しているために地域力が育たず、いつまでたっても精神障害者を地域で支えられない状態がつくられてしまっているのである。
 さらに、この精神科病院の吸引力のために、私たちは普通に生活していると精神障害がある人と接する機会が奪われてしまい、国民全体の精神障害に関する理解も深まらないのだ。いわば、過剰な精神科病床の存在のために大きな社会的損失が生じているのである。真の共生社会の実現のためには、精神科病床は適正数まで強制的に減少させる必要があると考えられる。
 病床削減の方法としては、厚生労働省の審議会「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討会」で検討されていた「病床転換型居住系施設」は極めて問題の大きい、危険な施策である(厚生労働省:長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討会 http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000almx.html#shingi141270)。単なる看板の書き換えに終わってしまう可能性が高いことと、日本と同じような精神科医療状況にあるベルギーで、似たような施策を行い、20年以上の社会実験の末に完全に失敗に終わったからである。
【上野秀樹:認知症の人の支援─初期集中支援チームと精神科医療供給体制. 公衆衛生 Vol.78 683-688 2014】

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第179回『深刻化する認知症患者の長期入院 専門病院と介護老人施設の連携をスムーズに』(2013年6月22日公開)
 最後に、石川県立高松病院副院長の北村立医師が論文で報告している理念をご紹介して本稿を閉じたいと思います(一部改変)。
 「在宅や介護老人施設などで対応困難なBPSDが発生した場合、可及的速やかに対応でき、かつ人権擁護の観点から法律的な裏づけがあるのは精神科病院しかないと思われる。したがってBPSDの救急対応も精神科病院の大きな役割として強調されるべきである。
 石川県立高松病院ではBPSDに対する救急・急性期治療の重要性を認識し、早くからそれを実践してきている。具体的には認知症医療においても365日24時間の入院体制を合言葉に、『必要なときに即入院できる』体制を作り上げてきた。
 さて、今後爆発的な増加が予想される認知症の人をできるかぎり地域でみていくためには、BPSDの24時間の対応体制の整備が必要なのは明らかであるが、わが国にはそのような報告は筆者らの知る限りない。
 当院のような365日24時間受け入れ可能な精神科専門医療機関が地域にあれば、多少重症のケースであっても、介護老人施設でぎりぎりまで対応できる可能性が示されている。施設が困ったときにただちに対応すれば信頼が得られ、状態が安定すれば短期間で元の施設に受け入れてもらうことが可能となり、専門病院と介護老人施設の連携がスムーズとなる。
 成人の精神科医療と同様、高齢者に認められる急性一過性の激しい精神症状は、適切に対応すれば容易に消退するものであり、これこそが精神科における認知症急性期医療の重要性を示すものである。また、筆者らの臨床経験からいえば、家族の心配や介護負担感を増やさないようにするには、初診時から365日24時間いつでも受け入れることをあらかじめ保証することが重要である。家族が困ったときにすぐ対応すれば、介護者は余裕をもって介護に当たることが可能であり、近年問題となっている介護者のメンタルヘルスを保つうえでもきわめて有益と考える。」(北村 立 他:石川県立高松病院における認知症高齢者の時間外入院について. 老年精神医学雑誌 Vol.23 1246-1251 2012)

世帯分離 [日々想々]

「両親を離婚させるしか…」 介護費倍増、揺らぐ中流【朝日新聞デジタル 6月19日(日)18時41分配信】
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160619-00000026-asahi-soci

 特養からの請求額が昨夏以降、はね上がった。食費や部屋代に介護保険の自己負担分なども含め、月約8万円から約17万円に倍増。両親の年金は月約28万円だが、実家の借地料は月8万円近く、一人暮らしをする父(75)の医療費や社会保険料の負担も重い。男性は毎月4万円の仕送りを始めたが、なお足りない。
 負担が増えたのは、介護保険制度の改正で昨年8月から施設の食費・居住費の補助(補足給付)を受けられる条件が厳しくなったため。母は特養の住所で住民票登録をしており、実家の父と「世帯分離」をしている。これまで非課税世帯とみなされた母は補助を受けられていたが、制度改正によって世帯が別でも配偶者が住民税の課税世帯なら補助の対象外になった。

 「世帯分離」制度の活用にメスが入っていたことを私は今まで知りませんでした。
 まあ本来の姿に戻ったというべきなのでしょうか?
 でも、それがために“晩年離婚”となるとあまりにも寂しい現実ですよね。

朝日新聞アスパラクラブ「ひょっとして認知症-PartⅠ」第316回『■介護者は我慢するしかないのか(その3) 介護に困ったらケアマネジャー』(2012年2月2日公開)
 まだまだ認知症専門医数は少なく、一人一人の専門医が抱える患者数は多く、診療面で負担となっているのが事実です。私も、入院患者さん(約50名)を診療しながら「もの忘れ外来」を担っておりますので、なかなか多忙です。だからといっていきなり「かかりつけ医」に戻していたら、認知症診療に精通したかかりつけ医ならともかく、そうでなかったら家族は不安を抱え込んでしまいます。適切な介護指導をし、認知症に伴う行動障害と精神症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD シリーズ第10回・35回参照)がそこそこコントロールできた時点でかかりつけ医に戻すのが望ましいと私は考えています。

 認知症の人を在宅で介護していく際には、多くの困難があります。介護者は、介護保険の仕組みをある程度理解し、上手に活用していくことも時に必要となってきます。
 介護で困ったときに身近な存在で何かと相談しやすいのは、介護支援専門員(通称:ケアマネジャー)ではないでしょうか。

 理学療法士・介護福祉士・介護支援専門員の資格を持つ岡田慎一郎氏は、著書において介護保険制度の仕組みについても言及しております(岡田慎一郎:家族のための介護入門─負担を減らす制度と技術 PHP新書, 東京, 2010, p26,p49,p63)。
 「介護とお金の問題は切っても切り離せません。介護保険は一割負担ですので、最も介護度の高い、要介護5のサービスを限度額いっぱいに使っても、自己負担は1カ月3万数千円です。実際には、介護保険サービスそのものは限度額内で利用している方が多く、この部分だけ見ると、介護にかかるお金は介護保険の創設によって、ずいぶん軽減されているように感じられます。
 しかし、実は介護保険以外にかかるお金がかなりあるのです。介護施設に入所すれば、食費や居住費など介護保険ではまかなえない部分がありますし、在宅介護でデイサービス(通所介護)などを利用するにしても、食費、オムツ、日用品、レクリエーション代などの負担が必要です。」
 「在宅介護の場合、要介護度3以上の判定であれば、支給限度額の範囲内で毎日、訪問介護サービスを利用することは可能といえます。30分~1時間の訪問介護を毎日使ったとすると、自己負担額はおよそ12,000円です。」
 「緊急に介護の必要性が生じた場合、申請前や認定前でもサービス事業者を利用したいことがあるでしょう。緊急またはやむを得ない理由によって事前に利用した分については、申請前の分も支給対象になります。サービス利用料の支払い時には全額自己負担しなければなりませんが、認定後に申請にすれば、その費用の9割分が市区町村から支給されます。ただし、認定結果が出る前に利用したサービスの料金が、認定結果の上限金額以上なった場合、超えた分は自己負担になるので注意が必要です。」(一部改変)
 種々の通所介護・施設介護の紹介、各施設・サービスの利用料金の目安なども記載されており、これから介護保険制度の概要を勉強しようという方にはうってつけの本だと思います。
 なお施設によっては、費用負担に困窮している利用者を見るに見かねて「世帯分離」という方法を勧めてくれる場合もあります。大いに議論が分かれる手法ですが、制度の詳細を知りたい方は、産経新聞ウェブサイトの世帯分離・上(http://www.sankei.co.jp/yuyulife/sonota/200706/snt070604002.htm)、世帯分離・中(http://www.sankei.co.jp/yuyulife/sonota/200706/snt070605001.htm)、世帯分離・下(http://www.sankei.co.jp/yuyulife/sonota/200706/snt070606003.htm)において概要を知ることができます。産経新聞・ゆうゆうLifeにおいて2007年6月4日~6日報道されたものです。

 以上述べたような情報は、ケアマネジャーに相談するとその時々の状況に応じていろいろアドバイスをしてもらえます。まずは担当のケアマネジャーの方に相談してみるのがよいと思います。
 もしケアマネジャーに相談しにくい内容でしたら、高齢者総合相談センター(シルバー110番)に問い合わせてみるのも一つの方法かも知れません。高齢者総合相談センターでは、高齢者やその家族が抱える高齢者福祉、介護保険、医療などの心配事、悩みごとに対する総合的な相談に応じています。ほぼ各都道府県に1カ所ずつ設置されており、設置がないところには、「シルバー110番」に代わるものがあります。相談方法は電話相談、面談などで費用は一切かかりません。プッシュホン回線の電話では、局番なしの♯8080を押すと、無料でつながるようになっています。
 鹿児島県(http://www.kaken-shakyo.jp/e/e-1.html)や山梨県(http://www.nenrin.or.jp/yamanashi/)では、シルバー110番に寄せられた相談事例がQ&A形式で紹介されています。


ケアマネジャーさんに「感謝」
投稿者:イートントン 投稿日時:12/02/02 18:15
 介護において、私の母は、認知症の度合いは低いのですが、身体的・家庭的事情が主でした。
 在宅・病院・通所・老健・入所と、お決まり?のコースをたどりました。
 その時々に、ケアマネジャーさんには、たいへんお世話になりました。「感謝」の一言です。みなさんも、困っていること等は、何でも、相談することを、お勧めします。

感謝・感謝ですよね!
投稿者:笠間 睦 投稿日時:12/02/02 19:31
イートントンさんへ
 良いケアマネさんに巡り合えて良かったですね。
 ケアマネさんには私もいつも感謝感謝です。

 ある意味、良いケアマネさんに巡り会えるかどうかも「運」だのみですよね。
 しかし、「運任せ」では不安ですよね。

 シリーズ第155回『認知症サポーター 認知症介護者の心情変化(2) 辛いときほど適切な指示』においてご紹介しましたように、かつて認知症の人と家族の会・三重県支部では、「認知症の方と家族に寄り添えるケアマネジャーのリスト」(「ぽーれぽーれ」通巻313号付録 2006.8.25発行)という資料を作成しました。
 すごく良い試みでしたのに、何故か全国に拡がりませんでしたね。その理由は、私にはよく分かりません。


>「認知症の方と家族に寄り添えるケアマネジャーのリスト」
投稿者:梨木 投稿日時:12/02/02 23:11
 三重県にはそんな凄い裏リストがあったんですね。そしてそれは普及しなかったと。そういえば世間に「名医」や「名病院」のランク本は沢山出てますが、名看護師とか名ケアマネジャーの本はないですものね。すばらしいアイデアだったのに残念!
 私の推測では、拡がらなかった理由の一つは評価の難しさと、それに伴い評価の信頼性が低く見られたからでは、と思います。
 ケアマネが思う「良いケアマネ」と利用者様・介護者様の求める「良いケアマネ」の像の統合は、時に難しかったですから。
 でもとても面白い実践だったと思うので、そのリストを活用されてどんなことが現実に起きたか、とても知りたいです。


Re:>「認知症の方と家族に寄り添えるケアマネのリスト」
投稿者:笠間 睦 投稿日時:12/02/03 05:14
梨木さんへ

> リストを活用されてどんなことが現実に起きたか

 「認知症の人と家族の会・三重県支部」の会員しか、「認知症の方と家族に寄り添えるケアマネジャーのリスト」(「ぽーれぽーれ」通巻313号付録 2006.8.25発行)という資料を目にしていませんから、一番資料が必要な介護保険を導入して間もない介護者(=当然まだ「認知症の人と家族の会」の会員ではない)が目にすることは少なかったのでしょうね。
 まあ私は個別に「新規の介護者」の方で必要な方には資料を紹介しておりましたが・・。

 という状況ですから、ほとんど活用されなかったのが実情ではなかったのかなと推測しております。

京都式認知症ケアを考えるつどい [認知症ケア]

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=599291603573856&set=a.530169687152715.1073741826.100004790640447&type=3&theater

朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第627回『役割と生きがいの賦与―先駆的な京都府の取り組み』(2014年9月30日公開)
 京都府では、「2012京都文書」にも代表されるように、認知症ケアに関して先駆的な取り組みが数多く実践されております。
 洛和会京都新薬開発支援センター所長の中村重信先生(元・広島大学大学院脳神経内科教授)は、京都文書の趣旨について以下のように述べております。
 「85歳の人は一人で平均8個の病気を抱えており、認知症の人はとくに身体合併症が多い。…(中略)… ときには身体疾患を合併した認知症の人が総合病院から入院を断られるという問題も起こっている。そうした現状を踏まえたうえで、認知症を生きる人たちに必要な医療と暮らしの双方を保証するための道筋を探ろうというのが京都文書の趣旨である。」(中村重信:身体合併症のマネージメント. 成人病と生活習慣病 Vol.43 874-878 2013)
 「2012京都文書」は、「認知症を生きる人たちから見た地域包括ケア」の言語化をめざしたものであり、そのエッセンスは「京都式認知症ケアの定義十箇条」としてまとめられております(森 俊夫:認知症の「入口問題」を解決する新たな地域医療・ケアの構築に向けて─「2012京都文書」「京都式認知症ケア」の取り組み. 訪問看護と介護 Vol.18 25-30 2013)。
 さて、『ルポ 認知症ケア最前線』(佐藤幹夫:岩波新書, 東京, 2011, pp32-50)という本においては、「京都式えらべるデイサービス」というユニークな取り組みが紹介されています。
 宮津市のデイサービス「天橋の郷」(http://www.hokuseikai.or.jp/tenkyonosato/)では、小グループ活動を採り入れています。
 「天橋の郷」の北條千恵子施設長は、デイサービスでの活動が家庭でも継続されることの重要性を強調するとともに、ゲームを通した活動経験から、以下の2点を報告しております。
 「ボウリングで個人戦では集中力の持続が難しい方でも、ペアを組んで団体戦形式にすると、直接的にプレーする活動と間接的に応援する活動の両面で楽しむことができた。」
 「男性利用者に受け入れられやすい活動であった。どうしても男性の好む活動は女性より幅が狭い傾向にある。その点、『若い頃よくやった』『身体を動かすと気持ちが良い』という理由で男性にうけが良かったように思われる。」

メモ4:入口問題
 「家族や周囲との関係を含め、すべてを失い、すべてが壊れた後に医療やケアと出会うと、その出会いは、多くの場合、侵襲的なものにならざるをえない。彼らの生活の連続性を断ち、生活を根こそぎにする形ではじまる医療やケアとの出会いは、たがいの不幸である。医療やケアの侵襲性を最小限にするためには、失う前、壊れる前に彼らと出会う必要がある。そこで浮上してくるのが入口問題である。
 出会いのポイントを前に倒すには、医療やケアと出会う部分、つまり医療やケアへのアクセスがスムーズに行われる必要がある。しかし、多くの事例を検討した作業から明らかになったことは、入口部分における『条件のよい人』と『悪い人』との二極分化であり、明らかな不平等であった。つまり入口問題とは単にアクセスポイントの有無だけにとどまらず、社会経済的問題を含んだ『アクセスからの排除』をもたらす要因のことである。しかし、これまではこの問題に明確な焦点があてられることがなかったために、きちんとした分析がなされることなく放置されてきた。ここではじめて方法論が明確になる。認知症の疾病観を変えるためにはまずはこの入口問題を正確に描き出すことであり、つぎにその解決に向けた道筋を明らかにすることである。京大病院老年内科の武地一はこの入口問題を狭義と広義に分け、アクセスからの排除を『狭義の入口問題』、アクセスしたものの医療やケアの対応力が及ばずに結果として排除される場合を『広義の入口問題』として整理した。」(森 俊夫:認知症の地域包括ケア─京都の挑戦. 医学のあゆみ Vol.246 305-309 2013)


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第628回『役割と生きがいの賦与―患者の「私」を主語に12指標』(2014年10月1日公開)
 2013年2月17日に開催された「第2回京都式認知症ケアを考えるつどい」においては、『2012京都文書からみたオレンジプラン ~かなえられた私の思い 五年後の十二の成果指標~』という文書が採択されました。
 余談にはなりますが、2013年の「世界アルツハイマーデー」に京都タワーがオレンジ色にライトアップされたニュースは皆さん鮮明に覚えておられるのではないでしょうか。
 「2012京都文書からみたオレンジプラン」は「京都式認知症ケアを考えるつどい」のトップページ(http://kyotobunsyo2012.jimdo.com/)から「第2回京都式認知症ケアを考えるつどい」をクリックし「2012京都文書からみたオレンジプラン」をクリックするとダウンロード先が表示されており閲覧することができます。
 では、認知症施策の成果指標「2012京都文書からみたオレンジプラン ~かなえられた私の思い 五年後の十二の成果指標~」においては、いったいどのような宣言がされているのでしょうか。
1.認知症を持つ私の個性と人権に十分な配慮がなされている
2.私のできることは奪わず、できないことを支えてくれるので、バカにされ傷つき不安になることはない
3.私が言葉で十分説明できないことがあることも理解されている
4.趣味やレクリエーションなど人生を楽しみたい私の思いが大切にされている
5.社会(コミュニティー)の一員として社会参加が可能であり、私の能力の範囲で社会に貢献している
6.若年性認知症の私に合ったサービスがある
7.私の身近なところにどんなことでも相談できる人と、つねに安心して居られる場所がある
8.私はまだ軽いうちに、認知症を理解し、将来について決断することが出来た
9.認知症を持つ私に最初から終いまでの切れ目のない医療と介護が用意されて、体調を壊したときも、その都度すぐに治療を受けることができる
10.私は、特別具合の悪くなった一時(いっとき)を除いて、精神科病院への入院に頼らない穏やかで柔らかな医療と介護を受けて暮らしている
11.心と脳の働きを鈍らせる強い薬を使わないでほしい、認知症を治す薬を開発してほしいという私の願いにそった医療と研究が行われている
12.認知症を持つ私を支えてくれている家族の生活と人生にも十分な配慮がなされている
 「かなえられた私の思い 五年後の十二の成果指標」は、認知症の“私”を主語にして2018年3月の社会を描いたものであり、それを共通の理念(たどりつきたい地平)とするとともに、2015年2月に中間年評価のための「第3回京都式認知症ケアを考えるつどい」を開催し、最終年の2018年2月には認知症本人がその成果を評価する「第4回京都式認知症ケアを考えるつどい」が開催されることが決定している(森 俊夫:認知症の地域包括ケア─京都の挑戦. 医学のあゆみ Vol.246 305-309 2013)そうです。

DLBの幻視とADの幻視は発生機序が違う [レビー小体型認知症]

幻視に対する薬物療法の考え方

 アルツハイマー型認知症でみられる幻視に対して,有効性を期待できる薬剤は少ない.原則は非薬物療法で対応すべきであるが,夜間の睡眠障害のために日中の覚醒度が低いことから,幻視を訴える患者がみられる.そのときには,夜間の睡眠を確保できる薬剤を使用することで,日中の幻視が軽減することもある.レビー小体型認知症と診断される患者の場合には,ドネペジル(アリセプト[レジスタードトレードマーク])が幻視の軽減から消失を期待できるので,一度はその使用を考慮したい.
 【川畑信也:認知症でみられる行動障害・精神症状BPSDへの対応の実際. Geriatric Medicine Vol.54 447-453 2016】

私の感想:
 DLBの幻視とADの幻視は発生機序が違いましたね。
 以下に復習して下さい。
 

1. はじめに
 BPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)の発現には環境要因(独居、環境変化など)、心理的要因(喪失感、孤独感など)、身体的要因(難聴、視力障害、運動制限、身体疾患など)、性格要因(疑い深い、心配性、凡帳面ほか)などが複雑に絡み合っているが、病理学的な基盤は共通して存在する。それは認知症でさえなければBPSDは発現しなかったであろうことからも明らかである。認知症症状は中核症状と周辺症状からなり、BPSDは周辺症状にあたるとされるが、その発現には中核症状も関与している。例えば、「物盗られ妄想」は物忘れだけでは起きないものであるが、中核症状である病的な物忘れが基盤にあることは確かである。

3. 脳の領域と幻覚
1)ATDの誤認・幻覚
 アルツハイマー型認知症(ATD)では視覚情報統合の上位の領域ほど病変が強い。以上のことから、ATDでは情報はインプットされるがそれを統合して有効に利用する機能が冒されているので視覚情報の誤認が起こりやすく。BPSDとしての視覚性誤認や幻視が起こりやすい。これは聴覚系でも同様であり、錯聴、幻聴を引き起こすと考えられる。このような知覚の誤認や幻覚は認知症ではしばしば妄想に発展する。
2)DLBの幻視
 DLBの後頭葉の視覚系でもATDと同じように上位の領域ほどレビー病理が強い。DLBでは後頭葉の脳血流の低下があり、これはDLBの幻視を説明する根拠とされている。これはDLBの視覚性誤認の基盤として矛盾しないが、DLBの幻視はATDと異なった『ありありとした』幻視という特徴があり、頻度も高く、ATDとは異なった機序も関与していると考えられる。

4. ATDの『物盗られ妄想』と『誰かいる妄想』
 妄想の中には脳の局在機能の関与が疑われるものがある。『物盗られ妄想』と『誰かいる妄想』はATDで起こりやすい妄想であるが、いずれも空間認知が関係していると考えられ、ATDで病変が高度に及ぶ頭頂葉領域の関与が示唆される。ATD病変は海馬領域を中心とする辺縁糸に始まり、大脳新皮質に広がる。その進展の様相はNFTの分布とその程度(http://www.inetmie.or.jp/~kasamie/Braak-NFTstage.JPG)にほぼ相関している。大脳新皮質では一次知覚・運動野は最後に病変が及ぶ領域であり、連合野が冒されやすいが、連合野の冒され方も一様ではない。ATDの連合野は、後部帯状回と上頭頂小葉が最初に冒され、次いで、下頭頂小葉、中・下側頭葉が続く。経時的な機能画像研究で示されているように、ATD病変は後方から前方(前頭葉)に広がる。早期に冒される新皮質で最も病変が高度に及ぶのは後部帯状回と下頭頂小葉である。ATDの新皮質病変で興味深いことは早期かつ高度に冒される領域はヒトで最もよく発達し、遅くに髄鞘化される領域である(図4)。最も強く冒される下頭頂小葉は角回、縁上回で構成される。この領域は異種感覚連合野として概念、言語、行為の遂行や空間的認知など脳の高次機能に関わるが、角回の電気刺激で「誰かが傍にいる」「影のような人物がいる」という現象が再現性をもって確認されている(Arzy S, Seeck M, Oritique S et al:Induction of an illusory shadow person. Nature Vol.443 287 2006)。ATDの「誰かいる妄想」と角回病変の関連が示唆される。
 「物盗られ妄想」について、病的記憶障害が関与していることは確かであるが、ATDと同じく海馬領域にNFT病変が強いが新皮質が冒されない神経原線維型認知症(SD-NFT)では病的記憶障害が長く続く特徴がある。SD-NFTでは深刻味に乏しい被害妄想は起こるが、『物盗られ妄想』は稀である。これは『物盗られ妄想』の成立には海馬病変に加えて、空間認知や判断力の低下などの皮質機能の関与が必要であることを示している。池田(池田 学:アルツハイマー病における物盗られ妄想と記憶障害の関係について. 高次脳機能研究 Vol.24 147-154 2004)の画像研究では楔前部の機能低下の関与を指摘している。この領域は頭頂葉内側に位置し、この領域の障害で自分が物を置いた場所を想起するのが困難になるとされ、外側の下頭頂小葉と並んでATDで病変の及びやすい領域である。妄想は思考障害であるので概念や言語が関与するが、幻覚よりも広範な機能が関わると考えられる。妄想と名のつくものを一括りには出来ない。
 【池田研二:BPSDの神経病理. Dementia Japan Vol.28 18-27 2014】

J-CATIA [アルツハイマー病]

BPSDへの抗精神病薬開始で死亡率2.5倍【JSPN112】
 世界初・日本発の大規模前向き研究J-CATIAの成績
 【日本精神神経学会2016年6月15日 (水)配信 https://www.m3.com/clinical/news/433047
 
 日本人のアルツハイマー型認知症(AD)患者約1万例を対象に高齢者の認知症周辺症状(BPSD)への抗精神病薬と死亡の影響を検討した、初の前向き観察研究J-CATIAの成績が最近報告された。「1万例を対象とした前向き検討は世界でも初」と話す研究グループの順天堂大学精神医学講座教授の新井平伊氏。千葉県で開催の第112回日本精神神経学会学術集会(JSPN112、2016年6月2-4日)シンポジウムで、同試験の主な結果と実地臨床でのフィードバックを解説した。観察研究のため因果関係は不明だが、同試験では、抗精神病薬を新規投与された群で非投与群に比べ、試験開始から11週以降の死亡リスクが約2.5倍上昇していたなどの成績が示された。

当局が警告を発出も、適応外使用が普及
 BPSDに対する非定型抗精神病薬、あるいは定型抗精神病薬の使用で死亡リスクが高まるとして、FDA(米国食品医薬品局)や厚生労働省が警告や適応外使用に関する注意喚起を発出している。警告の根拠とされているのは、2005年頃から海外で相次いだ複数のランダム化比較試験(RCT)のメタ解析(JAMA 2005; 294: 1934-1943)や後ろ向き観察研究(N Engl J Med 2005; 353: 2335-2341)など。こうした警告以降も抗精神病薬の代替薬が存在しないため、日本でも多くの精神科医や非専門医がBPSDに対し抗精神病薬を使用している現状がある。日本国内で抗精神病薬のBPSDへの適応拡大の是非を検討するためには、日本人での安全性データが不可欠であることからJ-CATIAが実現した。

主な結果(1)抗精神病薬使用群の6割超が半年以上の使用歴
 同試験では国内357の医療機関から、日本人AD患者1万79例を登録(女性69%、平均年齢81歳)。登録時点で抗精神病薬の使用群(4977例)と非使用群(5102例)に分け、ベースラインから10週、24週の死亡率などを比較した。新井氏によると、登録の時点で抗精神病薬の使用歴が6カ月以上の割合が使用群の63.7%を占め、次いで3-6カ月以内が15.5%、1-3カ月以内が13.3%、1カ月以内が7.3%だった。使用薬剤は非定型抗精神病薬ではクエチアピン、リスペリドン、オランザピン、定型抗精神病薬ではチアプリド、スルピリドが上位を占めた。全体解析では使用群、非使用群の試験開始から24週までの平均死亡率は3.4%、3%で有意差はなく、補正後のオッズ比にも差はなかった。抗精神病薬の使用期間ごとの死亡率でも非使用群との有意な差はなかった。

主な結果(2)新規使用群、非使用群の11週以降の死亡率9.4% vs. 1.9%
 一方、新井氏が特筆すべき結果として紹介したのが、同試験登録から新たに抗精神病薬を開始した85例の群における成績。同群において、試験開始から10週時点ではゼロであった死亡率が、11-24週時点には9.4%と非使用群の1.9%に比べ有意に上昇。同期間における死亡の補正後オッズ比も2.53(95%信頼区間1.04-6.14)と有意に上昇していた。死因別の検討では、特に使用群でのみ増加している死因はなく、肺炎や老衰が主だった。
 同試験結果の解釈で注意すべき点として新井氏は(1)画像検査による脳血管性認知症の除外が不十分、(2)多数の施設が参加したものの、対象者選択の施設間バイアスが排除できていない、(3)併用薬の影響が除外できない、(4)BPSDそのものによる死亡リスク上昇の要因が除外できない――の4つを挙げた。

「やむを得ず新規使用の場合も10週間程度に」
 「2005年の各国当局の警告から11年が経過し、医療・介護レベルは向上している。しかし、現時点でもなお、BPSDに対する抗精神病薬の新規投与が日本人においても死亡リスクを高めることが改めて示された」と新井氏。実地臨床へのフィードバックとして「抗精神病薬による死亡リスクには今も十分な配慮が必要で、非薬物療法や抗精神病薬以外の治療を優先すべき」と述べた。特にやむを得ず新規に投与を開始する場合には「10週間ほどの短期間が望ましく、減量・中止を常に考慮すべき」との考えを示した。
 一方、既に6カ月以上抗精神病薬を使用している人については、「同試験登録時に使用群の6割以上が半年以上の使用歴があったことから、この方たちは初期のリスクの時期を超えたサバイバーと解釈できる」と新井氏。新規投与の場合に比べ、安全性は担保されていると考えられるが「それぞれの患者での同薬使用の意味やリスクベネフィットを十分検討のうえ減量すべき」と結論付けた。

私の感想
 遂に「J-CATIA」の結果が出たようです。
 私は今朝、m3.comのサイトから情報を入手しました。著作権の問題がありますので、この情報のご利用には十分に注意して下さい(最小限の引用に留めて下さいね)。拡散はしない方が良いです。近いうちに間違いなく各紙が報道するニュースだと思いますのでそれまでお待ち下さいね。
 ポイントは、「抗精神病薬を新規投与された群で非投与群に比べ、試験開始から11週以降の死亡リスクが約2.5倍上昇していた」の部分です。

 抗精神病薬のなかの非定型抗精神病薬は、副作用が比較的少ないことから認知症診療の現場において比較的よく用いられてきました。
 しかしながら、その使用により死亡率が1.6~1.7倍高くなるとして2005年にFDAが警告を発しております。
 そのような背景もあり、米国ではこの系統の薬剤は脳卒中の発生率が高いとして、アルツハイマー病に対しては禁忌(遠藤英俊:認知症の薬物療法の実際とその効果. 日本医師会雑誌 第141巻・第3号 555-559 2012)となっております。
 今回発表されましたJ-CATIAの結果によりますと、1.6~1.7倍よりも更に高い2.5倍という結果でしたので、今後、非定型抗精神病薬の使用に際してはより慎重な姿勢が求められることになりそうですね。
 以下に、「1.6~1.7倍」を紹介したアピタルの原稿を再掲致します。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第438回『患者の心の中を探る―やはり抗精神薬は慎重に』(2014年3月19日公開)
 安易な抗精神病薬の使用は死亡率を高めるという報告もありますので、慎重な姿勢で薬物療法に臨む必要があります。具体的な数字としては、シリーズ第173回『深刻化する認知症患者の長期入院─抗精神病薬に頼らない認知症ケア』のコメント欄においてご紹介しました「1.6~1.7倍」という数字が有名です。
 しかしながら、2013年6月6日付朝日新聞において報道されましたように、日本老年精神医学会が2012年10月から、65歳以上のアルツハイマー型認知症で、抗精神病薬を使っている5千人と使っていない5千人で、10週後と6カ月後の時点での死亡率・脳血管障害の発生率を調査したところ、10週後においては、死亡率は薬を使っている人は0.88%(使っていない人:1.0%)、脳血管障害発生率は薬を使っている人は0.3%(使っていない人:0.5%)であり、ほぼ変わらなかったという結果でした。調査を実施した新井平伊順天堂大教授は、「最近は、より慎重に抗精神病薬が使われるようになっている。使う場合には、よく理解した専門医のもとで、なるべく短期間で、最小限にする必要がある」と話しております。この「最小限の使用にとどめる」という部分が非常に重要なポイントです。
 なお、認知症の行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)に対する薬物療法のガイドラインが2013年7月12日に厚生労働省研究班によってまとめられており、厚生労働省のホームページにおいて『かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン』(http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000036k0c-att/2r98520000036k1t.pdf)として公開されております。
 もっと詳しくBPSDに対する対応について学びたい方には、『BPSD初期対応ガイドライン』(服部英幸編集 ライフ・サイエンス, 東京, 2012)がお勧めです。2千円と安価でありながら内容盛り沢山の著書です。


朝日新聞アピタル「ひょっとして認知症-PartⅡ」第103回『アルツハイマー病の治療薬 副作用すくなく使いやすいメマンチン』(2013年4月7日公開)
 また、メマンチンは、「認知機能を損なうことなくBPSDに効果を示す」(藤本健一:メマンチン. 日本臨牀 Vol.69 Suppl10 41-46 2011)ことから認知症診療の現場で注目されており、うまく使いこなせばとても有益な薬剤となります。すなわち、日常生活動作(Activities of Daily Living;ADL)を保持しつつアルツハイマー型認知症に伴う行動・心理症状(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia;BPSD)に効果が期待できるのです。
 抗精神病薬のなかの非定型抗精神病薬は、副作用が比較的少ないことから認知症診療の現場において比較的よく用いられてきました。しかしながら、その使用により死亡率が1.6~1.7倍高くなるとして2005年にFDAが警告を発しております。そのような背景もあり、米国ではこの系統の薬剤は脳卒中の発生率が高いとして、アルツハイマー病に対しては禁忌となっています(遠藤英俊:認知症の薬物療法の実際とその効果. 日本医師会雑誌 第141巻・第3号 555-559 2012)。
 副作用そしてADL保持という観点から考えると、高齢者のBPSDに対しては、抗精神病薬よりも認知機能の改善効果も期待されるメマンチンの方が望ましいと私は考えています。
 私は、ご家族から一番困っている症状をお聞きし、それが記憶障害という中核症状ではなく、興奮/攻撃性、妄想、易刺激性/情緒不安定といったBPSDであった場合には、メマンチンをアセチルコリンエステラーゼ阻害薬に先行して使用するようにしております。
 独立行政法人国立長寿医療研究センター病院の鳥羽研二院長は、第13回日本認知症ケア学会の特別講演J(抄録集)において、「介護ニーズでもっとも重要なものは『周辺症状』である。」(鳥羽研二:認知症に対する包括的アプローチ─非薬物療法の重要性─. 日本認知症ケア学会誌 Vol.11 47 2012)と述べています。すなわち、認知症患者さんの在宅介護を継続していくためには、BPSDに対する包括的アプローチが非常に重要な鍵を握るのです。
 メマンチンの主な副作用としては、めまい、便秘、頭痛、傾眠、血圧上昇などであり、副作用は少なく使いやすい薬剤である思われます。
 日中に傾眠傾向が認められる場合には、服薬時間を「夕食後」に変更すると、日中の傾眠という問題が解消する場合もあります。メマンチンのTmax(服薬後最大血中濃度に達する時間)は5~6時間ですので、副作用が出現するのも主に5~6時間後であるということを応用した服薬方法になるわけです。メマンチンの夕食後服薬により、継続中であった睡眠薬の服用が不要となった方も私は複数経験しております。
 私は、2011年6月から2012年4月までにメマンチンを投与した連続23例(年齢:64歳から93歳)において、認知症の中核症状・周辺症状に対するメマンチンの有効性について検討し、第31回日本認知症学会学術集会において発表しました(2012年10月27日、つくば国際会議場)。そして、BPSDに対する高い有効性だけではなく、4例において中核症状の改善が認められたことを論文にて報告しております(笠間 睦:認知症診療におけるメマンチンの位置づけ─自験23例の検討結果. Progress in Medicine Vol.33 311-315 2013)。この論文内容につきましては、また後日改めまして詳しくご紹介したいと思います。

Facebookコメント
 「FDAは、高齢の認知症患者における行動障害を対象として、非定型抗精神病薬(オランザピン、アリピプラノール、リスペリドン、クエチアピン)を投与した17件のプラセボ対照比較試験5106例を解析し、非定型抗精神病薬を投与した場合、死亡率がプラセボと比較して1.6~1.7倍高いと結論(FDA Talk paper 2005.)」【平原佐斗司編著:認知症ステージアプローチ入門─早期診断、BPSDの対応から緩和ケアまで 中央法規, 東京, 2013, p236】

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